信仰が揺らいでいる人に伝えたい「こんなに素晴らしい救い」 

キリストの心
こんなに素晴らしい救い
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へブル人への手紙に、「こんなに素晴らしい救いをないがしろにしてはいけない」と警告されています。では、私たちに実現する救いとは具体的にどんな救いで、私達の永遠はどのように素晴らしいのでしょうか?
この記事では、へブル書2章から、私たちを贖われた父なる神様の目的と、イエス様の信仰によって実現した「こんなに素晴らしい救い」の全体像について学びます。

(1) 永遠の報いを相続するために、信仰と確信を持ち続けなさい

 手紙の宛先はへブル人、イエス様をメシアと信じたユダヤ人です。彼らは主の昇天から数十年、信仰を守り続け、愛をもって主と聖徒たちに仕え、良い働きを続けていました。

① 救い主への信頼と救いの確信が揺らぐ

迫害は激しくなる一方で、待ち望んでいる主はなかなか戻って来られません。彼らは、十字架で死なれたイエスが本当に預言されていた救い主なのか、主は本当に戻って来るのか、主の語られた約束は確かなのか、確信を失いかけていたようです。

ヘブル10:32~39
あなたがたは、光に照らされた後で苦難との厳しい戦いに耐えた、初めの日々を思い起こしなさい。嘲られ、苦しい目にあわされ、見せ物にされたこともあれば、このような目にあった人たちの同志となったこともあります。あなたがたは、牢につながれている人々と苦しみをともにし、また、自分たちにはもっとすぐれた、いつまでも残る財産があることを知っていたので、自分の財産が奪われても、それを喜んで受け入れました。
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけませんその確信には大きな報いがあります。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。遅れることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」
しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

長年熱心に主に仕えていたにもかかわらず、信仰が弱ってしまうことがあります。困難や試練のために、疑いが入り、恐れ、つまずき、希望を失ってしまうのです。

自分が受け継ぐことになる「いつまでも残る財産」「約束のもの」を明確に知るなら、主イエスに対する信仰福音に対する確信が揺らぐことはありません。

最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け信仰と忍耐によって約束のものを受け継へブル6:11~12)」ために、私たちは「こんなに素晴らしい救い」の全貌を知る必要があります。

② 信仰の後退、形式的・儀式的な信仰

へブル人たちは初めの喜びや感動を失い、惰性的な信仰に陥っていたのかもしれません。

へブル6:1~2
私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教えと手を置く儀式、死者の復活と永遠のさばきなど、基礎的なことをもう一度やり直したりしないようにしましょう。

彼らは古い契約(型としての動物犠牲制度)には精通していても、新しい契約(十字架で実現した贖い)について十分理解していなかったのかもしれません。あるいは、信仰によって救われるという約束に満足できず、ユダヤ教の習慣と儀式を繰り返すことに安心感を覚えたのかもしれません。もしかしたら、激しい迫害や苦しみゆえに、ユダヤ教に戻って律法や祭儀を守りながら、別の救い主を待とうと考えたのかもしれません。

異邦人クリスチャンは、人間的教え(ヘレニズムやヒューマニズ)、世の教え(仏教的世界観や慣習)、律法とは無関係な教会の規則や価値観などに縛られて、キリストにある自由を見失うことがあります。
クリスチャンが奉仕を忠実にこなし、教会行事やキリスト教の宗教行事を遵守し、真面目に教会生活を行っていても、真の救いについて理解していないことがあります。また、初歩的な理解(イエス様を信じたら罪が赦され、永遠のいのちを得る)にとどまったり、間違った解釈(死んだら霊魂が天国に行き、イエス様と永遠に幸せに暮らすなど)を信じていたりすることもあります。

 私たちは、主が十字架の贖いによって成し遂げられたことの本当の意味を、明確に知る必要があります。神様の人類救済の目的と、私達に対する永遠のご計画をはっきり理解する必要があります。

(2) 御子が実現する「こんなに素晴らしい救い」とは 

 キリストとその御業については、旧約聖書で預言者たちが多くのことを語ってきました。ユダヤ人は約束されたダビデの子(=メシア)を待ち望んでいましたが、十字架で殺されたイエスがメシアであることは受け入れがたく、つまずきの原因となっていました。

へブル書2章には、詩編や預言書を引用しながら、人類に対する神様の永遠の計画はどのようなものかイエス様の十字架の死は人類にどんな成果をもたらしたのか論理的に教えられています。順を追って詳しく見ていきましょう。

① 人は神の創造された世界を支配するために造られた   

 著者はまず、人に与えられた使命について説明します。

へブル2:5
 というのも、神は、私たちが語っている来たるべき世を、御使いたちに従わせたのではないからです。

来たるべき世」とは、イエス様再臨後の王国、地上に実現する神の国のことです。聖書は、救われた人間が天上の世界に移住するとも、霊魂になって霊的世界で永遠に生きるとも教えていません。人は肉体をもって生きる存在です。今の世(悪魔の支配下にある今の時代)が終わると、新しい世(神ご自身が義をもって治める新しい時代)が始まります

その時、再臨されたイエス様が全世界の王として地上を支配されますが、王の下で来たるべき世(キリストの王国=神の国)を従わせる(治める)のは御使いたちではありません

へブル2:6~8
ある箇所で、ある人がこう証ししています。「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みてくださるとは。
あなたは、人を御使いよりもわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ万物を彼の足の下に置かれました。」・・・・

これは詩編8:4~6(ダビデの賛歌)の引用です。

神が人に「栄光と誉れの冠をかぶらせ、万物を彼の足の下に置かれました」というのは、人の地位と任務を表しています。詩編では、「栄光と誉れの冠をかぶらせ あなたの御手のわざを人に治めさせ 万物を彼の足の下に置かれました」と書かれています。ダビデは、「神は人を、万物の支配者とされた」と宣言しているのです。

創世記1:26~28
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」・・・・・神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」

神が人間を神のかたち(神の似姿)に造られたのは、神の代理人として、地を従え、すべての生き物を支配させるためでした。

へブル2:8
・・・神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません

最初の人アダムが神に背いて罪を犯し、悪魔の支配下に入ってしまったため、人間は世界の支配権を悪魔に奪われてしまいました。それ以降、悪魔がこの世の神となり、人による支配はまだ実現していません
しかし、神の口から出ることばは、必ず神の望むことを成し遂げ、神が言い送ったことを成功させる(イザヤ55:11)ので、神の初めのご計画通り、人が「来たるべき世」を従わせ、「神の御手のわざ」を治める時代が来ます

御子が人となって地上に来られたのは、そのためです。

② 御使いよりも低くされ、高く上げられたイエス 

 人はまだ、神がご計画された本来の地位と任務に回復されていません。

へブル2:9
ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。

 イエス様は御使いよりも低い存在となり、すべての人のために死なれました。そしてよみがえり、栄光と誉れの冠を受けられました主はすでに支配者の地位に就かれています

そもそも御子とはどのような方でしょうか。

へブル1:2~4
・・・神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。御子が受け継いだ御名は、御使いたちの名よりもすばらしく、それだけ御使いよりもすぐれた方となられました。

御子イエス様は世界の創造者であり保持者、そして万物の相続者です。神の栄光の輝き神の本質の完全な現れです。一度は人となって死なれましたが、人類の罪のきよめを成し遂げ御使いよりもすぐれた方として、神の右の座に着いておられます

主はなぜ、栄光を捨てて人となり、死んでよみがえって、また栄光の御座に戻られたのでしょうか?

ピリピ2:6〜11
 キリストは、神の御姿であられる⽅なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、分を無にして、仕える者の姿をとり、間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、分を卑しくし、死にまで従い、実に字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストをく上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての⼝が、『イエス・キリストは主である。』と告⽩して、⽗なる神がほめたたえられるためです。

御子は初めから栄光に輝く全知全能の完全な神ですから、人間界で訓練や懲らしめを受ける必要はありませんでした。
御子は仕えるために神の栄光を脱ぎ捨て、の性質を持ち、人と同じようになって死なれ、よみがえってく上げられました。それは、もともと神である方が人間界で一仕事して、元の神の座に戻られたということではありません。それは、御子が「地を従え、すべての生き物を支配する」権威と地位を、人として取り戻したことを意味しています。御子はご自分に続く人々の模範となり、人は本来の権威と地位に取り戻すことができると示されたのです。

③ イエスは人に、地位と使命を取り戻させる 2:10

 御子の死は人にどんな結果をもたらしたでしょうか?

へブル2:10
多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。

主が多くの苦しみを通られたのは、多くの子たちを栄光に導くためです。御子を信じる者は、十字架で御子とともに死に、御子とともに新しく生まれたとされます。

罪のゆえに呪いが入り、病、貧困、死、自然災害、無秩序、不法・・・に苦しめられている人間。自分の造られた目的を知らず、神から離れ、悪魔の支配下に陥り、神に反抗し、神を冒涜する罪人たち。
堕落して神の造られた世界を破壊し続けている罪人を、創り主である御子ご自身が、悪魔の支配から解放し、罪と呪いと死から救い出してくださいました。

その目的は、罪ゆえに神から離れて堕落した人間を、神のかたちに再創造し、本来いるべき地位に回復させること、つまり、「神の似姿」である人に「地を支配させる」ためです。

人を神の似姿に回復させる

それには、まず人間の罪を取り除いて、神との関係を回復させなければなりません。律法によると、血を流すことなしに、罪の赦しはありません(へブル9:22)。それで主は、全人類の罪をご自身で背負い、十字架で死んで血を流してくださいました。イエス様の血の代価で罪人のいのちが買い戻され、人は神の元に帰ることができます

罪の無い神の御子は罪人の身代わりに、しかも罪人によって裁かれ、有罪とされました。罵倒され、嘲られ、辱められ、鞭打たれ、引き裂かれ、全身から血を流し、無残な姿で十字架にかけられ、苦しみ抜いて死なれました。
しかしそれは、「万物の存在の目的であり、また原因でもある神にふさわしいことでした。御子の十字架の死は、創造主の目的にかなう方法でした。

なぜですか? 人間が自分で自分の罪を取り除き、自分の力で聖くなり、自分の力で神のかたち(似姿)を取り戻すことはできないからです。人間を堕落から救い出し、本来のアイデンティティ(神の似姿)に再創造することは、創造主にしかできない御業です

「多くの子たち」――イエス様の十字架の死は自分の罪のためであったと信じ、受け入れた人々――は栄光に導かれ、神の長子である「御子のかたち(似姿)」に変えられます。
完全な救い主完全な贖いのゆえ、人は失っていた栄光(神の似姿)を取り戻すことができるのです

奪われた地上の支配権を悪魔から奪い返す

 神様の人類救済計画の目的は、神に背いて役立たずとなった人間を、来たるべき世」において、支配者としての地位に着かせ、世界を正しく治めさせることです。
すでにイエス様は、全世界の支配者として着座されています。

エペソ1:20~23
 この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

イエス様は次に来る世(=来たるべき世)においても、すべての支配、権威、権力、主権の上におられます。主は今、すべてのものがご自分の足の下に従うことを待っておられますキリストのからだである教会は、その時どうなるでしょうか。

・御子に贖われた人は、次に来る世において栄光と誉れの冠を受けます。
・教会はキリストのからだとして、キリストとともに世界を治めます。
・人の使命――地を従わせ、すべての生き物を支配する――は、キリスト再臨後の世界、地上の神の国で実現します。

万物を創造し、保持し、相続される神が、人の罪の結果を取り消し、人間を本来のアイデンティティと使命に立ち返らせます。人は神の定めた地位に就き、自分が造られた目的と使命を果たすようになります

イザヤ53:11~12
「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。・・・

イエス様は、神の永遠のご計画の実現のために自分のたましい(全存在)を捧げ、激しい苦しみを通って、多くの人を神の民として勝ち取りました。

 主は、人が「神のかたち」に回復され、本来いるべき地位に戻り、その使命を果たすようになること確信し喜んでいのちを捨てられたのです。

④ アブラハムの子孫を助け出すためにアブラハムの子孫となった  

神であり霊である主が、アブラハムの子孫として世に来られました。

へブル2:11~13
聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。 それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われました。「わたしは、あなたの御名を兄弟たちに語り告げ、会衆の中であなたを賛美しよう。」
また、「わたしはこの方に信頼を置く」と言い、さらに、「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」と言われます。

聖とする方」はイエス様聖とされる者たち」はイエス様を神の子・救い主と信じた人々です。

主は初めから神の子です。主を信じた者たちは、主の血によって聖別され、父なる神の子どもとされました。

イエス様は、今はまだ罪の中にあっても将来、義とされるイスラエルの民を、「兄弟たち」と呼ばれました。イエス様を信じて神の家族に加えられた人々は、「神がわたしに下さった子たち」です。イエス様が神の長子で、イエス様を信じたイスラエルの民はキリストの兄弟です。

へブル2:14~15
そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。

 御子は血と肉を持つ人として裁かれ、肉体において罪を処分されました。御子は悪魔を滅ぼし、悪魔から世界の支配権を奪い返し、来たるべき世を支配されます。御子の兄弟となった人々も、御子とともに支配することになります。
救いはアブラハムの子孫から

へブル2:16
当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。

神様はアダムが罪を犯したその時すでに、将来、救い主を送り、人類を救い出すと決めておられました。女の子孫(人)として生まれた救い主が、悪魔のわざを打ち砕くのです。

神様は救い主を産み出す家系としてアブラハムを選び、「あなたとあなたの子孫を祝福し、あなたの子孫によって諸国民を祝福する」と約束されました。そして約束を受け継ぐ子孫のしるしとして、イスラエルの民に割礼を受けさせ、律法を与えて契約の民とされました。アブラハムの息子イサクと孫ヤコブを通してイスラエル12部族が生まれ、ユダ族からイスラエルの王ダビデが生まれ、御子はダビデの子孫としてこの世に来られました。

神様は来たるべき世を御使いに従わせるのではなく、神の民として回復された人間に従わせます。救い主はイスラエル民族から生まれ、初めにアブラハムの血縁の子孫たちを助け出しました。アブラハムの子孫」は第一義的に、血統的子孫であるイスラエル民族を指しています。

信仰によるアブラハムの子孫

アブラハムには別の子孫たちもいます。

ガラテヤ3:7~9、3:26~29
 ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。・・・・・
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

イエスを神の子キリストと信じるクリスチャンは、民族に関わらず神の子どもです。信仰によって生きるクリスチャンアブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

エペソ3:6
福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なってともに約束にあずかる者になるということです。

 イエス様とつながり、信仰によって生きる人はアブラハムの子孫であり、新しく始まる神の国で栄光と誉れの冠を受けます。そしてイエス様の支配のもとで、世界を正しく治めるようになります

(3) こんなに素晴らしい救いをないがしろにしてはいけない

① 信仰者に約束された永遠の資産

主が私たちに約束してくださったものは、単に今の世の健康や祝福や成功や繁栄ではなく、永遠に続くものです。

へブル9:15
 キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖いだすための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。

最初の人アダムがエデンの園から追い出されて以来、人類は神の祝福を失っていましたが、勝利を得る者は、それを取り戻し、キリストとともに永遠の資産を受け継ぐことができます。それは、永遠の神のパラダイス(=新しいエルサレム)で実現します。

黙示録21~22章に、義とされた人が新しいエルサレムで取り戻す身分と特権について記されています。

神とともに住む(21:3)
・神に仕え、神の御顔を仰ぎ見、世々限りなく王として治める(22:3~5)。
いのちの水の川から自由に飲むことができる(21:6)。
いのちの木の実を食べて永遠に生きることができる(22:2)。
・自分たちの栄光と誉れを都に携えて来る(21:24、26)

信仰の勝利者は、栄光と誉れを受け、神と共に住み、王として治めます。いのちの水を飲み、いのちの木の実を食べ、永遠に生きることができます

・キリストの贖いを信じて悔い改めた人を神の子とし、この新しいエルサレムに住まわせることが、神様の人類救済計画の目的です。
・新しいエルサレムは、聖書信仰者の最終目的地(約束の地)、永遠の相続地です。

主に贖われた者は、神の子のアイデンティティを取り戻し、神の子の品性と能力により、祝福に満ちた永遠の神の国で、主と共に王として支配します

② 約束を受け取る時は近い!

へブル9:28
キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れて下さいます。

イエス様の初臨は罪を贖うためでした。今度来られる時には、贖われた者たちを復活させ、朽ちない栄光のからだに変え、永遠の神の国(天から下る新しいエルサレム)に迎えて下さいます。その時、神の人類救済計画が完了し、私達の救いが完成します

この希望は、「安全で確かな、たましいの錨6:19)」のようなものです。神の永遠の計画と御子が勝ち取って下さった私たちの相続財産に信仰の錨を下ろすなら、世の荒波に翻弄されることはありません 

へブル12:2
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

イエス様の信仰とは、「自分が死ぬことで、すべての人の罪を贖うことができる。神は、義とされた人々を死からよみがえらせ、わたしとともに新しい世を治める者としてくださる。その時、父なる神のご計画が完成し、栄光に満ちた永遠の神の国が実現する」という信仰です。主はご自身を完全に神に委ね、喜びをもっていのちを献げ、信仰の完成者となられました。

主がいのちを懸けて成し遂げて下さったこんなに素晴らしい救いを、蔑ろにしてはいけません。信仰の創始者であり完成者であるイエス様にとどまり、最後まで確信を持ち続けましょう。信仰と忍耐によって私たちに約束されたものを受け継ぎましょう

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