信仰の目的地(2)「天の都」と「天のエルサレム」

信仰の目的地
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信仰の目的地(1)では、第一の天と第二の天は被造物であり、それぞれ大気圏と宇宙空間を指すこと、第三の天とは主の住まわれる場所で、パラダイスと呼ばれることを確認しました。

パラダイスの原型はエデンの園であり、イエス様の再臨後、シオン(エルサレム)はエデンの園のようになると預言されていること、パラダイスとは復活した義人たちが神と共に住む祝福された楽園を意味することを学びました。十字架上で悔い改めた犯罪人に与えられた約束も、復活してパラダイスに入ることでした。

信仰の目的地(2)では、アブラハムが見た天の都と、使徒ヨハネが見た天のエルサレムについて学び、私たちの信仰の目的地について理解を深めましょう。

1.アブラハムの信じた相続地は「天の都」

アブラハムはイスラエル民族だけでなくクリスチャンにとっても信仰の父です。
私たちは、イエスをキリストと信じ、
・信仰によるアブラハムの子孫(ガラテヤ3:29、ローマ4:16
・アブラハム契約の共同の相続者、約束を共に受け継ぐ者(エペソ3:6
とされました。

ですから私たちにとって、アブラハムが何を信じ、何を目指していたかを知ることが重要です。

へブル人への手紙11章は信仰の書と言われています。
アベル、エノク、ノアの信仰に始まり、アブラハムの信仰が語られ、イサク・ヤコブへの信仰継承と、さらにその信仰を受け継ぎ、守り通してきたイスラエルの子孫たちについて記されています。
そこで、まず彼らの信仰について学びましょう。

① 「神が設計し、建設された天の都」を相続する

初めに、アブラハム・イサク・ヤコブの信仰について見ていきましょう。

ヘブル11:8~19
11:8信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
11:9信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相属するイサクやヤコブと共に天幕生活をしました。
11:10彼は、堅い基礎の上に立てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
11:11信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
11:13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
11:14彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
11:18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、
11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これはです。

アブラハムは地上の全ての民族を祝福するために選ばれ(創世記12:2~3)、子孫が増加し、永久にカナンの地を所有する(13:14~17)という約束が与えられました。
それは、アブラハムの子孫であるイスラエル民族が「神のしもべ、神の証人(イザヤ43:10)」となり、「祭司の王国、聖なる国民(申命記14:2)」として神に仕えるためでもあります。

アブラハムは、イサクが死からよみがえると信じました(11:19)。これはであると書かれています。アブラハムの子孫が海の砂、空の星のように増え広がるためには、数百年・数千年かかり、アブラハムと子孫たちが約束の地を永久に所有するためには、死からよみがえらなければなりません。

アブラハム・イサク・ヤコブ、そしてイスラエル民族の信仰は、復活信仰であり、それを実現してくださるのがメシアなのです。

アブラハムもイサクもヤコブも、約束の地(カナン)を相続せずに死んでしまいましたが、実は彼らが本当に求めていた相続地は「さらにすぐれた天の故郷」「神の用意された都」でした。

彼らが待ち望んでいたのは、復活して「神が設計し、建設された都」「堅い基礎の上に建てられた都」に永遠に住むことでした。これは人間が建てる都のことではありません。

この都については詳しく記されていませんが、おそらくイスラエル民族に代々伝えられたことでしょう。神は彼らの信仰ゆえに、ご自身を「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と名乗られています(11:16)。

② アブラハムの子孫の信仰の目的地も「天の都」

へブル人への手紙11章では、続いてアブラハムの子孫たち、モーセ、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、預言者たちについて記し、彼らの信仰の本質についてこのように語っています。

へブル11:35~38
 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、 ──この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした──荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

「さらにすぐれたよみがえり」とは、一時的によみがえってまた死ぬものではなく、永遠に生きることのできるよみがえりです。アブラハムの子孫、イスラエルの信仰の勇者たちも、信仰の父アブラハムと同じ信仰――よみがえって、「天の故郷、天の都」を共に受け継ぐ――を持っていました。

彼らが苦難を通りながらも人生をかけて目指していた相続地は、地上のカナンではなく、「神が設計し、建設された、堅い基礎の上に建てられた、神が用意された天の都」だったのです。

③ 約束を受け取る時はこれから

へブル11:39~40
  この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされる(私たちを抜きにして完全な者とされる)ということはなかったのです。

つまり、アブラハムをはじめ旧約時代の信仰の勇者たちは、まだ誰も完全な者(復活のからだ)とされておらず、「天の都」もまだ相続していないということです。

旧約時代の義人たちと新約時代の信仰者たちのよみがえりは同時に起こり、約束された「天の都」を一緒に相続するからです。

へブル人への手紙12章で、アブラハムが見た天の都の名前が明らかにされています。

へブル12:22~24、28
あなたがたは、シオンの山生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいているのです。・・・私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。

シオンの山」はイエス様の永遠の住まいとなるエルサレムにあります。神が王となって住まわれる「生ける神の都」の名前は「エルサレム」で、今は天にあります。

エルサレムはヘブライ語で「イェルシャライム」と言い、これは複数形です。地上のエルサレムと天のエルサレム(ガラテヤ4:26)があります。

その天にあるエルサレムがやがて訪れることが13章に書かれています。

 へブル13:14
私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

地上のエルサレムは永遠に続く都ではありません。天から来るエルサレムが永遠の都です。
私たちは「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」に近づいています(12:22)。
実は、私たちの求めている永遠の都が、私たちのところに下って来るのです(13:14)。

新しいエルサレムが天から降って来る

2.神のパラダイス、天から下って来る新しいエルサレム

アブラハムの待ち望んだ「神が設計し、建設された都」、「堅い基礎の上に建てられた、神が用意された都」がやがて天から下って来ることが、黙示録に書かれています。

聖書の最後の書である黙示録は、神の御計画の完成について明らかにした啓示の書です。

使徒ヨハネは、パトモス島にいた時、主の幻を見て、将来必ず起こることについての啓示を受けました。パウロが第三の天(パラダイス)について受けた素晴らしい啓示、パウロの見た幻、聞いたが語ることを許されなかったことばを、ヨハネが最後の啓示として書き記したと思われます。

ですから、黙示録の預言のことば以上に何かを付け加えてはいけない、またこの預言の書のことばを取り除いてもいけないと警告されています(黙示録22:18,19)。

ヨハネは、イエス様が7つの教会に語られたメッセージを書き記しました。

2章でパラダイスについて、3章で新しいエルサレムについて言及されています。

① いのちの木は「神のパラダイス」にある

イエス様は2章でエペソの教会に対して語られた後、諸教会に対し、こう言われました。

黙示録2:7
「勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」

「神のパラダイス」には「いのちの木」があるということがわかります。

最初のパラダイス「エデンの園」にはいのちの木がありました。いのちの木の実を食べると人は永遠に生きることができますが、罪を犯した人間が食べて永遠に生きることがないようにと、アダムとエバは園から追い出されてしまいました(創世記3:22~24)。

勝利を得る者は「神のパラダイス」に入り、いのちの木の実を食べることが許されます。つまり、アダムが失った永遠のいのちを取り戻すことができるのです。

② 「神の都」は天から下る「新しいエルサレム」

 イエス様は3章でフィラデルフィアの教会にこのように言われました。

黙示録3:12
勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。

「わたしの神の都」とは「わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレム」であると書かれています。神の都はエルサレムです。そして神の聖所は新しいエルサレムにあると思われます。

最初の人アダムは罪を犯してエデンの園を追放されましたが、勝利を得る者は神の聖所の柱とされ、決して追い出されることはないと約束されています。

アブラハムは、堅い基礎の上に立てられた都――神が設計し建設された都――を待ち望んでいました(ヘブル11: 10)。そして、カナンの地よりさらにすぐれた天の故郷――神が用意しておられた都――にあこがれていました(11: 16)。子孫たちも同じ信仰と希望を受け継いでいました。

私たちも後に来ようとしている都――シオンの山生ける神の都、天にあるエルサレム――を求めています(へブル13:14)。

そしてイエス様は、「神の用意された都・新しいエルサレムは天から下って来る」と言われたのです。

黙示録21章で、ヨハネはそのことを幻で見たと、2回書き記しました。

黙示録21:2
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

黙示録21:10
御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。

③ 「パラダイス」の名は「エルサレム」

 ヨハネは黙示録21章と22章で、新しいエルサレムの様子について詳しく書き記しています。

21章を読むと、都は一辺が12,000スタディオン(約2,220km)の立方体で、都も大通りも純金でできており、都には神の栄光が輝いています。小羊が都のあかりであり、太陽も月も必要なく、諸国の民は都の光によって歩みます。

新しいエルサレム

144ペーキュス(約64.8m、おそらく厚さ)の城壁は碧玉で飾られ、城壁の12の土台石はあらゆる宝石で飾られています。12の門はそれぞれ一つの巨大な真珠でできていて、閉じられることはなく、諸国の民が栄光と誉れを携えて都に来ます。

そして22章で、ヨハネは神と子羊との御座、いのちの水の川、いのちの木を見ました。

黙示録22:1~2
 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

イエス様は黙示録2章7節で、「勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう」と言われました。いのちの木は、天から下って来る「新しいエルサレム」にありました。

「神のパラダイス」とは「新しいエルサレム」のことで、それは天から下って来ます。そこでは一切の呪いが取り除かれ、神との関係が回復され、神とともに住むことができるのです。

黙示録21:3~4
 「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

黙示録22:3~5
 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

 前回、パラダイスとは、最初の人アダムが罪のために追い出されてしまったエデンの園に代わる「永遠の神の楽園」であるということを学びました。また、イエス様が御国の王となる時、十字架上で悔い改めた犯罪人も復活してパラダイスに入る約束が与えられたことを学びました。

神と人がともに住む究極の「エデンの園」が「新しいエルサレム」で完成します。
この新しいエルサレムが、キリスト信仰の最終目的地なのです。
そこには、小羊のいのちの書に名前が書いてある者だけが入ることができるのです(21:27

3.まとめ

2回の学びを通して理解したことを確認しましょう。

パウロが幻で見た「第三の天」は「パラダイス」とも呼ばれ、そこには主がおられました。

ヨハネはパトモス島で見た「新しいエルサレム」の幻について詳細を記しました。そこは「神のパラダイス」と呼ばれ、神と子羊の御座があり、いのちの木といのちの水の川がありました。

「パラダイス」とは、塀で囲まれた庭や園を表す言葉です。
新しいエルサレムは高い城壁で囲まれ、宝石・真珠・純金で造られ、主の栄光が輝く美しい都です。

アブラハムとイスラエル民族が、復活して相続したいと求めていた天の故郷、神の建設された都とは、この新しいエルサレムのことでした。
十字架上でイエス様を御国の王と告白した犯罪人が願ったのも、このパラダイスに入ることでした。

この「神の都=神のパラダイス=新しいエルサレム」は、やがて天から下って来ます。
そこには、いのちの書に名前の記されている者だけが入ることができます。

最初の人アダムが罪を犯す前、エデンで神とともに幸せに過ごすことができたように、信仰の勝利者は、新しいエルサレムで神とともに永遠に生きることができます。そこは、死も呪いも悲しみも苦しみもない、祝福された「永遠のパラダイス」なのです。

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