パウロは愛弟子テモテに、教会指導者として教会内の間違った教えや問題に対処し、信徒たちを御言葉によって正しく導き、牧会するようにと命じました。またテモテ自身も健全な信仰生涯を全うし、主イエス・キリストの来臨に備えるようにと励ましました。
Ⅰテモテ6:11~14
神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。
私は、すべてのものにいのちを与えてくださる神の御前で、また、ポンティオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しをされたキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。
私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。
主が来られる時まで信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得して神の国を受け継ぐことができるよう、私たちもテモテへの手紙から学びましょう。
1.信仰の戦いが必要な理由
パウロの同労者テモテ
パウロの殉教はAD67年で、テモテへの第一の手紙が書かれたのはAD64~65年頃と考えられています。パウロがマケドニアからエペソにこの手紙を書いた時、テモテはまだ30代の若い指導者でした。
テモテは20歳頃からパウロの第2次伝道旅行と第3次伝道旅行に同行し、福音をアジアからヨーロッパに広めるために、パウロの同労者として働きました。パウロが次の宣教地へと旅立った後、テモテは開拓教会に残って新しい信者たちを指導し、また、パウロの使者として各地の教会に遣わされました。パウロが投獄された後も諸教会で信徒たちを指導し、エペソ教会の初代監督になり、最後は殉教の死を遂げたと言われています。
パウロは幾多の迫害と困難の中で宣教し、殉教も念頭に置いていたので、若いテモテが信徒たちを正しく指導し、教会が悪いものから守られることを願って、この手紙を書いたと思われます。
手紙の背景と目的
パウロは手紙の最後で、「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しない者(Ⅰテモテ6:3)」、「高慢になっていて、何一つ理解しておらず、議論やことばの争いをする(6:4)」者、「知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段と考える者たち(6:5)」について警告しています。教会が成長するにつれ、宣教や弟子の育成を妨げたり、教会を混乱させたりする者が現れていたのでしょう。
・御言葉の権威を否定し、聖書と異なる教えで信徒たちを間違った方向に導き、純粋な信仰から引き離す者。
・キリスト者に相応しくない言動や生活態度で、信仰の浅い信徒たちをつまずかせる者。
・霊的権威を振りかざして純粋な信徒たちを傷つけ、教会批判を招く者。
パウロは殉教を覚悟してエルサレムに向かうにあたり、エペソ教会の長老たちを呼び寄せ、やがて起ころうとしている教会内の問題について警告しました(使徒20:17~38)。
使徒20:28~31
あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
私は知っています。私が去った後、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし回ります。また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。
ですから、私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。
・凶暴な狼が入り込み、群れを荒らし回る――迫害が起こり、信仰を失わせようとする。
・曲がった教えをして弟子たちを自分の方に引き込もうとする者たちが起こる――偽教師、偽指導者たちが弟子たちをキリストと健全な聖書信仰から引き離し、自分の信奉者にしようとする。
そのような深刻な問題に対処し、勝利するために必要なことは、みことばによる成長です。
2.サタンが教会を攻撃する2種類の手段
サタンは2種類の方法で教会を攻撃します。1つは迫害、もう1つは惑わしです。
①迫害
Ⅰペテロ5:8、9
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。
悪魔はキリストの弟子たちに「ほえたけるしし」のように襲いかかり、食い尽くそうとします。信者を迫害し、苦しみから逃れるために信仰を捨てるように仕向けるのです。悪魔は「竜」の側面を持っています。
初代教会では、イエス様をメシアと認めないユダヤ人たちにより、イエス信者に対する激しい迫害が起こりました。イエス様を神の御子と信じる者は偶像礼拝者と見なされ、異端の新興ユダヤ教として攻撃されました。パウロはその迫害の急先鋒でした。
パウロが改心して異邦人への宣教師として遣わされ、ローマ帝国支配下の国々にキリスト信仰が広まると、ローマ皇帝による迫害が始まりました。皇帝は神として崇められていたので、イエスが真の神がであり、王となって全世界を治めると宣べ伝えることは、ローマ皇帝に対する反逆罪にあたりました。
クリスチャンに対する迫害は、形を変えながら、独裁主義国やイスラム教国をはじめ、世界中で続いています。
2000年代に入ってから、イスラム過激派組織ISISによるクリスチャンの拷問や虐殺が繰り広げられました。幼児や10代の子どもたちが斬首され、吊り下げられている映像、レイプされて斬首された女性たちの血を浴びるISIS戦闘員たちの映像などが世界中に流され、中東全体が恐怖に包まれました。この時、家族を守るためにキリスト信仰を捨てるクリスチャンもいたそうです。
悪魔は、クリスチャン――真理を知り、イエス様を神の子・キリスト・全地の王として礼拝する者、イエス様の再臨と神の国の到来を待ち望む者たち――を憎み、自分を神とする権力者たちや、他宗教の過激な信者たちを通して攻撃し、滅ぼそうとします。イエス様が天から来られて神の敵に復讐し、悪魔を縛る時まで、凶暴な狼との戦いが続きます。
②惑わし
もう一つの悪魔の攻撃方法は、エデンの園でエバを惑わした蛇のように、巧みな方法で偽りを吹き込み、信仰的・霊的に惑わすことです。
Ⅰテモテ4:1~2
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、良心が麻痺した、偽りを語る者たちの偽善によるものです。Ⅰテモテ6:20~21
テモテよ、委ねられたものを守りなさい。そして、俗悪な無駄話や、間違って「知識」と呼ばれている反対論を避けなさい。ある者たちはこの「知識」を持っていると主張して、信仰から外れてしまっています。
初代教会時代には、人間はグノーシス(ギリシャ語で「知識」や「霊知」という意味)を持つことで、霊界についての無知から解放され、不死を得て天界で生きるようになるという思想がありました。偽教師たちは、十字架の死と復活を信じる信仰に加えて、救われるためには特別な知識が必要だと教えていました。
またギリシャ思想の二元論では、霊は純粋な良いもの、物質(肉体)は堕落した悪いものとされていたので、神が受肉して人となるということを否定する者たちがいました。そして、罪ある肉を抑えて禁欲的・戒律的に生きなければ救われないと教え、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする(4:3)者もいました。
聖書の教えと真理を正しく理解していないと、良心が麻痺した偽りを語る者に騙されて、惑わす霊と悪霊の教えに引き込まれ、キリストにある自由を奪われ、健全な聖書信仰から離れてしまうことがあります。
Ⅰテモテ1:3~7
私がマケドニアに行くときに言ったように、あなたはエペソにとどまり、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしない作り話と系図に心を寄せたりしないように命じなさい。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、神に委ねられた信仰の務めを実現させることにはなりません。
この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。ある人たちはこれらのものを見失い、むなしい議論に迷い込み、律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、確信をもって主張している事柄についても理解していません。
エペソ教会には、「違った教え」を説いたり、「果てしない作り話(空想話)と系図」に心を寄せたり、「むなしい議論」に迷い込んだりする可能性があったのでしょう。信仰者は「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛」を目指すべきですが、エペソの教会には、健全な良心を捨てて、信仰の破船にあった人がいました(1:19)。
3.教会に紛れ込む異教との戦い
①ローマカトリックという新興宗教
異邦人世界には、グノーシス思想・土着の宗教・アニミズム・ギリシャ哲学など、聖書的でない教えが蔓延していたため、福音が異邦人に広まるにつれ、聖書信仰に少しずつ異教的な教えが紛れ込んでいきました。ユダヤ人がローマ帝国の領土から追放され、ユダヤ人の教会指導者がいなくなると、異教的な礼拝方法や教えが取り入れられ、聖書的な信仰から異教混合宗教へと変質していきました。
やがて、教会はユダヤ教と分離して、異邦人のための新宗教として歩み始めることになりました。キリスト教に異教から信者を獲得するため、諸宗教の教え・ギリシャ哲学・神話などを取り込んでいったので、キリスト教がローマ帝国の国教となった時には、本来の聖書信仰とかなり異なる宗教となっていました。
聖書に規定されている安息日礼拝や例祭の日程と名称は変えられました。
太陽神礼拝のミトラ教の祝日12月25日がキリスト降誕日と定められました(325年ニカイア会議)。12月25日は冬至の数日後、太陽が力を取り戻し始める時で、不滅の太陽の復活を祝う日です。これは、バベルの塔事件の首謀者で後に太陽神として崇められたニムロデ・別名バアルが、死後、母親セミラミスから再び生まれ(タンムズ)、救い主として復活したとされる日です。キリストは義の太陽であるという理由で太陽神礼拝の祭日がキリスト降誕日として採用され、安息日礼拝は日曜(太陽の日)礼拝に変わりました。
セミラミスはあらゆる女神の原型となり、神の母・天の女王として礼拝されました。その一つであるイシュタール(ゲルマン神話の春の女神)の祭日からイースターという名称が生まれました。イエス様は人類のよみがえりの初穂として初穂の祭りの日に復活されましたが、キリスト復活を予表していた聖書の祭りは、異教の春分祭(新しい命をもたらす女神イシュタールの不死と再生を祝う)に統合されました。そして、セミラミスがニムロデ(タンムズ)を抱く姿が聖母子像に採用され、天の女王礼拝がマリア礼拝に形を変えたのです。
神様は、イエス様を愛し、純粋な心で主の降誕と復活を感謝し、祝うクリスチャンを退けたリはなさいませんが、神の国では異教的な影響が取り除かれ、キリスト教の祭事ではなく、主の喜ばれる礼拝が捧げられることでしょう。
イスラエル国がローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人が世界離散すると、「ユダヤ人は悪魔の子孫。キリスト殺しのユダヤ人は神に捨てられ、教会が新しい選民になった」とする置換神学が起こり、キリスト教会がユダヤ人を迫害し、キリスト教に改宗しないユダヤ人を拷問し、異端審問で死刑に処すようになりました。十字軍は、イスラム教徒の支配からエルサレムを奪還するという目的で派兵されましたが、実際は行く先々でユダヤ人や、カトリック以外の信仰者を虐殺したのです。
ローマ教皇の正式名称は「キリストの代理」という意味を持ちます。教皇の聖書解釈が絶対であり、カトリック教会の外に救いはないとされます。進化論を認め、十戒から偶像礼拝禁止を取り除き、マリアや聖人礼拝、遺骸礼拝を行っています。
現教皇は、「無神論者も行いで救われる、同性愛者も司祭になれる、イスラム教徒とキリスト教徒は同じ神を信じる兄弟である」と宣言をして、司祭たちを驚かせました(キリスト教とイスラム教を混ぜ合わせた信仰を「クリスラム」と呼ぶ)。また、「十字架は失敗であった。信徒が自分で聖書を読んで理解することはできない。信徒がイエスと個人的な関係を持つことは危険である」と言い、「明けの明星」を解釈して「ルシファー=イエス」であると公式に表明しました。
エルサレムについて歴代の教皇は、「聖書にイスラエルの首都であると書かれているという理由でイスラエルが占領することは認められない」と言い、エルサレムを第2のバチカンにすることを目指しています。
バチカンはエキュメニカル運動(プロテスタントをカトリックに再統合する)と、インターフェイス運動(ローマ教皇の下であらゆる宗教を一つにする)を推し進めています。
ルター派は1999年に、バプテスト派は1995年にカトリックに対するプロテストを廃止するという署名をし、プロテスタントからカトリックに改宗する牧師も現れました。
毎年、年始には仏教・ヒンズー教・イスラム教・ユダヤ教・プロテスタント、その他あらゆる宗教の代表180人がローマ教皇を表敬訪問します。また、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の指導者たちが集まり、アブラハムの名によって祈ることも行われています。
愛と一致と共生という名目で進められているキリスト教界の働きが、御心と御言葉に則しているか、真理において協調できるものなのか、吟味が必要です。救いに至る道と門は狭く、それを見出す者はわずかです(マタイ7:13~14)
②現代クリスチャンの霊的戦い
カトリック教会の免罪符による罪の赦しや難行苦行による清めに対し、ただ信仰によって救われるとして始まったプロテスタント教会にも、異教の教えやギリシャ哲学が残存しています。
プロテスタントのクリスチャンにとって、他にも深刻な霊的戦いがあります。
キリスト教界内部の偽教師、偽信者、自称使徒や自称預言者に警戒し、偽教理を見分ける必要があります。
天使の訪問を受けた、イエス様が現れて使徒に任命された、天国や地獄を訪問したなどの霊的体験談や、夢と幻によって受けたという終末時代の新たな啓示を語る人々がいます。聖書の教えと照らし合わせて下さい。これまで聖書で教えられなかった新しい啓示が与えられることはないはずです。
また、今の時代の祝福・繁栄・成功などは魅力的に感じられるかもしれませんが、永遠のいのちと永遠の神の国以上に経済的祝福を強調することはキリスト信仰の目的ではありません。
ニューエイジやオカルトに関わり、その霊によって癒しや預言をする働き人やカルト指導者にも騙されないでください。イエスの名によって預言や悪霊追い出しをしても、主に「あなたを知らない」と言われる人がいるのです。
初代教会の弟子たちが福音を宣べ伝えると、主が彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって確かなものとされました(マルコ16:20)。癒し、預言、悪霊追い出し、力あるわざ、奇跡などの霊的賜物は、宣教のために与えられたものです。聖書的でない教えをする人々の起こす不思議現象、教えの伴わない霊的パフォーマンスは、聖霊からのものではないかもしれません。
聖霊派では、聖書には書かれていない目新しい教えが次々と流行しました。
「キングダム・ナウ」「勝利主義神学」「顕現された息子たち」「繁栄神学」「信仰の言葉神学」「力の伝道」「地域を支配する霊との戦い」「祈りの歩行」「笑いのリバイバル」「四次元信仰」「第3の波」「新使徒改革」「7つの山」「24時間の祈りの家」「ソーキング・プレヤー」「ギャザリング」。このような新しいムーブメントを多くのクリスチャンが追いかけ、学び、体験しました。
新しい流行りの教えはよく吟味し、聖書の教えと一致せず、異教や悪霊の影響が疑われるなら、ただちに離れるべきです。それらのムーブメントは、聖書にはない新しい知識(ネオ・グノーシス)かもしれません。しるし・不思議・奇跡に目を奪われるのではなく、語られている証や教えが聖書的であるか、その働き人は神の栄光を現しているのか、それとも自分の栄光を求めているのか吟味してください。麦と毒麦は同じ畑で終わりまで一緒に育ち、収穫される直前まで見分けが難しいものです。
アダムが罪を犯してエデンを追い出されて以来、人間は神から離れ、罪と死と悪魔の支配下にいます。神様は、人間を罪から贖って神の元に取り戻すために人類救済計画を進めてこられました。イエス・キリストを信じ、信仰を守り通して罪と悪魔に勝利した人々は、主が再臨される時、栄光のからだによみがえり、新しいエルサレムに迎えられ、死も涙も悲しみも、一切の呪いもない神の国で、失っていた祝福を取り戻すことができます。そこにはキリストの御座があり、いのちの水の川が流れ、いのちの木の実を食べて永遠に神とともに生きることができます。この新しいエルサレムが、キリスト再臨を待ち望む聖書信仰者の目指す最終目的地です。
神の国の福音を宣べ伝え、救いと聖めと信仰成長のために労する働き人が本物です。
聖書信仰の本質を見失うことのないように、御言葉をしっかり学びましょう。現象や体験に惑わされないように、霊的に見分けましょう。自分の願望実現や自己実現のための信仰ではなく、神の国と神の義を求め、神のご計画と目的、自分に与えられた召命を知って、神の御心を行うことを求めましょう。
4.信仰の戦いを勇敢に戦う
Ⅰテモテ6:11~12、14
しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。・・・私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。
私たちの信仰生活は永遠のいのちを獲得するための戦いであり、それは主の再臨の日まで続きます。
信仰の戦いを通ることで、信仰者は堅く真理に立ち、御言葉通りに生きることを学びます。そして品性においてキリストに似た者に変えられていきます。
①敬虔な信仰生活を送る
パウロは、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めることを命じました。
Ⅰテモテ6:3~6、9~10
違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しない者がいるなら、その人は高慢になっていて、何一つ理解しておらず、議論やことばの争いをする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、ののしり、邪推、絶え間ない言い争いが生じます。
これらは、知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段と考える者たちの間に生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。・・・金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。
キリストの言葉と聖書の教えに反対し、議論や言葉の争いをする人は、敬虔なふりをしていても、実際は高慢なのです。「知識(グノーシス)」を持っていると主張しても、それは真理に反対する人間の作り話にすぎません。敬虔を利得の手段と考える者たちは、自分を優れた者に見せようとして真理を教える教師たちをねたみ、争いを引き起こし、ののしり、邪推し、口論するのです。彼らの根底にあるのは金銭愛で、自分の利益のために真理を歪め、結局は信仰から迷い出て、身を滅ぼしてしまうのです。
ガラテヤ5:19~21
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。Ⅰテモテ4:7~8
俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来たるべきいのちを約束する敬虔は、すべてに有益です。
②聖書を学び、御言葉を教える
Ⅰテモテ4:12~13、16
あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい。私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。・・・自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。働きをあくまでも続けなさい。そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、救うことになるのです。
聖書を正しく学び、他の人々にも教えましょう。
使徒20:32
みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。
そして、愛をもって間違いを指摘し、悟らせ、悔い改めに導くことも必要です。「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するより良い(箴言27:5)」のです。
テモテへの第二の手紙でも、聖書を学び、御言葉を教える重要性が語られています。
Ⅱテモテ3:12~17
確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。・・・聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。Ⅱテモテ4:2~5
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
世の終わりには、「獣」と呼ばれる反キリストが世界的なリーダーとして立ち、全世界に偽りの平和をもたらすと考えられています。イエス様を知らない多くの人々は、彼に信頼し、期待し、従うでしょう。ユダヤ人やクリスチャンの中にも惑わされる人々が出てくるかもしれません。しかし、彼はやがて自分を神とし、自分を崇めない聖徒たちを激しく迫害するようになります。
コメント
シャロンさん更新嬉しいです!ありがとうございます!
創世記17章1節のあなたは私の前に歩み、全き者であれというみことばを思い起こされました。
主の前に偽りのない信仰で応答していきたいと思います!
クリスマスやイースターも異教由来なのでは?と感じてましたので勉強になりました!
またお時間があるときでよいので、置換神学やディスペンセーション主義のおかしな点等にについてもまた教えて頂きたいです🙇勉強しておりますが、難しいです😅
ちょりちょりさん、いつも当ブログの記事を読んでくださりありがとうございます。
ちょりちょりさんの学びと聖書理解のお役に立てて嬉しいです。
私も聖書を学んでいる最中、まだわからないところもありますが、リクエストにお応えできるように努めたいと思います。
これからも主と御言葉に繋がって、共に御国を目指しましょう!