巧妙な誘惑
クリスチャンを神から引き離すために、悪魔はどんな策略を仕掛けてくるのでしょうか? クリスチャンを堕落させる悪魔の誘惑の本質とは何でしょうか?
イエス様は荒野で悪魔の3つの誘惑に勝利されました。悪魔の目的、巧妙な手口、神の子に対する挑戦、そしてイエス様がそれらにどのように立ち向かわれたかを見ていきましょう。
ルカ4:1~13
さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」
また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」
また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」
誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
悪魔は、イエス様が神の子であること、イエス様が天から地上に送られた目的と神のご計画を知っていました。それは、イエス様が十字架の死によって人類の罪を贖い、復活によって死に勝利し、罪人に救いの道を開くこと、そして世界の支配権を悪魔から取り戻し、王となって永遠の神の国を治めることです。悪魔の誘惑の目的はその計画を破壊すること、つまり、イエス様を救い主として失格させ、全地の王から引きずり下ろし、神の子であることを否定することです。
そのために悪魔は、イエス様に対し、神中心ではなく自分中心に考えさせようとしました。誘惑の特徴は、神の目的・計画・方法を、人間の目的・計画・方法にすり替えることです。
誘惑1 石をパンに変えて自分の命を救う(自力での救い)
イエス様は40日間の断食期間中、毎日悪魔からの試みに会い、その後、非常に空腹を覚えられました。そこで悪魔は、「あなたが神の子なら、この石にパンになるように命じなさい」と言いました。悪魔は、イエス様の人としての生存本能に働きかけました。
悪魔はまず、イエス様が神の子であり、創造主であるという事実を肯定するところから誘惑を開始しました。石をパンに変えることは、創造主のイエス様にできないことではありません。悪魔は、神の子の力を自分のために使うことを提案しました。
その提案の意味合いは、このような内容でしょう。
「神からの使命を達成するために、まず神の子の力で石をパンに変え、食べて体力を回復しなさい。メシアであるあなたが飢え死にしたら、神の計画は実現しない。40日間も断食し、荒野で生存の危機にあるのだから。世界を救う前に、まず自分の命を救いなさい。」
人は罪ゆえに死ぬべき存在となってしまいました。悪魔は弱い肉体を持つ人となられたイエス様に、死の恐れを与えようとしたのです。そしてイエス様が神に信頼するより悪魔の提案に乗って、自力(悪魔の方法)で自分を救うように誘導しました。
状況を見て不安になり、「自分で何とかしなければ」と自分の知恵や努力で自分を守ろうとすることは、神に信頼していない証拠です。恐れのために神が見えなくなってしまう時、悪魔の誘惑に乗ってしまいます。
エデンの園でエバを神に背かせ、食べてはいけない木の実を食べさせた時、悪魔は「本当に神がそう言ったのか?」と神のことばに疑問を抱かせ、「食べると死ぬのではなく、目が開かれて神のようになれる」と、魅力的な解釈で誘惑しました。エバに対しては満たされた環境で貪欲を引き出しましたが、イエス様に対しては、生死を分かつ危機的状況の中で、神に頼らず自力で自分を救う名案を提供したのです。
イエス様は死という究極の危機を回避するために、悪魔の提案を採用されることはありませんでした。イエス様が悪魔を退けた御言葉は、申命記8章3節からの引用、「人はパンだけで生きるのではない」でした。
申命記8:2~3
あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
これはモーセがイスラエル民族に語った言葉です。エジプトを脱出したイスラエル民族が40年間荒野を放浪していた時、主はイスラエル民族が主の命令を守るかどうか、その心を知るために試みを与えられました。それは、人は食物で生きる肉体的存在であるだけではなく、主の御言葉によって生きる霊的存在であることを教えようとされたからです。
神を信じる者にとって、「肉体の命」以上に重要なものは「霊的ないのち」です。救いの始まりから完成に至るまで、栄光のからだに変えられて神の国を相続する時まで、私たちは神のことばによって養われる必要があります。神のことばが私たちの霊的成長の糧です。
イエス様はイスラエル民族の肉の子孫として、同じテストに合格されました。40日間のサタンの試みの後、神の命令を守り、神の御言葉に信頼して生きることを実践されたのでした。
イエス様は「いのちは神からの賜物である」と示し、自己努力で自分を救うことを放棄されました。悪魔の挑戦に対して、「救いは神から来る」こと、そしてご自分が人類の救い主であることを証明されたのです。
ヨハネ6: 51
わたしは、天から下ってきた生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
ヨハネ6:27
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
神こそ私たちのいのちの源であり、存在の保証です。イエス様の御言葉がいのちを与えます。誘惑に勝利する秘訣は、神と神の御言葉に絶対的信頼を置き続けることです。
誘惑2 国々の権力と栄光を手に入れる(王としての支配)
次に悪魔は、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、悪魔を礼拝することと引き換えに権力と栄光を与えようと提案しました。
ルカ4:6,7
「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
悪魔は今回も事実から始めました。
事実① 最初の人アダムが神に背き、世界の支配権を悪魔に奪われてしまいました。悪魔は「この世の神」となり、国々と支配者たちを背後で動かしています。
事実② イエス様は天地万物を創造された神ご自身です。世界はイエス様が所有し、支配すべきもの、いっさいの権力と栄光はイエス様のものであるべきです。
神のご計画は、メシアが十字架の死と復活によって死と悪魔の力を打ち破り、人類が奪われた支配権を取り戻し、御子自身が全地の王となって統治し、義と平和のメシア王国、永遠の御国を実現することでした。
もし十字架の死が実現しなければ、罪を赦す道は閉ざされ、イエス様は救い主として失格、悪魔は人間とこの世界を支配し続けることができます。
悪魔はイエス様に十字架を回避して全世界の王となるための近道、はるかに安易で、苦しまないですむ楽な方法を提案しました。
「罪の無い神の御子ともあろう方が、神に反逆する汚れた罪人の身代わりに、辱しめられ、苦しめられ、罪人とされて死ぬ、何と残酷で理不尽な計画。私を拝むなら、あなたが全世界の王となるために、もっと有利な、もっと良い方法を提供しよう」
イエス様は申命記6章と10章の要約として、神を信じる者の最も重要な態度を宣言しました。「あなたの神である主を礼拝しなさい、主にのみ仕えなさい。」
申命記6章には、イスラエル民族が約束の地を所有し、すべての良いものを受けて幸せになり、長生きし、繁栄するために、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして主を愛する」こと、「主の命令とさとしとおきてを忠実に守り、主を恐れ、主にのみ仕え、周辺諸国の神々に従ってはならない」と教えられています。
10章では、天と地にあるすべてのものは主のものであり、諸国民から選ばれたイスラエル民族に神が求めておられることは、「ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために主の命令と主のおきてとを守る」ことであると教えられています。
イエス様は神の御子であり、世界の全てのものはこの方によって造られました。すべての被造物の所有者であり、すべての権力・栄光・賛美・誉れは主のものであるべきです。けれども人となられた主は、すべてにおいて父なる神の権威に従われ、死に至るまで従順されました。そして御父は、御子の従順ゆえに、御子を死から復活させ、権力と栄光をお与えになったのです。
エペソ1:20~21
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
天使長として被造物の中で最高位に就き、神に次ぐ立場にいたルシファーは、神のようになって崇められたいと高ぶり、反逆して天から落とされ、悪魔となりました。
度を超えた所有欲・権力欲・支配欲は、悪魔から来るものです。自分の名声・権力・栄光を求める時、そこに誘惑が来ます。自分の使命を達成するためであっても、神の方法を捨て、自分にとって都合良い方法を選ぶなら、サタンの誘惑に陥ります。悪魔と取引してはいけません。
誘惑3 神殿から飛び降り、特別な存在であると示す(霊的優越性)
イエス・キリストは真の神です。やがて永遠の神の御国が到来し、天と地にあるものが一つになって、全ての被造物が父なる神と御子を礼拝することを、悪魔は憎悪しています。その時、悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれ、永遠に苦しみを受けるのです。
悪魔は最後に、「あなたが神の子なら、神殿の屋根から飛び降りてみなさい」とイエス様を挑発しました。イエス様が神の時を待たず、神の方法によらずに、超自然的な方法で、ご自分が神の子であると証明するように誘惑したのです。悪魔は御言葉を根拠にしました。
詩編91:11~12節
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。
「御使いが飛んで来て、神殿から飛び降りたあなたを空中で支えるなら、人々はそれを見てひれ伏し、あなたを礼拝するでしょう。あなたのことを約束されたメシア、神の子であると認めるでしょう。」
詩編91篇は、「主を避け所とし、いと高き方の隠れ場に住み、全能者の陰に宿る者」には、主によって完全な守りが与えられると教えています。イエス様は神の御子であり、父なる神の愛の中におられますから、確かに神は守ってくださいます。
悪魔は御言葉をよく理解しています。悪魔は詩編91篇を利用しました。
「あなたは神の御子、神を愛し、神を避け所とし、神を信頼しているのだから、あなたが神殿から飛び降り、神を呼び求めれば、神は御使いを送ってあなたを支え、あなたに誉れを与えて下さると書いてあります」と。
詩編91:14~16
彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
イエス様の答えは、申命記6章16節「あなたの神である主を試みてはならない」でした。
奇跡やパフォーマンスによって人々の関心を引き付け、偉大な力を見せて神として自分を誇示することは、イエス様の方法ではありませんでした。奇跡や現象・しるしを見てイエス様を信じても、神様が喜ばれるわけではありません。
父なる神様は人間を愛し、私たちが自由意思で神に従い、神を愛することができるように、予め十字架を備えてくださいました。イエス様は御子であられるのに、神に背いた人類を救うために、私たちの罪の身代わりに十字架に架かられたのです。私たちが罪人であった時に、神が先に私たちを愛し、いのちを捨ててくださったのです。
無条件の愛と犠牲で救われた私たちは、感謝と愛をもって真心から神を礼拝し、従い、仕える者です。
自分の名誉、人からの称賛を求めることも、自分の成功・祝福のために神を礼拝することも、神の定められた時と方法を変えようとすることも、自分を神とすることです。
この誘惑に勝利する秘訣は、神の御子イエス様を模範とすることです。
ピリピ2:6~11
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
まとめ
悪魔は、イエス様が神の子であり、人類救済の使命を持って地上に来られたことを知っていました。そこで、神の計画されなかった別の方法を提案し、御心の実現を阻止しようと画策しました。それは御子の救い主としての完全性、王としての支配、唯一真の神の神聖に対する挑戦でもありました。
悪魔は事実を前提に誘惑を始めます。そこに偽りの知恵を与え、いかにも魅力的な提案をして、自分に都合良く思える理論とやり方で目的を達成するように仕向けます。
まず、使命達成のために、神に信頼するのでなく、自力で自分のいのちを救うことを提案しました。これは救い主としての資格を失わせようとする挑戦です。
次に、十字架という苦難を通らずに国々を治める王となるために、悪魔を拝むことを提案しました。全世界の王を悪魔の下に引きずり降ろそうとする企みです。
最後に、霊的パフォーマンスによって自分を神として現すように誘惑しました。神の絶対性・超越性に対する冒涜です。これも十字架を避けるための画策でした。
イエス様が誘惑を退けた方法は、すべて神のみことばの宣言でした。
悪魔はクリスチャンに対しても、人間の最も基本的な「生存本能」で誘惑できなかったなら、次には「富・地位・名誉・名声」「所有欲・権力欲・支配欲」で誘惑するでしょう。最終的には、「霊的高ぶり」…神のようになりたいというサタンと同じ欲望で誘惑するかもしれません。
悪魔の提案に乗ると、神様の目的を達成することができないばかりか、悪魔の支配下に陥り、神から引き離されて信仰を失うことになります。
悪魔は最後まで十字架の死を中止させようと試みました。民衆を使い、十字架上のイエス様に向かってこう言わせました。「神の子なら今すぐそこから降りてみろ。そうしたら信じるから。」
悪魔は十字架によって敗北させられました。ですから十字架が大嫌いです。
悪魔はまた、イエス様に倣い、十字架の歩みをするクリスチャンも大嫌いです。
ですから主はこう言われました。
マタイ10:38~39
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
ヤコブ4:7
神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
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