偽イエス、偽の霊的体験から自分を守る

クリスチャンの成長
トーラー
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1.霊的体験を吟味する必要性

イエス様の訪問を受けた、イエス様に天国や地獄の光景を見せてもらった、御使いを直接見た、というような体験談を聞くことがあります。

イエス様の夢を見た、あるいは聖霊に満たされて祈っていたらイエス様が幻で現れた、ということはあり得ます。ではイエス様本人が現れ、直接、御顔を見ることはあるでしょうか。それらの特別な体験は、聖徒たちを真の信仰から引き放そうとする偽りの体験であるかもしれません。

聖書は、神からの霊であるかサタンからの霊であるか、吟味しなければならないと忠告しています。

Ⅰヨハネ4:1
愛する者たち、霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
Ⅰテモテ4:1
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

上記2つの聖書箇所からわかるのは、惑わす霊や悪霊に遭遇し、その霊をイエス様から来た霊と思い込んでその教えに心を奪われた人が、信仰から離れたり、にせ預言者になったりする可能性があるということです。

イエス様や御使い(実は偽物かもしれない)に出会う体験をすると、自分は特別な存在で、特別な使命が与えられているのだと思い、熱心に仕えるようになるかもしれません。けれども、聖書をよく理解していないために霊を見分けることのできないクリスチャンを惑わし、聖書の教える真理や真のイエス様から引き離そうとする、敵の使いがいるということを覚えていなければなりません。

2.イエス様は、万物の改まる時まで天にとどまっていなければならない

神様はメシヤ(救い主)を地上に送ることについて、多くの預言者たちを通して語られました。預言者たちはメシヤの来臨について共通する理解を持っていました。それは、メシヤが天から地上に下って来る時には「万物が改まる」ということです。

使徒3:20~21
それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。

イエス様がこの地上に再び来られるのは、万物の改まる時です。それまでは父なる神様の右の座に座っておられます。

① 万物が改まる時、天の万象が揺り動かされる

万物が改まる時には、いったいどのようなことが起こるのでしょうか。

ルカ21:25~27
日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

イエス様が雲に乗って来られる時には、これまで地球上に起こったことのない、人類がこれまで体験したことのない地球規模の天変地異、大異変が起こり、天の万象が揺り動かされるのです。

② 天の万象が焼け崩れ、新しい天地に変わる

Ⅱペテロ3:10~13
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

イエス様の再臨の前に今の天地は火で焼かれ、地も地上にある人間のわざも焼き尽くされ、天の万象は焼け溶けてしまうと書かれています。そしてすべてのものが火で滅ぼされた後、新しい天と新しい地に変わることが示されています。
義なる王・イエス様が再臨される時、新天新地・正義の住む新しい天と新しい地が実現します。

このように万物の改まる時が来るまでイエス様が地上に再臨されることはありません。
個人的にイエス様の訪問を受けた、イエス様が天国に連れて行ってくださった、というような体験談は吟味しなければなりません。

3.主が来られる前には苦難の時代がある

イエス様は、このような天地の大異変が起こる前には地上に戻って来られません。そして、主の再臨の前には大艱難時代があると教えられています。

① 苦難の時代に現れるのは偽キリスト

主の日が来る前には、クリスチャンの信仰が堕落し(背教)、偽キリスト(不法の人、滅びの子)が現れて、多くの人をイエス様から引き離すようになります。その偽キリストは、自分に従わない者、つまり、本当の救い主であるイエス様を待ち望んでいる聖徒たちを迫害します(2テサロニケ2:1~3)。

マタイ24:21~27
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

ひどい苦難の時代(大患難時代)に、あちらこちらで「イエス様が来た」という偽情報が伝えられますが、信じてはいけないと主が警告されています。それは、本当の信者たちをも騙そうとする偽物だからです。イエス様の再臨は、人々の目にはっきり見えるように(暗闇にいなずまがひらめくように)起こります。それ以前に、イエスと名乗り、大きなしるしや不思議なこと(奇跡)をする者がいても、それはイエス様ではありません。

② 苦難の日に続いて万物が改まり、イエス様が来られる

マタイ24:29~31
だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

イエス様は大患難時代の最後、天の万象が揺り動かされる時、輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗り、御使いたちを連れて来られます。そして御使いが聖徒たちを主のもとに集めます。

Ⅰテサロニケ4:16~17
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

イエス様が天から下って来られる時、主にある死者の復活と生き残っている信者の栄化(栄光のからだに変えられる)が起こります。救いが完成した聖徒たちは御使いによって空中に引き上げられ、主のもとに連れて行かれます。主とお会いし、それからはいつまでも主と共にいることになります。この時まで、クリスチャンが直接イエス様とお会いすることはありません。

4.偽イエスの訪問に惑わされないために

① 御使いを崇める危険

イエス様や御使いの幻を見ることはあるかもしれません。御使いによって助けられることもあるでしょう。でも、聖書は御使い礼拝を戒めています。

コロサイ2:18~19
あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。

御使いを見たと言って誇り、間違った教えを広めたり、自分をも他の人々をもイエス様から引き離してしまう者が出てきます。神に逆らう堕落天使たち、サタンの使いは、クリスチャンを主から引き離して自分に引き寄せようとします。しかも、イエス様に成りすまして出てくることもありえるのです。

Ⅱコリント11:14
しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

一方、神に仕える良い御使いは、神の命令に忠実に従います。必ずしも姿を現すわけではありません。必要以上に現れて自分を誇示したり、自分を礼拝させたりはしません。

へブル人への手紙1:14
御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。

ですから、御使いを見たことを誇ったり、御使いを崇めたりして、道を誤らないようにしましょう。

② キリストの御霊に聞き従う

Ⅰヨハネ2:20,27
あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
・・・あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

ここで「注ぎの油」「彼の油」と言われているのは「キリストの御霊」「聖霊」のことです。クリスチャンのうちには、御使いよりも優れた方、創造主であり贖い主であられるキリストの御霊がおられます。聖霊が私たちと共に住まわれるということは、父なる神と子なる神も、私たちのうちにともに住まわれているということです。クリスチャンは聖霊によって、三位一体の神と一つになっています。

そして私たちには神の言葉「聖書」が与えられていますから、誰かの教えが聖書の教えと一致しているか、御言葉から吟味することが大切です。聖霊は真理の御霊、キリストを証しする霊です。私たちに聖書の御言葉を解き明かし、キリストの御言葉を思い起こさせてくださいます。聖霊は御言葉に反する教えはされません。

このように、聖書とキリストの御霊が私たちに教えて下さるので、私たちは御使いから教えや啓示を受けようとしなくても良いのです。

ですから、偽イエスや堕天使の現れに騙されないようにしましょう。偽の天国体験を聞いて心を奪われないようにしましょう。自分も惑わされないように、また偽りを信じて他の人を惑わすことにならないように、御言葉を学び、真理に留まり続けてください!