弟子の歩み

教会とイスラエル

イスラエルと教会を隔てる信仰の壁に対処する

諸国に散らされたユダヤ民族は、教会が真理を正しく伝えているか、キリスト教の真価を試します。ユダヤ人がイエス様を信じないのは、イスラエル民族とクリスチャンのメシア観、律法と救いと神の国についての理解が異なっているからです。
キリストの心

信仰が揺らいでいる人に伝えたい「こんなに素晴らしい救い」 

神は人を神のかたちに創造し、被造物の世界を支配する者と定められました。御子は人として罪と死に勝利し、支配者の地位に就かれました。御子を信じる者も、栄光と誉れの冠を受け、神の似姿と身分を取り戻し、永遠の神の国で主とともに支配するのです。
礼拝メッセージ

心を動かされた者たちによる神への献げもの

金の子牛事件を経て、悔い改めたイスラエルの民は、心を動かされて、持てる物を惜しみなく献げ、進んで奉仕して幕屋を造った。それは神の霊を受けた真の奉仕者の姿であった。私たちの奉仕も、感謝の心で行う、神への最良の献げものでなければならない。
霊的戦い

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい」

エペソ教会が直面した偽教師やグノーシス、異教を取り込んで変質したカトリック教会、プロテスタント教会に侵入した異なる霊の現象と教え。惑わしの時代に生きているクリスチャンの信仰の戦いとは、聖書の正しい教えを守り、いのちを勝ち取るための戦いです。
福音宣教

ペンテコステの検証:聖霊のバプテスマの目的と異言の役割

五旬節の日、弟子たちに炎のような舌がとどまると、彼らは聖霊に満たされ、他国のことばで神の大きなみわざを語り始めました。異言は、バベルの塔事件以来、ことばが通じなくなっていた人々に、救い主イエスを証しする宣教の手段として与えられたのです。
クリスチャンの成長

思い違いをして御国を相続できないクリスチャン

キリストを信じたクリスチャンでも、不正や淫行をしている者は思い違いをしていて御国を相続できない。真のクリスチャンは神が御子イエスのいのちという代価で買い取った存在であり、内に聖霊が住む宮であることを知り、それに相応しく神の栄光を現す者。
福音宣教

艱難時代の福音宣教:主が来られる時まで、御国の福音を宣べ伝える

全世界に福音が宣べ伝えられるとイエス様が再臨されます。クリスチャンは大艱難時代の迫害の中、御国の王と御国の到来に希望を持ちつつ、滅びゆく人々に福音を語り、悔い改めに導きます。主が来られた時、ともに永遠のいのちと永遠の祝福を受けるためです。
教会とイスラエル

新しいひとりの人:クリスチャンとイスラエルの救いの完成

イスラエルの不従順は異邦人を救うための神のご計画です。イスラエルの救いが完成すると、神の人類救済計画も完了します。教会とイスラエルはキリストにあって同じ神の国の国民としてともに完成し、新しいひとりの人として永遠の御国を受け継ぎます。
クリスチャンの成長

自分を献げたイサクの信仰:よみがえりのいのちに生きる

アブラハムのイサク奉献は、人類を罪から贖うために父なる神が御子イエスを捧げたことを予表しています。自分を全焼の生贄として捧げたイサクは、贖いの小羊として十字架で死なれた御子のひな型です。イサクは諸国民の祝福のために自ら死を選び取ったのです。
クリスチャンの成長

神の国到来の幻:十字架を背負う弟子へと変貌させた変貌山での体験

主の贖いの死と復活を理解せず、互いに高ぶり、競い合っていたペテロとヤコブとヨハネ。主を裏切り、主の死に絶望した彼らが、主の再臨と神の国到来の希望を握り、命がけで福音を伝える者に変えられたのは、変貌山で見た幻の意味を悟ったからでした。