「エリヤは生きたまま天国に行った」という教えの問題

預言者エリヤの像 その教えは聖書的?
預言者エリヤの像
この記事は約13分で読めます。

第二列王記2章に、預言者エリヤが、後継者エリシャと多くの預言者仲間の見ている前で、竜巻に乗って天に上げられたという記事があります。この箇所から、エリヤは死なずに天国に行ったという教えを聞くことがあります。果たしてその教えは聖書的なのでしょうか?

この記事では、エリヤが死んだと考えられる理由を御言葉から解き明かし、エリヤが生きたまま天に行ったという教えが間違いであることを説明します。

1.事実関係の確認

それでは、先に第Ⅱ列王記2章を読みましょう。

第二列王記2:1~18
2:1 【主】がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。
2:2 エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。【主】が私をベテルに遣わされたから」と言ったが、エリシャは言った。「【主】は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。
2:3 すると、ベテルの預言者のともがらがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「きょう、【主】があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください」と答えた。
2:4 それからエリヤは彼に、「エリシャ。ここにとどまっていなさい。【主】が私をエリコに遣わされたから」と言った。しかし、彼は言った。「【主】は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコに来た。
2:5 エリコの預言者のともがらがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「きょう、【主】があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください」と答えた。
2:6 エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。【主】が私をヨルダンへ遣わされたから」と言った。しかし、彼は言った。「【主】は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。
2:7 預言者のともがらのうち五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりに立ったとき、
2:8 エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。
2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。
2:10 エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。
2:12 エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。
2:13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。
2:14 彼はエリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、【主】はどこにおられるのですか」と言った。彼も水を打つと、水が両側に分かれたので、エリシャは渡った。
2:15 エリコの預言者のともがらは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言い、彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をした。
2:16 彼らはエリシャに言った。「しもべたちのところに五十人の力ある者がいます。どうか彼らをあなたのご主人を捜しに行かせてください。【主】の霊が彼を運んで、どこかの山か谷に彼を投げられたのかもしれません。」するとエリシャは、「人をやってはいけません」と言った。
2:17 しかし、彼らがしつこく彼に願ったので、ついにエリシャは、「やりなさい」と言った。それで、彼らは五十人を遣わした。彼らは、三日間、捜したが、彼を見つけることはできなかった。
2:18 彼らはエリシャがエリコにとどまっているところへ帰って来た。エリシャは彼らに言った。「行かないようにと、あなたがたに言ったではありませんか。」

この出来事の前に、エリヤは自分の後継者としてエリシャに油を注ぎました。
エリヤはバアルとの戦いに勝利した後で、自分を殺そうとするイゼベルから逃げ、自分の死を願い、主にいのちを取ってくださるように言いました。そして40日40夜歩いて主の山ホレブに行き、生き残った預言者は自分一人であること、イゼベルにいのちを狙われていることを訴えました。

主はエリヤに3つのことを命じられました。
①ハザエルに油を注いでアラムの王とする。
②エフーに油を注いでイスラエルの王とする。
③エリシャに油を注いで後継者とする。

エリヤはそのうちの一つを実行し、エリシャに油を注ぎました(Ⅰ列王記19章)。

では次に、この出来事に記されている事実関係を確認しましょう

① エリヤは自分のいのちを取って下さるよう、主に願いました。(Ⅰ列王記19:4)

神はエリヤの願いを拒否されず、後継者としてエリシャを任命されました。

② エリシャも「預言者の仲間たち」も、エリヤが取られることを知っていました。

「主があなたの主人を取りあげる」「私が取り去られる」という表現で「生きたまま天国に連れて行かれる」と理解するのは早計です。「取られる」という表現は「いのちを取られる」を意味しています。(参照:「人の子の日」の滅びから救われる

③ 火の戦車と火の馬が二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天に上げられました。

「火の馬」と「火の戦車」が竜巻を引き起こしたのでしょうか。エリヤは空中に巻き上げられ、見えなくなりました。

④ 「預言者の仲間たち」はエリヤの霊がエリシャにとどまっているのを悟りました。

エリシャがエリヤに2倍の霊を求めた時、「預言者の仲間たち」はヨルダン川の反対側にいたので、二人の会話は聞こえなかったでしょう。にもかかわらず、預言者たちは遠くから見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」のを知りました。

⑤ 「預言者の仲間たち」50人がエリヤのからだを3日間探し回りました。

彼らは「主の霊がエリヤを運んで、どこかの山か谷に投げたかもしれない」と言い、いなくなったエリヤを3日間捜し回りましたが、見つけられませんでした。

預言者たちは、エリヤが取られることを知っており、エリヤの霊が出たことも悟りました。彼らは、神の御計画を理解しており、霊の耳が開かれ、霊の目が開かれた人々です
その預言者たち50人は、竜巻によって天に上げられたエリヤのからだが地上のどこかに落ちていると考え、エリヤを3日間探し回りました。彼らは、エリヤが天国に行ったと考えたのではありませんでした。

2.エリヤが死んだと考えられる理由

預言者たちは「エリヤは死んだ」と理解して遺体を探しに行ったと考えられます。その根拠は何でしょうか。

1.霊が身体から抜け出ると人は死に、身体に霊が入ると生き返る

詩編146:4(新改訳聖書2017)
霊が出て行くと 人は自分の土に帰り その日のうちに 彼の計画は滅びうせる。(新改訳聖書第3版では 「その息が絶えると」)

イエス様が十字架上で死なれた時の様子はこう書かれています。

ルカ23:46
「父よ、わが霊を御手に委ねます」こう言って、息を引き取られた。

ヨハネ19:30
イエスは、…「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

イエス様はご自分の霊を父なる神様に渡されて、息を引き取られました。

また、ステパノは石打ちにされた時、霊を渡して眠りにつきました。

使徒7:59~60
ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」・・・こう言って、眠りについた。

このように、霊が身体から出ると人は死んでしまいます。

反対に、霊が戻ると生き返ります。

ルカ8:55
娘の霊が戻って、娘はただちに起き上った。

死んでいたヤイロの娘の場合、霊が戻って来て身体に入ったので生き返りました。

預言者たちは「エリヤの霊がエリシャにとどまった」のを知りました。それで「エリヤから霊が抜け出た。だからエリヤは死んだ」と理解したと思われます。

2.「霊」は、神が人に分け与えた「いのちの息」「全能者の息」

霊が人から出るとはどういうことなのでしょうか?
神が最初に人を造られた時、霊とはどのようなものだったかを見ましょう。

創世記2:7
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで人は生きものとなった。

ヨブ記32:18
人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。

「霊」とは、ちりで造られた身体に吹き込まれた「いのちの息」「全能者の息」です。「神は霊」なので、霊は被造物ではありません。神が、被造物である人を生かすために分け与えて下さったものです。

神がアダムのからだを造り、いのちの息(霊)を吹き込まれたので、人は生きものになりました。アダムが罪を犯したため神との関係が壊れてしまいましたが、神はすぐに霊を取り上げることはなさいませんでした。

人間は神から「霊」を与えられている期間だけ、生きていることができます。そして、人は死ぬ時、最後のひと息(霊)を吐き出し、眠りにつくのです。

詩編78:33
神は、彼らの日をひと息のうちに、彼らの齢を、突然の恐怖のうちに、終わらせた。

詩編90:9
まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。

詩篇146:4
霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、その日のうちに彼の諸々の計画は滅びうせる。

伝道者12:7
ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

人が死ぬと、身体は朽ち果ててちりに帰りますが、全能者の息である霊は不滅で、神のもとに帰ります。(「魂」が天に帰るという教えは聖書には存在しません。)

結論:
預言者達は、エリヤから霊が出てエリシャにとどまったので、エリヤが死んだとわかり、竜巻に巻き上げられて飛ばされたエリヤの遺体を探し回ったと考えられます。
エリヤの霊はエリシャにとどまり、神のもとには帰りませんでした。
霊の抜け出たエリヤの身体は、やがてちりに帰ったはずです。

3.「エリヤは天にいない」と考えられる理由

人間は神のおられる天に上ることができないことを、御言葉から検証しましょう。

1.天の定義

天地創造の時、神様は大空を天と名付け創世記1:8)、天の大空を鳥が飛ぶようにされました(創世記1:20)。また、天の大空に光るもの(太陽、月、星)を造り、地上を照らさせ、昼と夜を区別させ、季節と日と年のためのしるしとされました(創世記1:14)。このように神は、大空と宇宙空間を「天」と呼んでおられます。

ですから、「エリヤが天に上げられた」というのは、大空または宇宙空間に上げられたということになります。竜巻は地上を離れて大気圏外には存在できません。エリヤもそのような場所では生存できません。エリヤが上がった天とは、竜巻の上がる範囲の空間を指していると思われます。しばらくすると竜巻は消え、その時エリヤは地上に落ちたことでしょう。ですから預言者たちは3日間もエリヤを探し回ったのです。

2.天は神の領域、人間に与えられた場所ではない

詩篇115:16
天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。

人間が住むべき場所として与えられたのは「地」です。人は地のちりから造られました。生存するためには、食物を通して同じ地の成分を取り入れ続けなければなりません。天は人の存在する場所として造られたのではありません。

3.天に上った人間はいないーイエス様の証言①

ヨハネ3:13
「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。」

イエス様はご自身を指して人の子と言われました。神(霊なる方)が人(ちりでできた身体を持つ存在)となられたからです。天から下って来た方はイエス様ただ一人で、この方だけが再び天に上られました。天から来られたイエス様が、天に上った人間はいなかったと証言されたのですから、エリヤは神様のおられる天にはいないのです。

4.人間が神を見ることはできないーイエス様の証言②

ヨハネ6:46
「だれも神を見た者はいません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。」

イエス様は、神を見たことがあるのは神から出たご自分だけであると証言されました。人(アダム)は地(アダマー)から出た存在で、神を見たことはありません。
エリヤは神の声を聞きましたが、見ることはできませんでした(Ⅰ列王記19:11、12)。

出エジプト33:20
「人はわたしを見て、なお生きていることはできない。」

これは神様がモーセに言われた言葉です。仮にエリヤが生きたまま「神のおられる天」に行ったとしても、神を見たら死んでしまいます。人間は罪ゆえに神の御顔を見て生きていることはできないのです。

5.「人が天(神の領域)に上る」は、十字架を否定する教え

聖書で「死」は、人が罪を犯した結果、受けなければならなくなった裁き、罪の報酬です。罪ゆえに呪われ、死んでちりに帰り、滅びてしまうのです。
人はアダムの罪以来、エデンの園を追放されてしまいました。原罪のある身体で、永遠に生きておらる聖なる神とともに住むことができないからです。

罪ある人間には、自分で自分の罪を取り除き、清くなることはできません。ですから、地に住む人間のために、神の御子が人となって地上に降りて来てくださり、身代わりに十字架で死なれ、罪を贖い、信じる者を義としてくださったのです。

ローマ人への手紙3:23~24
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

旧約時代のエリヤがキリストの贖いを受けずに天に行くことができたなら、イエス様の十字架は必要なかったことになります。エリヤは罪の無い完全な義人だったのでしょうか? いいえ! エリヤは、最後に与えられた神の3つの命令のうち、自分に都合の良い1つだけを実行し、他の2つは行いませんでした。神の命令に背くという罪を犯してしまいました。ですから神からの栄誉を受けることはできません。

旧約時代に生きたエリヤのからだは、キリストの血潮によって贖われていませんでした。朽ちる罪あるからだのままで、神とともに住むことはできないのです。

6.「人が天(神の領域)に上る」は、復活と神の国を否定する教え

人が最終的に死と滅びから救われる方法は、罪のない不滅の身体によみがえることです。それは、イエス様が再臨され、死者が復活する時に起こります。イエス様の血によって罪赦されて義と認められた者は、イエス様の再臨の時に救いが完成し、神と共に生きることのできる身体に変えられ、永遠のいのちが実現します。

Ⅰコリント15:50
血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。

ピリピ3:20~21
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

人間が天(神様の領域)に上がるのではなく、神であるイエス様が天から地(人間の領域)に降りて来られます。再臨されたイエス様は地上にメシア王国を打ち立て、王として全世界を支配されます。そして子羊の御座のある永遠のエルサレムも、天から地上に降りて来ます。天の御国、永遠の神の国は地上に出現するのです。

7.天に上るという発想は悪魔から来る

イザヤ14:12~15
暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。

「暁の子、明けの明星」とはバビロンの王のことで、被造物としての立場をわきまえず、神のようになろうとした傲慢さゆえに、よみに落とされると宣告されました。

「天に上って、いと高き方(=神)のようになる」という願望は悪魔から来ます。
悪魔がエデンの園で人を誘惑し、食べてはいけない木の実を食べさせた時に語った言葉は、「あなたがたの目が開け、神のようになる」でした。悪魔は神のようになりたいという願望を人に抱かせ、悪魔自身と同じ罪を犯させようとしているのです。

まとめ

人が神のおられる天の領域に上ることができるという思想は、人間の罪深さの現れであり、聖書の真理に反します。

もし人が天に上れるのであれば、神の御子が人となって地上に来られ、人の罪を贖うために十字架で裁かれて死ぬ必要はありませんでした。また、罪ある滅びる身体のままで天に上れるのであれば、キリストが再臨して、死者を栄光の身体に復活させてくださる必要もありません。
地上のメシア王国の必要も、御国が来るようにと祈る必要もないということになります。

被造物である人間は、聖なる神のおられる天に上ることはできないのです。
ですから「エリヤは生きたまま天国に行った」という教えは間違った教えと言えます。それは、「あなたは神のようになれる」という悪魔の惑わしから出たものなのです。