その教えは聖書的?

ラザロと金持ちのたとえ話① 金を愛するパリサイ人への警告

神よりも金を愛し、モーセと預言者たちを信じない者に対する預言的なたとえ話です。「不正な管理人」のたとえ話と合わせ、聖書を信じないならキリストの死と復活を見ても、イエスをメシアと信じて救われることがないと警告し、悔い改めを迫ります。
クリスチャンの成長

偽イエス、偽の霊的体験から自分を守る

世の終わりには、イエス様の訪問や御使いとの遭遇、天国・地獄の体験談など、霊的惑わしが増加します。聖書は、再臨の前には苦難の時代があり、天の万象が崩れ去ること、私たちが主とお会いするのは、万物が改まって新しい天地が訪れる時であると教えています。
礼拝メッセージ

目が開かれた人

エマオへ下るこの二人。一緒に歩き、話しているのがイエス様だと分からない。なぜ、分からないのか?「自己中心」というフィルターで、目がさえぎられていると物事の真の姿が見えないのです。しかし、真理を知ると、目が開かれ、全てが見えるようになります。
礼拝メッセージ

罪の赦しはミッション・インポッシブル?

イエス・キリストは体がマヒした人を癒されたときに、「あなたの罪は赦されました」と言われた。病の癒しと罪の赦しの関係は?また、果たして、人間に罪を赦すことはできるのか、聖書の福音書からその答えを導き出します。
その教えは聖書的?

「エリヤは生きたまま天国に行った」という教えの問題

エリヤは竜巻に乗って昇天し、天で死ぬことなく生きているという教えは間違った教え、人が神のおられる領域に上れるという思想は、神の様になりたいという人の罪深さの現れです。それはエデンの園以来の悪魔の誘惑なのです。天に上り、神を見た者はいません。