人とはどのような存在か(1)人の成り立ちと存在の目的

人とはどのような存在か
エドムの赤い土
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人とはどのような存在で、何のために存在するのか?
なぜ人は死ななければならないのか? 死んだらどうなるのか?
死とは何か? 死の問題に、解決はあるのか?

誰でも一度は考えるこれらの疑問に対し、聖書はどのように教えているのでしょうか?

人は神の似姿に造られ、神と交流することのできる尊い存在であると聖書は教えています。人は進化の結果、偶然生まれ、進化の頂点に立つ存在なのではありません。

今回は、人の成り立ちと存在目的について、また人と動物の違いについて御言葉から確認します。

1.神の造られた世界を治める神の代理人

神は、人を特別な存在として造られました。
創世記1章26節から28節に、神が人を創造された目的が記されています。

創世記1:26~28
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「産めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

人が神のかたちに似せて造られたのは、地を従え、神の造られたすべての生き物を支配させるため、つまり、神の代理として、神が創造された被造物の世界を正しく管理するためでした。

2.人は「ちり」から造られた神のかたち

神創世記2章7節に人の成り立ちが記されています。

創世記2:7
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

「ちり」とは、地球上の表面を覆っている物質です。まだ地上にどんな生き物も造られていなかった時、地の全面はちりでおおわれていました。

動物も植物もすべての生き物は細胞からできていますが、細胞をさらに分解すると、あらゆる物質を構成している最小単位の「元素」に行き着きます。あまりにも微細なので、聖書では「ちり」と表現されています。炭素、窒素、水素、鉄、銅、カリウム、マグネシウム、ヨウ素など、現在118種類の元素について詳しくわかっており、人間の身体は59種類の元素でできているそうです。

人とは、ちりから造られた存在です。
土地はヘブライ語で「アダーマー」と言います。神は最初に作られた人を「アダム」と名付けました。アダーマーから取り出され、「ちり」でできている存在がアダムです。

アダーマー「土地、土壌」 ⇒ アダム ①最初の人、②ちりで造られた人間

「アダム」は最初に作られた人の個人名であると同時に、「」を表す言葉でもあります。人類のことを「アダムの子」とも言います。

神はちりで人の身体、心臓、肺、胃腸、脳、目、耳、鼻、口、手足・・・すべての器官を造られました。すべては完全に機能できるものとして造られたのです。そして細胞内の染色体に人の設計図、受精、誕生、成長、生殖などのプログラムや遺伝情報を記しました。

現在、私たちの脳の90%以上は使われていないそうです。人は罪のために堕落した存在となってしまいましたが、神に造られた当時、堕落前の脳は100%機能できたのかもしれません。

3.人は神の「いのちの息(霊)」を吹き込まれた霊的存在

人のからだは完全なもの、完全に機能するものとして造られましたが、まだ「いのち」がありませんでした。そこで神が人の鼻から「いのちの息」を吹き込むと、人は「生きもの」となりました。

「いのちの息」とは神から出るいのちの「息」、「神の息吹」です。神は霊であり、「いのち」そのものです。神から分け与えられた神のいのち(霊)が、ちりで作られたからだに吹き込まれました。

ちり(からだ)+ いのちの息(神の霊)→ 生きもの(神のかたちに造られた人)

生きもの」は原語のヘブライ語では「ネフェシュ」で、ほとんどの場合「たましい」と訳されていますが、目に見えない精神的なものを指すのではなく、身体を持ち、息をする生きものを表します。ネフェシュ」の中心的な意味は、いのちの本質、呼吸する行為、息をすることで、人は神のいのちの息を吹き入れられたので、「息をして生きる、いのちある生きもの」になりました。

 ヨブ記33:4 神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを与える。

神からいのちの息を吹き込まれた時、心臓が動き始め、呼吸が始まり、手足を動かせるようになりました。目は見、耳は聞き、皮膚は感じ、脳はそれらを認識し、情報を理解し始めました。鼻は匂いを嗅ぎ、舌は味わい、食べた後に満足感を体験しました。
いのちが始まると同時に、身体が機能するだけでなく、認識、思考、理解、判断などの知性の働き、感情、意志決定などの精神的活動、魂の活動が始まりました。

ヨブ記32:8 人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。

神の霊を与えられ、神の似姿に造られた人間は、人格を持つ神と霊によって交流することができます。神のことばを聞き、理解し、神から言われたことを行い、神の創られた世界を体験して学習します。

人間は神の御思いとご計画を知って神の御心を実現するため、神に似た霊的存在として造られました。神の霊を宿し、神の霊によって教えられ、神の創造された被造世界を神の代理として正しく管理する、特別な存在として造られたのです

4.動物は神のことばによって造られた

人を創造される前、神は植物、天体、水の中に住む生き物、鳥類、獣や家畜、地を這う生き物を造られました。すべての生き物も人と同様に「ちり」から造られていますが、人間以外の被造物は、神の息を吹き込まれたのではなく、神のことば(神の命令)によって造られました。

創世記1;20~22、24~25
神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」・・・・神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった。神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。

神の命令に従って、今でも地上には植物が生え続け、鳥と地をはう生き物が生まれ続け、海には魚が満ち続けています。それぞれの生物は神の定めたルールに従って生まれ、活動し、子孫を残し、寿命が尽きて死にますが、その営みを通して被造物の世界を形作り、成立させています。

イザヤ55:11
わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

神が発せられた言葉には、今も効力があるのです。
全ての生き物は、神のことばに備わっている「いのち」によって生きています。

5.人と動物の共通点

人も動物も、いのちのあるものは全て、神から与えられたいのち(霊)によって生きています。もし霊が取り除かれるなら、どんな生き物も存在することができません。

ヨブ34:14~15
もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。

肉なるもの」とは、からだを持ち、息をする生き物です。神様が霊と息を取り戻されるなら、すべての肉なるもの、人も鳥も魚も動物も生存できません。

人間も動物も植物も、みな「ちり」つまり「元素」からできています。その生物に応じた遺伝情報と独自の器官を持ち、独自の発生・成長・活動のスタイルを有しますが、同じ材料(元素)でできており、自分の身体を維持し、成長させ、繁殖するために、同じ物質を必要としています。
そのために、草食動物は植物を食べ、肉食動物は他の動物を食べて、必要な「元素」を取り入れます。肉食動物も死ねば微生物によって元素に分解されて「ちり」に帰り、植物の根から吸収されます。

こうして食物連鎖の中で「元素」が循環し、人間を含むすべての生き物は生きるために「ちり」を取り込み続け、死ぬと再び「ちり」に返るのです。

伝道者の書3:19~20
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべては空しいからだ。みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。

物質的に考えるなら、人も動物も同じちりから構成されており、死ねばちりに帰ります。ちりはあらゆる生き物の間を循環しているにすぎません。

6.人と動物の相違点

けれども、霊的な面では、人間とそれ以外の生き物には大きな違いがあります。

伝道者の書3:21
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。

人は、神のいのちの息(神の息吹=霊)を吹き込まれて生きている存在なので、人が死ぬと、霊は神のもとに帰り、身体はちりに帰ります

伝道者の書12:7
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。

一方、動物は神のことばによって造られ、ことばの力で生かされています。個々の動物を生かしていた神のことばがその使命を終えると、動物の霊は地の下に降りて行き、からだは土に帰ります。動物の霊は神と交流することができません。

7.御子キリストは、人となられた「神のことば」

ヨハネの福音書1:1~4
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。

神のことば」が世界の全ての生き物を造りました。次々と生まれる生き物も、神のことばに備わっている「いのち」によって生かされています。

この「神のことば」は後に人となって地上に来られました。それが御子イエス・キリストです。

ヨハネの福音書1:14
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

へブル人への手紙1:3
御子は神の栄光の輝き、また、神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。

御子イエス・キリストは神ご自身であり、全ての生き物を造り、いのちを与え、保っておられる方です。

ヨハネの福音書6:63
わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

御子のことば=霊=いのち

御子のことばがいのちを与えます。人は、ちりで造られた身体に、神からのいのちの息(霊)が吹き込まれて生かされています。人以外の生き物は、御子のことば(霊)によって「ちり」から造られ、御子のことばが与える「いのち」によって生かされているのです。

神のことばであり霊である神の御子が、なぜ人となって地上に来られたのでしょうか?

それは、罪のために堕落した人類を死と滅びから救い出し、本来あるべき神との関係に引き戻し、神の似姿へと作り変え、祝福し、神が供えられた本来の生き方と使命に立ち返らせるためなのです。

聖書には、人類の創造、堕落、人類救済のための神の御計画と実現のプロセス、そして最終的な人類の救いと死に対する勝利が書かれています。すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るローマ11:36)のです。

8.人の存在目的

人の成り立ちを理解するなら、謙遜な思いにさせられます。人も動物も、同じ元素の組み合わせから作られ、死ねばちりに帰る被造物にすぎません。

けれども人のからだには神の霊(神のいのちの息)が宿り、人は神と共に生きる存在として造られたのです。神と霊によって交流し、神の定められた善悪の基準を知り、神の御計画と御心を教えられ、与えられた使命を果たすためです。人の存在目的とは神に造られた生き物を神の代理人として正しく管理し、神の造られたこの世界を神の御心に従って正しく治めることなのです。

創世記9:1~2
生めよ。ふえよ。地に満ちよ。野の獣、空の鳥、──地の上を動くすべてのもの──それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。

次回は、人類の罪の結果である死と死者の状態、たましいの意味とたましいの救いについて、御言葉から学びます。

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