イエス様が天から現れる時、私たちは空中に引き上げられ、主のもとに集められます。その出来事について正しく理解するために、この記事では、イエス様の教えの根底にある旧約聖書の預言を調べ、「携挙」の本来の目的は何かを明確にします。
「私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められること(Ⅱテサロニケ2:1)」について、イエス様ご自身は次のように言われました。
マルコ13:24~27
しかしその日、これらの苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。マタイ24:31
人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
これらの御言葉は、携挙を表していると考えらますが、この約束は、旧約聖書でイスラエルに与えられた預言に基づいているのです。私たち異邦人クリスチャンは、イスラエルとともにこの約束に与ることができるのです。
1.「地の果て」「天の果て」「四方」から集められる選びの民とは?
クリスチャンの中には、イスラエル民族は大艱難時代を通ってから悔い改めて救われるが、クリスチャンはすでにイエス様を信じて救われているので、大艱難時代を通ることなく先に携挙されて天に行くと考える方がいらっしゃいます。
けれどもイエス様が宣教されていた時、「選ばれた者たち」はイスラエル民族を指していました。なぜなら、イエス様はカナン人の女の願いを無視し、「わたしはイスラエルの失われた羊たち以外のところには遣わされていない」と言われ(マタイ15:24)、弟子たちには「異邦人の道には行かず、イスラエルの家の失われた羊たちの所に行きなさい」と命じられていたのです(マタイ10:15~16)。
イエス様は、「地の果てから天の果てまで」「天の果てから果てまで四方から」選んだ者たちを集めると言われましたが、旧約聖書では「選ばれた者たちを集める」ことについてどのように約束されていたでしょうか。
ネヘミヤ1:8~9
「どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る。』」イザヤ11:12
主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。
イエス様は弟子たちに、「イスラエルの民は罪ゆえに諸国に散らされるが、主に立ち返る者は父祖の地に連れ戻される」という旧約聖書の約束に基づいて語っておられました。
レビ記26:33、申命記4:27、28:64には、「不信仰で罪を犯すイスラエル民族を国々の間、地の果てから地の果てまで、あらゆる民の間に散らす」と書かれており、申命記30:1~5には、「たとえ天の果てに追いやられていても、主が散らした先のあらゆる民の中から集める」と約束されています。
地の果て、天の果て、地の四方から集めるという預言は、そもそもイスラエル民族に与えられた約束なのです。
2.イスラエルの羊の群れを集める羊飼いイエス様
イエス様は良い羊飼い、イスラエル民族は主の羊です。主はその羊たちを集めます。
ヨハネ10:14~16
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。
この囲いに属さないほかの羊たちとは、アッシリアに捕囚されて行方不明になってしまった北イスラエル王国の子孫たちや、バビロン捕囚で散らされ、イスラエルの地に戻って来なかった南王国の子孫たちです。この囲いに属す羊たちとは、イスラエルの地でローマ帝国の支配下にいた当時のユダヤ人たちです。一つの群れになるとは、分裂したイスラエル12部族を集め、一つの王国にするという意味です。
良い牧者であるイエス様は、羊たちのためにご自分のいのちを捨てようとしておられました。それは、イスラエル民族の不信の罪を取り除いて赦しを与え、神との和解をもたらし、離散していたイスラエル民族を主の民として集めるためでした。
ヨハネ11:51~52
彼(カヤパ)はその年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
国民とはイスラエルの地にいた当時のユダヤ人たちのことで、散らされている神の子らとは離散しているイスラエル民族を指しています。
「わたしの羊たちを集める」というイエス様の宣言は、エゼキエル書の預言に基づいています。
エゼキエル34:11~16
まことに、【神】である主はこう言われる。「見よ。わたしは自分でわたしの羊の群れを捜し求め、これを捜し出す。牧者が、散らされた羊の群れのただ中にいるときに、その群れの羊を確かめるように、わたしはわたしの羊を確かめ、雲と暗黒の日に散らされたすべての場所から彼らを救い出す。わたしは諸国の民の中から彼らを導き出し、国々から彼らを集め、彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその地のすべての居住地で彼らを養う。わたしは良い牧草地で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らの牧場となる。彼らはその良い牧場に伏し、イスラエルの山々の肥えた牧草地で養われる。
わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らを憩わせる──【神】である主のことば──。わたしは失われたものを捜し、追いやられたものを連れ戻し、傷ついたものを介抱し、病気のものを力づける。肥えたものと強いものは根絶やしにする。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
イエス様は、「エゼキエルを通して語ったわたしが、イスラエルの失われた羊たちを世界中から集める」と約束されたのです。イスラエルの全家を諸国の民の中から導き出し、散らされている国々から集めるという預言は、エゼキエル20:30~42、28:25~26にも書かれています。
3.イスラエル民族をよみがえらせて約束の地に連れ戻す
エゼキエル書には、主がイスラエル民族をよみがえらせることが記されています。
エゼキエルが幻の中で主に命じられて干からびた骨に預言すると、骨がつながり、筋が付き、肉が生じ、皮膚が覆いました。そして息に預言すると、四方から吹いてきた息が入って、非常に大きな集団が生き返りました(エゼキエル37:1~10)。
さらにエゼキエルは、主が彼らをイスラエルの地に連れて行き、住まわせると預言しました。
エゼキエル37:11~14 主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言っている。『私たちの骨は干からび、望みは消え失せ、私たちは断ち切られた』と。
それゆえ、預言して彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。わたしの民よ、見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く。わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
また、わたしがあなたがたのうちにわたしの霊を入れると、あなたがたは生き返る。わたしはあなたがたを、あなたがたの地に住まわせる。このとき、あなたがたは、【主】であるわたしが語り、これを成し遂げたことを知る──【主】のことば。』」・・・
北イスラエル王国の民は、自分たちは不信仰ゆえに主の民から断ち切られ、もう約束の地に帰ることはできないのだと絶望していました。バビロンに捕囚された南ユダ王国の民の多くも、イスラエルに帰還することはありませんでした。主は、イスラエルの子孫たちに対する計画は取り消されていないと、エゼキエルを通して確証されたのです。
神である主は、死んで朽ち果てたイスラエル12部族の人々に霊を入れて生き返らせ、墓から引き上げてイスラエルの地に連れて行くと宣言されました。不信仰ゆえに国家が滅亡し、捕囚されて異国の地で死んでしまったイスラエル民族を終わりの日によみがえらせ、彼らの地に連れ戻すと約束されたのです。
それはイエス様の再臨時に起こる死者の復活を表しています。
ヨハネ5:28~29
このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
再臨されたイエス様の声を聞いたイスラエル民族は、死からよみがえり、墓から出て来ます。エゼキエルを通して「あなたがたを墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く」と約束されたのはイエス様です。イエス様は何度も、終わりの日にご自分がイスラエルの民をよみがえらせると宣言されました(ヨハネ6:39~40、44、54)。
イスラエルの救い主とは、神が預言者たちを通して語られた通りに、終わりの日にイスラエルの義人たちをよみがえらせ、約束の地に導き入れて下さる方です。イエス様は「わたしがエゼキエルを通して語った【主】である」と証言されたのです。
4.民族と国家存続の危機にあるイスラエル
イスラエル国はAD70年にローマ帝国によって滅ぼされ、1948年に再建国しましたが、イスラエルを滅ぼそうとする周辺アラブ諸国との戦争を幾度も体験し、生き延びてきました。
しかしイスラム教過激派テロ組織の攻撃に軍事力で応戦するイスラエルは、パレスチナ人の国を侵略し、破壊する占領国として世界中から非難されています。
イスラエルは物理的に敵と戦わざるを得ないのですが、その背景にあるのは聖書の神と聖書的世界観に対する攻撃であり、イスラエルの戦いの本質は霊的戦いなのです。
2023年10月7日、ヨム・キプール戦争からちょうど50年後、ホロコースト以来と言われるユダヤ人大虐殺が起こりました。早朝、侵入したハマスのテロリストたちにより、1200人以上の住民が虐殺され、240人以上が誘拐されました。それ以来、イスラエルとテロ組織ハマスとの戦いが続いています。
ハマスはイスラエル殲滅という目的のために存在する組織です。ガザ住民の生活向上や安全、平和で繁栄した国家建設はハマスの存在目的ではありません。ガザの住民のために世界中から寄付された資金、食料、エネルギー、建設材料の大半はハマスに横領されています。それらはイスラエルを滅ぼすための武器購入やロケット弾製造、700kmに及ぶ巨大な地下トンネルと軍事拠点の建設、テロリストの給料などに費やされています。ハマスのトップ指導者たちは莫大な個人資産を持ち、カタールなど安全な外国で暮らしていますが、ガザの避難民を養ったり空爆から避難させたりすることは国連やイスラエルの役割だと言います。
イスラム教を信じないユダヤ教徒を滅ぼすことはイスラムの教理に適っています。ガザの病院、学校、国連関連施設の下には武器庫や武器製造工場、軍事指令室、ハマス戦闘員の居室、トイレ、キッチン、水・食料・燃料の備蓄庫、捕虜収容所などが作られ、ハマスはガザ住民をその上に住まわせて人間の盾として使っています。
異教徒と戦って死ぬことは名誉であるため、住民が空爆で犠牲になることも正当化されます。イスラエルの攻撃予告と避難勧告があると、避難しようとする住民を銃で脅し、ハマスの拠点のある場所に留め(人間の盾)、世界中がイスラエルはガザの住民を虐殺していると非難するように仕向けます。イスラエル軍がガザの住民をハマスの攻撃から守りながら避難させているというのが実状です。
テロリストたちが早朝、まだ寝ていたイスラエル人の家に火をつけ、飛び出して来た住民を銃殺し、あるいは生きたまま焼き殺し、若い女性をレイプしてバラバラに切断し、乳児や老人まで拉致し、その様子を撮影して世界中に配信していても、国連も欧米諸国も人権保護団体もハマス非難の声を上げず、対処に乗り出しません。
イスラエルは、拉致された子供や女性を取り戻すために、捕虜一人につき20人のテロリスト――イスラエルでナイフテロなどを起こして投獄されていたガザの子どもや女性たち――を釈放しています。捕虜交換で釈放されたテロリストたちは、何度もテロ行為を繰り返す傾向があるにもかかわらずです。
この世は悪いものの支配下にあり、聖書の神を信じる人々は霊的戦いに投げ込まれています。クリスちゃんも例外ではなく、イスラエルはその最前線で戦っているのです。
イスラエルやユダヤ人は常にこの世の勢力から攻撃されています。イスラエルが滅ぼされ、聖書の預言が実現せずに終わるなら、聖書の神の真実性と全能性を否定することができます。ユダヤ人が世界中で悪を行う民族であるなら、イスラエルの神を非難することができます。
メディアは、捕虜奪還とハマス殲滅のためにイスラエルが軍事行動を取ると、「イスラエルはガザ住民を虐殺している」と報道し、世論を反イスラエル、反ユダヤに誘導します。イスラエルが常に正しく間違いを犯さないわけではなく、ガザ住民に多大な被害が出ていることが正当化されるわけでもありませんが、イスラエルは自分たちを滅ぼそうとするテロ組織と命懸けで戦い、情報戦争、宗教戦争をも戦っているのです。
イスラエルの羊飼いであるイエス様は、テロリストに惨殺された被害者たち、国と民族を守るために戦死した兵士たち、家族を殺され、生活を奪われ、大きなトラウマを抱えて苦しむイスラエル人たちを見捨てることはありません。
主は終わりの日、散らされていたイスラエルのレムナント(信仰のある民)とともに、現代のイスラエル国家において苦しめられ、神の救いを求めながら死んでいった人々をもよみがえらせてくださるでしょう。
5.選びの民を集める目的は、永遠の王国に住まわせること
大艱難時代にはさらにイスラエルの苦しみは増し加わり、「獣」によって多くのユダヤ人が殺されることでしょう。イスラエル民族を選ばれた主は、やがて地上に戻って来られ、イスラエルの民をよみがえらせ、イスラエルの地に連れ戻されます。そしてイスラエル殲滅とユダヤ人抹殺を図った者たちは、行いに応じて裁かれることになります。
神のご計画は、アブラハムに与えた土地に永遠の王国を建て、ご自分の民を永遠に住まわせることです。
エゼキエル37:21~25
彼らに告げよ。『【神】である主はこう言われる。見よ。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の間から取り、四方から集めて彼らの地に導いて行く。わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で一つの国とするとき、一人の王が彼ら全体の王となる。彼らは再び二つの国となることはなく、決して再び二つの王国に分かれることはない。・・・わたしは、彼らがかつて罪に陥ることになった背信から彼らを救い、彼らをきよめる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与え、あなたがたの先祖が住んだ地に住むようになる。そこには彼らとその子らとその子孫たちが、とこしえに住み、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主となる。
神である主は、不信仰ゆえに懲らしめを受けて世界離散したイスラエルの子らを、地の四方から集めて父祖の地に導かれます。そして南王国と北王国に分裂していたイスラエル12部族が再び一つの国となり、復活したダビデが永遠にイスラエル王国の君主となります。エゼキエルはまた、一人の王が彼ら全体の王となると記しています。その王についてはイザヤも預言しています。
イザヤ9:6~7
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。
王座に就いて、とこしえまで王国を治める王は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」、イエス様です。
エゼキエルはその王による永遠のご計画について預言しました。
エゼキエル37:26~28
わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとの永遠の契約となる。わたしはそれを彼らに与え、彼らを増やし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖なる者とする【主】であることを知る。』
イスラエルを攻撃した者たちが一掃され、死んでいたイスラエルの子らが生き返り、世界中から約束の地に集められます。統一されたイスラエル王国に「わたし(彼らの神・主)」つまり「平和の君」であるイエス様の聖所が永遠に置かれ、神とイスラエル民族の間に永遠の平和の契約が結ばれます。永遠のいのちと永遠の御国が実現する時、諸国の民は、イスラエルの神こそ真の神であると知るようになるのです。
6.よみがえって集められるのは最終戦争の後
イスラエル民族は不信仰ゆえに神の懲らしめを受け、国家が滅亡し、捕囚にされ、地の果てにまで散らされました。再建国したイスラエルは民族生存、国家存続のために戦い続けなければなりませんが、イスラエルの神は最終的に全ての敵を滅ぼされます。
イエス様は「人の子は選ばれた者たちを天の果てから、地の四方から集める」と宣言されました。人となって地に来られた、とこしえに変わることのない主は、終わりの日にイスラエル民族をよみがえらせて、ヤコブに与えた地に連れ戻すと約束されたのです。
イエス様は弟子たちに、ご自分が預言者たちを通して語られた神であり、その約束を実現する主であると明らかにされました。「イスラエル民族に約束されていたよみがえりと帰還を実現させるのは、このわたしである」と確証されたのです。主はやがて再臨され、分裂していたイスラエル民族を再統一して一つの王国とし、ダビデの王座に就いて永遠にイスラエルの民とともに住まわれます。その時、永遠の平和が訪れ、偶像礼拝をしていた諸国の民は、イスラエルの神こそ真の神であると知ります。
イスラエルの民は今でもイエス様を自分たちのメシアとして受け入れていません。彼らは天地を創造された旧約聖書の神――アブラハムを選び、その子孫たちを祝福すると約束し、救い主を与えてイスラエルを永遠の御国に導いてくださる神様――を信じてはいます。
けれども現実の世界では、メシアを拒否し、人間の知恵と技術と軍事力でこの世の勢力と戦い、葛藤し、苦しみ、もがいているのです。それが限界に来る時、イスラエル民族は真剣にメシアを求めるようになるでしょう。
全世界の軍勢がイスラエルを取り囲み、滅ぼそうとする時、主がイスラエル民族を救うために天を裂いて降りて来られます。敵を根絶やしにされたイエス様の手足に釘の跡を見た時、彼らは、先祖たちがイスラエルのメシアを拒否して十字架に付けた罪を悟り、激しく泣いて悔い改めることになります(ゼカリヤ12:8~14)。すると主は、御使いを遣わして世界中からご自分の羊を集めてくださるのです。
ですから、主が御使いを遣わして選びの民を集めさせることは、大艱難前には起こりません。クリスチャンがイスラエル民族より先に完成し、大艱難時代を通らずに天に引き上げられることはありません。イエス様が選びの民を集めるという約束は、異邦人クリスチャンがイスラエル抜きに、先に与る祝福ではないのです。
次回は、私たちクリスチャンはイスラエル民族とどのような関係にあるのか学び、ともに神の約束に与るためにどのように生きるかを考えます。
コメント
いつも楽しく拝見させて頂いております。
聖書を通読してみて艱難前ではないかなぁ〜と思っておりましたが、巷の意見とは合わず苦悩しておりました、シャロンさんの記事を読み、間違ってなかったと嬉しく感じてます!ありがとうございます!
ちょりちょり様
聖書に散りばめられている真理を発見し、確認できた時には大きな喜びがありますね。
旧約時代に預言者を通して語られた主が、新約聖書では人となって教えておられる。
その視点で両方の聖書を合わせて学ぶと、一貫性のある理解ができ、目が開かれる思いになります。
これからも主が、ちょりちょりさんを知恵と啓示の御霊で満たし、御言葉の深みへと導いて下さいますように。