ヨエル書の前半では、罪を犯し続けるイスラエルに対し、神の厳しい裁き(いなごの襲来、敵国の侵攻、主の日の裁き)が警告され、悔い改めが勧告されました。後半では、全地に及ぶ終末の裁きについて警告すると同時に、悔い改めた民に、敵からの救出と物質的祝福と霊的回復が約束されます。そして、神と民が共に住む神の国についても啓示されていきます。
Ⅰ 主の心を動かす祭司たちの祈り
祭司たちがきよめの集会を召集し、イスラエルの全ての民が身を聖別し、断食して祈ります。神のあわれみは尽きることがなく、悔い改める者には赦しと回復と祝福の希望があるからです。
ヨエル2:17
・・・主よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、「彼らの神はどこにいるのか」と言わせておいてよいのでしょうか。
あなたの民にあわれみをかけてください
イスラエル民族は、創造主が一人の人物を通して生み出された選びの民、契約の民、収穫の初穂(エレミヤ2:2)です。彼らの使命は、神のしもべとして聖書を書き記し、救い主を世に生み出し、諸国民の救いのために取り成すことです。彼らは、偶像礼拝に陥った諸国民に真の神を証しして神の御心と御計画を知らせ、神に立ち返らせるために立てられた祭司の王国、聖なる国民、神の宝の民(出エジプト19:5、6)なのです。
にもかかわらず、イスラエル民族は主との契約を破り、偶像礼拝の罪を犯し続けました。主が怒られ、国々にイスラエルを攻撃することを許されたので、民は捕囚され、散らされ、迫害されてきました。それでも主は、アブラハムと結んだ契約ゆえに、民族が消滅しないように守って来られました。ところが、今やイスラエル国は諸国軍に取り囲まれ、滅ぼされそうになっているのです。
あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください
イスラエルの地は、創造主ご自身が地上の全ての場所から特別に選び、目を留め、祝福される主のゆずりの(相続)地(エレミヤ2:7)です。そして全地の所有者である神がご自分の民に永遠に与えると約束された「乳と蜜の流れる地」、「国々のうちで最も美しいゆずりの地(3:19)」です。
またエルサレムは「主の御座(3:17)」と呼ばれ、主が御名を置き、とこしえに住むと宣言された永遠の神の都です。その主の相続地が、いなごに食い荒らされ、諸国軍に破壊しつくされ、荒廃し、無残な姿を晒しています。
諸国民はこれまで、イスラエルの相続地を奪い、神の都エルサレムを破壊しようと企んできました。今もイスラム国家やテロ組織は「イスラエルを地図から消し去り、地中海に沈める」と豪語し、周辺国に軍隊とミサイルを配備し、核兵器開発を続けています。終わりの時には、約束の地を完全に滅ぼし、主の永遠の住まいを取り上げ、主の再臨を妨げようとして、諸国軍が総攻撃を仕掛けて来るのです。
諸国の民の間で『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか
イスラエル民族は、聖書の神の全能性と真実性を証明し、神の人類救済計画を実現するための神の「器」であり、主はイスラエルを通してご自身の力と栄光を現されます。イスラエル民族が主だけに仕え、イスラエル国が他国の侵略を受けることなく平和で繁栄しているなら、イスラエルの神の祝福を証しすることになり、諸国の民はイスラエルの神こそ真の神であると知ることができます。
ですからイスラエルの戦いは「主の戦い」でもあります。イスラエルが敵に勝利することで、イスラエルの神の力が証明されて、諸国民が主の御名を恐れるようになるのです。
もしイスラエル民族に永遠に与えると約束された土地が奪われ、イスラエル民族が滅びたなら、イスラエルの神は自分の民と自分の領土を守ることができない無能な神、約束を守れない不誠実な神と嘲られ、御名が汚されます。そして主が王として治める永遠の神の国は実現しないのです。
Ⅱ イスラエルに対する神の約束
主はイスラエルの祈りに応え、彼らを敵から救い、飢饉から解放し、聖霊を注ぐと約束されました。
イスラエルを憎む敵からの救い
ヨエルも他の預言者たちも、イスラエルが罪を犯し続けるなら、主が北から敵軍を送り込み、エルサレムを攻撃させると預言しました。
エレミヤ1:14~16
・・・わざわいが北から、この地の全住民の上に降りかかる。今わたしは、北のすべての王国の民に呼びかけている。・・・わたしは、この地の全住民の悪に対してことごとくさばきを下す。彼らがわたしを捨てて、ほかの神々に犠牲を供え、自分の手で造った物を拝んだからだ。
エゼキエルは、主が終わりの日に北の果てにあるマゴグの地のゴグを呼び出してイスラエルを攻撃させると預言しました。最終的に主はゴグを滅ぼされ、イスラエルを救い出されます。
エゼキエル39:24~25
わたしは彼らの汚れと背きに応じて彼らを罰し、わたしの顔を彼らから隠した。」それゆえ、神である主はこう言われる。「今、わたしはヤコブを回復させ、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わが聖なる名への、わたしのねたみによる。
主はアブラハムとの契約ゆえ、そしてご自分の御名のために、イスラエル全家を救われます。
ヨエル2:18~20
主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民を深くあわれまれた。主は民に答えられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油をあなたがたに送る。あなたがたはそれで満ち足りる。わたしは二度とあなたがたを、国々の間でそしりの的としない。わたしは、北から来るものをあなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやる。その前衛を東の海に、その後衛を西の海に。その悪臭は立ち上り、その腐った臭いは立ちこめる。主が大いなることを行ったからだ。」
主は北から侵攻して来る敵軍を、死海(東の海)と地中海(西の海)の間のユダの荒野やネゲブ砂漠に追いやって滅ぼされます。主はネゲブの森を南から北まで焼き尽くされ、その火は消えることがありません(エゼキエル20:47)。
諸国民はイスラエルの神の圧倒的な勝利を見て、その偉大な力を知り、その御名を恐れ、その権威に服するようになります。主がイスラエル民族に「二度とあなたがたを、国々の間でそしりの的としない」と約束されたとおり、この戦い以降、イスラエルを嘲り、横暴に振舞い、傲慢な態度を取る国々はいなくなります。ヨエルは世の終わりの最終戦争について預言しています。
土地の回復と豊かな収穫の約束
ヨエル2:21~26
地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。主が大いなることを行われたからだ。野の獣たちよ、恐れるな。荒野の牧草が萌え出で、木が実を実らせ、いちじくとぶどうの木が豊かに実る。
シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。
「いなご、あるいは、バッタ、その若虫、噛みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。あなたがたは食べて満ち足り、あなたがたの神、主の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。
主の大いなる御業によって、荒廃した国土が豊穣の地、緑の牧場に変わります。主が悔い改めたイスラエルを義と認め、初めの雨(秋の種まき時の雨)と後の雨(春の収穫前の雨)を降らせてくださるので、穀物も果物も豊かに実ります。
主が送られた大飢饉を主ご自身が償ってくださるので、イスラエルの地は豊作を迎え、人々は主の恵みの豊かさを味わい楽しむことができます。
エゼキエル36:29~30
わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せて増やし、飢えをあなたがたに送らない。わたしは木の実と畑の産物を増やす。それであなたがたは、もう国々の間で飢饉のために恥辱を受けることはない。
ヨエル2: 27
あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
主はイスラエルのただ中でご自身を明らかに示されます。彼らは敵からの奇跡的な救いと収穫を体験して、主以外に神はないことを悟ります。主がイスラエルの中に住み、祝福してくださるので、民は永遠に恥を見ることがありません。ヨエルは神の国におけるイスラエルの祝福を預言しています。
終りの日の霊的リバイバル
ヨエル2:28~29
その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。
ゼカリヤ書には、主が来られて諸国軍を滅ぼされた後、イスラエル民族全体が悔い改め、主の霊が注がれることが預言されています。
ゼカリヤ12:9~10
その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
恵みと嘆願の霊が注がれると、イスラエルの霊的目が開かれて、全ての氏族が激しく嘆きます。彼らは、自分たちを救いに天から降って来られたメシアの両手両足に釘の跡を見て、その方は自分たちの先祖が十字架に付けて殺してしまったイエス様であったと悟って愕然とするのです。彼らはイスラエル民族が犯した罪の大きさに恐れおののき、メシアを拒否したゆえに受けなければならなかった二千年間の迫害の歴史を思い返し、断腸の思いで泣き叫ぶのでしょう。主は彼らの悔い改めの涙を見、祈りを聞かれます。
ゼカリヤ13:1
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる1つの泉が開かれる。
長い間、福音を拒否していたイスラエル民族が、イエス様の御名を呼んで救われます。
エゼキエル39章では、ゴグ・マゴグの戦いの後、主は諸国に散らされていたイスラエル民族を一人残らず帰還させ、「わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐ」と約束されています。
エゼキエル36:24~28
わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。
あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。
こうしてイスラエルの神と民との関係が回復します。イスラエル民族は霊的に刷新されて神の民となり、それに伴って物質的祝福も与えられます。民族的に悔い改め、主のもとに立ち返ったイスラエルに、アブラハムへの約束が実現するのです。それは神の国が地上に打ち立てられる時です。
初めの雨と後の雨
悔い改めた民に聖霊が注がれます。神が人の中に住まわれ、満たし、造り変えてくださいます。
使徒の働き2章に、五旬節の日に主の弟子たちに聖霊が注がれ、異言で語りだしたことが記されています。ペテロは驚いて集まってきた人々に、それは預言者ヨエルによって語られた終わりの日の聖霊の注ぎであり、主の御名を呼び求める者はみな救われる(2:16~21)と解き明かし、罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、賜物として聖霊を受け、曲がった時代から救われなさいと勧めました(2:38~40)。
その日、悔い改めた3千人に聖霊の初めの雨が降り、それ以降、イエスの御名を信じて神に立ち返る全ての人に聖霊が与えられるようになりました。悔い改めた諸国民も聖霊によって刷新され、世界中に主を信じる人々が増え広がっていきました。けれどもユダヤ人キリスト者は、ユダヤ教指導者たちから迫害を受けたり、キリスト教会からキリスト殺しとして苦しめられたりで、影をひそめてしまいました。
終わりの日には、悔い改めた全てのユダヤ人に後の雨が激しく降り注ぎ、リバイバルが起こります。
ローマ11:25~27
・・・イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。ヨエル2:30~32
わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。主が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、主が呼び出す者がいる。
使徒ヨハネは、主に呼び出された人々がシオンの山にいる幻を見ました。
黙示録14:1~5
また私は見た。すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた。また、子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。・・・彼らは、子羊が行く所、どこにでもついて行く。彼らは、神と子羊に献げられる初穂として、人々の中から贖い出されたのである。彼らの口には偽りが見出されなかった。彼らは傷のない者たちである。
Ⅲ 終末の最終戦争と諸国の裁き
ヨエル書2章は、イスラエルの最終的悔い改めと敵からの救い、神の民としての霊的回復と物理的祝福(繁栄)についての約束でした。3章は、終わりの日の戦い(御怒りの日の裁き)とその結末についてです。神が国々の悪を裁かれた後、贖われた者たちに永遠のいのちと祝福がもたらされます。
イスラエルを苦しめた国々に対する判決
ヨエルは、なぜ主が諸国の民を怒るのかその理由を明らかにします。
ヨエル3:1~3
見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。彼らはわたしの民を国々の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分配したのだ。彼らはわたしの民をくじ引きにし、少年を渡して、遊女を得、少女を売って、酒を得て飲んだ。
主が諸国の民を裁かれるのは、神の民をわずかな金額と引き換えに奴隷として売り渡し、人としての尊厳を踏みにじり、相続地から追い出したからです。羊と山羊のたとえ話(マタイ25章)からわかるように、イスラエル民族に対する仕打ちは主に対する仕打ちです。
また諸国の民は、イエス様が永遠にご自分の名を置き、永遠に住むと宣言された主の相続地エルサレムを分割して奪い取ったのです。全地の所有者である主の住まいを踏みにじり、主の主権を犯すことは赦されません。
ツロとシドン、ペリシテの全地域(パレスチナ)は、主の宮の財宝を奪い、ユダとエルサレムの人々をイスラエルの地から追い出したので、主に報復されます(3:4~8)。またエジプトとエドムは、ユダの人々に暴虐を働き、罪の無い血を流したため、裁かれて荒れ果ててしまいます(3:19)。
イスラエルを攻撃する諸国軍の裁き
ヨエル3:9~12
「国々の間で、こう叫べ。聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌を槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。周りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。──主よ、あなたの勇士たちを下らせてください──諸国の民は立ち上がり、ヨシャファテの谷に上って来い。わたしがそこで、周辺のすべての国々をさばくために、座に着くからだ。」
主はご自分に反抗する諸国の民を挑発しておられます。主に対し宣戦布告し、農機具を武器に打ち直し、弱い者も奮い立って主と戦うために集まって来いと。
ヨエルが「あなたの勇士たちを下らせてください」と願っている勇士たちは御使いの軍勢です。主イエスは燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れます(Ⅱテサロニケ1:7)。
諸国の軍隊は、ヨシャファテの谷で主に裁かれ、滅ぼされてしまいます。ヨシャファテは「主は裁かれる」という意味です(ヨシャファテの谷については「再臨と終末(9)」を参照)。
主が叫ぶと天地が震え、主が天を裂いて降りて来られると、山々が揺れ動きます(イザヤ64:1~3)。イエス様が天から降って来てオリーブ山に立たれると、地震が起こって山は南北に分かれ、非常に大きな谷ができます(ゼカリヤ14:4~5)。この新しくできた大きな谷が判決の谷と呼ばれるのかもしれません。オリーブ山の西にある神殿は崩落し、オリーブ山と神殿の間にあるキデロンの谷と、神殿域の南にあるヒノムの谷はその谷の一部になるのでしょう。
ゼパニヤ1: 18、3:8
・・・彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼし尽くすからだ。・・・それゆえ、わたしを待て。──主のことば──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。
その日には、ヒノムの谷(ゲ・ヒノム)が主の怒りによって火の燃えるゲヘナとなり、主に殺された罪人たちが葬られる虐殺の谷(エレミヤ7:32)と呼ばれるようになるのでしょう。(ゲヘナについては「第二の死と永遠の滅びについての誤解」を参照)
ヨエル3:13~15
鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから。判決の谷には、群衆また群衆。主の日が判決の谷に近づくからだ。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。
反キリスト軍に対する裁きは、怒りのぶどう踏みにたとえられています(黙示録14:17~、19:11~)。罪人たちは主の復讐の日に、都の外にある「神の憤りの大きな踏み場」に投げ入れられ、天から来られたイエス様に滅ぼされてしまいます。(「再臨と終末(4)」の2、地の刈り取りとぶどう踏みのたとえ を参照)。
イザヤ59:17~21
・・・主は義をよろいのように着て、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。主は彼らの仕打ちに応じて報い、はむかう者に憤り、敵に報復し、島々にも報復をされる。そうして、西の方では主の御名が、日の昇る方では主の栄光が恐れられる。それは、主が激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっているからだ。「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中の、背きから立ち返る者のところに。──主のことば。」「これは、彼らと結ぶわたしの契約である──主は言われる──・・・
再臨された主は、約束された通りにイスラエル民族の敵を滅ぼし、悔い改めた者たちを贖い出してくださいます。
ヨエル3:16
主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。天も地も震える。主はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。ゼパニヤ3:14~15
娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はあなたへのさばきを取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。
Ⅳ 聖なる山シオン、神の住む新しい都エルサレム
待ち望んでいたメシアが来られ、神の国が始まります。イスラエルの民は、先祖たちに語られたわたしがイエス様であったことを知ります。
ヨエル3:17
「あなたがたは知るようになる。あなたがたの神、主であるこのわたしが、わが聖なる山、シオンに住むことを。エルサレムは聖なる所となり、他国人が再びそこを通ることはない。
エルサレムは様々な災害に襲われ、十本の角を持つ獣によって火で焼かれます(黙示録17:16~17,18:8)。焼き尽くされた地上のエルサレムに替わり、新しいエルサレムが天から降って来ます。地上のエルサレムは今も奴隷状態にありますが、天には自由なエルサレムがあります(ガラテヤ4:25~26)。それは、アブラハムの見た天の都――神によって設計され、建設された、堅い基礎の上に建てられた都(へブル11:10)、神が用意してくださった天の都(11:16)――です(参考:「天の都と天のエルサレム」)。
主が弟子たちに「あなたがたのために住まいを備えに行く」と言われた住まいとは、「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」つまり「揺り動かされない御国(へブル12:24,28)」です。万物の創造主、真の神、全地の王が住まわれるのは、新しいエルサレムのシオンなのです。
ヨエル3:18
その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉が主の宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。
新しいエルサレムは、かつてのエデンの園に替わる永遠の神の園です。贖われ、いのちの書に名を記された神の子たちだけが乳と蜜の流れる約束の地に入り、その豊かさを堪能することができます。
神殿から泉が湧き出て、流れ出た水がシティムの渓流(死海に流れる渓谷の川)を潤すので、死海に生き物が満ちるようになります。エゼキエルは、「神殿から流れ出た水の入るところでは水が良くなるので、あらゆる種類の魚が住み、すべてのものが生きるようになる。川のほとりにはあらゆる果樹が実をつけ、実は食物となり、葉は薬となる」と語っています(47:1~12)。
ゼカリヤ14:8~9
その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。ゼパニヤ3:9
そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。
聖書信仰者が目指す最終目的地、信仰者の受ける永遠の相続地とは、神の御子であり私たちの主であるイエス様とともに住む「神の国=聖なる都エルサレム」です。真の聖徒たちはよみがえり、朽ちない栄光のからだに変えられ、いのちの水を飲み、シオンの山で主を仰ぎ見て礼拝します。
ヨエル3:19~21
エジプトは荒れ果てた地となり、エドムは荒れ果てた荒野となる。彼らの、ユダの人々への暴虐のためだ。彼らはその地で、咎なき者の血を流した。しかし、ユダは永遠に、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。わたしは彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。主はシオンに住む。エルサレムは聖地となる。ゼカリヤ8:2~3
万軍の主はこう言われる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、激しい憤りをもってこれをねたむ。──主はこう言われる──わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住む。エルサレムは、真実の都と呼ばれ、万軍の主の山は、聖なる山と呼ばれる。イザヤ2:2~4、12
終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
農機具を武器に作り変えて主に戦いを挑んだ者たちは滅び去りました。最終戦争が終わり、全地にメシアによる真の平和が訪れます。
終わりに
主イエスの再臨が近づいています。主はこの世の罪を裁いて悪を一掃し、新しい時代――神の国――を実現されます。主は、罪深い今の世を滅ぼして世界を新しくし、神と人が共に住む神のパラダイスをもたらし、義と平和の王として全世界を治めるために戻って来られるのです。
イスラエル民族は大艱難時代を通って悔い改め、救い主を呼び求めるようになります。異邦人教会も、イスラエルとともに永遠の御国を相続するため、心を備えなければなりません。
ユダ:20~21
愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。Ⅱペテロ3:10~13
主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
新しい天と地は新しいエルサレムにあります。
ヨエルはイスラエルと諸国に世の終わりの裁きを警告しながら、聖書信仰者の希望についても教えています。罪人をあわれみ、神の元に取り戻すために、主がヨエルを通して語っておられます。悔い改めて主の名を呼び求める人は救われるのです。
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