イザヤの黙示録

礼拝メッセージ
クムランで発見されたイザヤ書のレプリカ
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聖書箇所:イザヤ書24章19節~23節

24:19 地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。
24:20 地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。
24:21 その日、【主】は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。
24:22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。
24:23 月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の【主】がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである。

先日のニュースで、新型コロナに感染した家族のことが取り上げられていました。その家族は、感染したことがわかると、それまで仲良くしていた近所の人たちから様々な嫌がらせや迫害を受け、ばい菌扱いまでされ、とうとう引っ越しを余儀なくされたとのことです。感染症は用心していても誰でもかかる可能性があり、だから感染症なのですが、何か悪いことをしたかのように、災いをもたらすものとして、差別され、村八分にされました。本来なら保護されるべき人が排除されています。日本人はもともと他人を気遣い、おもいやる心の豊かな民族だったのに、新型コロナは、自分や家族への感染を恐れるあまり、同じ社会、共同体の一員で、これまで仲良くしてきたご近所の人さえも排除してしまうように、人々の心を荒れさせてしまいました。
世の終わりの直前には大艱難時代が来ると聖書は預言しています。その前兆として、戦争や疫病のほか、飢きんや大規模な自然災害が起こり、そして、人々の愛が冷めると書かれています。今日の聖書個所は、世の終わりの大艱難時代の情景を預言者イザヤが幻で見たところですが、人々の愛が冷めてしまった今の状況を思うと、大艱難時代が間近に迫っているのかもしれません。

1.全世界への裁き (神の義)

イザヤ書24章から27章は黙示録

・イザヤ書は、先ず1章から12章でユダの国とエルサレムについての啓示がありました。続いて、13章から23章までは、イスラエルの周辺の国々への宣告が、そして、24章から27章で全世界への裁きが預言されています。

・24章から27章の中身を見ると、地上に起こる大災害(大艱難)、少数の正しいものが残され、神に敵対する者が裁かれること、そして、「その日」に、神が王となってエルサレムに来られることが書かれています。この内容は、実はヨハネの黙示録とほぼ同じ内容です。イザヤが受けた啓示は、ヨハネが受けた終わりの日に起こることの啓示と同じ啓示なのです。ということで、この24章から27章は「イザヤの黙示録」と呼ばれています。

・イザヤがこの啓示を受けたのは、北のアッシリア帝国が他国を征服しながらユダの国に迫りつつあるという切羽詰まった時であり、民に対して、これから来ようとしている災難は神の裁きではあるが、災難だけで終わるものではなく、その後に回復の約束があるとの希望を与えるためであったのです。

地上の大災害(大艱難)

・24:19-20では地上に起こる大地震が書かれています。これは、偶像礼拝に走った民のそむきの罪への裁きでした。これは、ヨハネの黙示録では16章に鉢の裁きとして出てきます。

【ヨハネの黙示録16:18-19】
この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。また、あの大きな都(エルサレム)は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。

・24:1-7には、地が荒廃することが書かれています。これはヨハネの黙示録では8章に、ラッパの裁きとして出てきます。この裁きでは、地上の1/3が焼かれ、人類、動物、魚の1/3が死にます。

・26:5-6では、偶像礼拝の場所である高き所や性的に乱れた都が粉々に打ち砕かれ、ちりにされると書かれています。これはヨハネの黙示録では、17章、18章で大バビロン(偶像や好色にふけった地上の王たち)への裁きとして出てきます。

天の裁き

・「その日」には、地上だけでなく、神は天においても裁きを行われます。24:21-22では、天の大軍を罰せられますが、これは神に反抗する堕天使たち、サタンの軍勢のことです。また、27:1では、竜と蛇レビヤタンが裁かれることが書かれています。レビヤタンとは、ヨブ記や詩篇にも出てきますが、うろこのあるワニのような怪獣で、ここでは蛇と書かれています。ヨハネの黙示録では、竜は、古い蛇、悪魔、サタンとも呼ばれる者と書かれていますが、その竜と竜の使いたちへの裁きが、ヨハネの黙示録12:7-12、20:1-3、20:7-10で書かれています。

【ヨハネの黙示録20:2-3】
彼(御使い)は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。

【ヨハネの黙示録20:7-10】
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放れ、・・・彼ら(諸国の民)は、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

・このように地上で、そして天でも、神は神に敵対する者たちを裁かれます。神は罰すべきものは必ず罰する義なるお方だからです。これは神の義の表れです。

2.神の守り (神の愛)

残りの者

・24:13に取り残しの実という言葉があります。

【イザヤ書24:13】
それは、世界の真ん中で、国々の民の間で、オリーブの木を打つときのように、ぶどうの取り入れが終わって、取り残しの実を集めるときのようになるからだ。

・イスラエルでは、麦などの穀物やオリーブやブドウの果実など、収穫するものは一粒残らず刈り取ることはせず、わざと取り残しをします。それは貧しい者や在留異国人たちへのために、彼らが落穂拾いをして生きながらえるよう、必ず少し残すようにと、モーセの律法(レビ記19:9-10)で命じられているからです。

・この取り残しの実のように、神は厳しい裁きの中にあっても、真の信仰者、神に信頼する正しい者を残されます。ヨハネの黙示録では、7章に、イスラエル12部族からそれぞれ12,000人ずつ、合計144,000人が額に神の印を押されて、残されることが書かれています。

・この残りの者ですが、苦難や災難に遭わないということではありません。神様はかえって苦難の時に彼らを懲らしめられると26:16に書かれています。しかし、神の懲らしめは、単なる罰ではありません。罪を正し、悔い改めて神に立ち帰り、救われるためです。

【第Ⅰコリント 11:32】
しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。

また、ヘブル人への手紙には次のようなみ言葉があります。

【ヘブル12:5-7】
主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。・・・訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。

・このように、残りの者が残されるのも、また、その残りの者が艱難を通して神からの懲らしめを受けるのも、神の愛の表れなのです。

神の守りの中の平安

・25章から26章には神の守りに対する賛歌が歌われています。

【イザヤ書25:4】
あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのときのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。横暴な者たちの息は、壁に吹きつけるあらしのようだからです。

【イザヤ書25:9】
その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ【主】。その御救いを楽しみ喜ぼう。」

【イザヤ書26:3】
志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

・この26:3の「全き平安」ということばですが、原語では、シャローム、シャロームとシャローム(平安)が2語続いています。これは、最も強い表現方法で、イエス様も大事なことを話されるときには、「まことに、まことに、あなたがたに告げます」というように、“まことに”を2度繰り返されました。アーメン、アーメンです。よって、全き平安とは、最高の平安のことで、神様だけが与えることのできる完全な平安のことです。

・このように苦難や災難の中にも、神に信頼する者には、神の愛が注がれていることがわかります。

3.「その日」に起こること (神の栄光)

主はエルサレムで王に

・「その日」とは、「主の日」とも、「終わりの日」とも言われ、イエス様が再臨されるときを表す特別なことばです。24:23には、この日に、万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となると書かれていますが、他の聖書箇所ではもう少し詳しく書かれています。

【ゼカリヤ書14:4】
「その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・」

【マタイの福音書25:31-34】
25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

・イエス様は人となってこの世に来られた神の御子ですが、よくご自身のことを“人の子”と呼ばれました。マタイの福音書では、人の子が輝かしい栄光を帯びて、み使いたちを従えて天から下ってくると書かれています。そして、全ての国々の民を裁く人の子は、栄光の座についた王であるとはっきり宣言されています。イザヤが見た万軍の主とはイエス様のことなのです。イザヤは、栄光に輝くイエス様を、王であるイエス様を見たのです。

礼拝の民の回復

・27:12-13では、散らされた民(残りの者)の帰還と礼拝の回復が預言されています。

【イザヤ書27:12-13】
27:12 その日、【主】はユーフラテス川からエジプト川までの穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。
27:13 その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリアの地に失われていた者や、エジプトの地に散らされていた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で、【主】を礼拝する。

・ユーフラテス川からエジプト川に至る地域に、イスラエルの民は散らされるが、その日には、ひとりひとり集められ、エルサレムに戻ってくると預言されています。このユーフラテス川からエジプト川までというのは、創世記15章で、【】がアブラハム(当時はアブラム)に約束された土地、アブラムの子孫に与えると言われた(アブラハム契約)約束の地全域です。

因みにユーフラテス川はあの大河ユーウフラテス川ですが、エジプト川というのはエジプトのナイル川のことではなく、シナイ半島の中ほどにあるエジプト川という名のワジのことです。新改訳2017の地図に出ています。

<アッシリア帝国とバビロニア帝国の図>

・この約束の地全域にイスラエルの民は散らされるが、そこから、神は残りの者を再び帰らせるというのです。これは、イザヤが7:3で、長男につけた名前、シェアル・ヤシュブ(“残りの者は帰ってくる”の意)の成就です。神は約束の地に散らされた残りの者を帰らせ、エルサレムでの礼拝を回復させてくださるのです。神の栄光の表れです。

・そして、この帰還の流れは、今も続いています。1948年にイスラエルが再建国した後今でも、全世界から残りの者がイスラエルへ帰還し続けています。これも神の栄光の表れです。

4.神のご計画は必ず成就する

ぶどう(イスラエルの象徴)の回復

・聖書では、さまざまな植物がイスラエルの民の象徴として語られています。オリーブであったり、いちじくであったり、そして、27章ではぶどうが象徴的に使われています。「その日」、神はイスラエルの民のことを「麗しいぶどう畑」と呼んで、その回復を約束されています。

【イザヤ書27:6】
時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満たす。

・しかし、イスラエルの民は、はじめから麗しいぶどう畑であったわけではありません。
前の5:2を見ると、神は、よく肥えた地(約束の地に)、良いぶどう(イスラエルの民)を植えて、甘いぶどうのなるのを待ち望んだが、イスラエルの民は偶像礼拝を行い、神から離れた結果、酸いぶどうができてしまったとあります。
酸いぶどうというのは、酸っぱいぶどうではありません。原語をみると腐ったぶどうのことです。神の目には、神から離れ、偶像礼拝をする民は、悪臭を放つ腐ったぶどうなのです。

・その腐ったぶどうのなかにも、苦難をとおり、神の懲らしめを受けて、悔い改めて神に立ち帰る「残りの者」が残されます。そして、時が来れば根を張り、芽を出し、花を咲かせ、実を着け麗しいぶどう畑が回復されることが約束されています。

約束の地に、良いぶどうを植えた

偶像礼拝の結果、「酸いぶどう」」に

大艱難、主の懲らしめをとおる
残りの者が帰ってくる

「その日」、麗しいぶどう畑が回復

このことは、その後のイスラエルの歴史にも当てはまります。

約束の地に、バビロン捕囚から帰還

AD30年頃 メシアを拒否し、AD70年ローマに滅ぼされる

凡そ1900年間の世界離散、十字軍、ホロコースト
メシアニック・ジュー

1948年イスラエル再建国
終わりの日の御国のエルサレム

ぶどうの木の証し

・以前、イスラエルに行ったとき、ガイドをしてくださった先生からお聞きした話です。ガリラヤ地方からゴラン高原のほうへ向かっていた時のことです。

<ガリラヤからゴラン高原へ向かう途中>

この辺の土地は石がごろごろあってやせた土地で、イスラエルが1948年に再建国されるずっと前から、いろいろな人が開拓に来たそうです。ある時、イギリス人がやってきてぶどうの苗を植えましたが、苗は根を張らず育ちませんでした。その後、フランス人がやって来ましたが、やはり根づきませんでした。今度はアメリカ人がやってきましたが、やはりだめでした。

そこへ、ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人たちが帰ってきて、ぶどうの苗を植えたところ、なんと根がついたというのです。時が来て、約束の民が、約束の地に帰ってきたら、土地も産物を生み出すようになったのです。

<ゴラン高原 ヤルデンワイナリーのぶどう畑>
今ではゴラン高原には、300を超えるワイナリーがあり、ヤルデンなど世界的に高い評価を受けたワインもあって、世界中に輸出されています。

 

 

・時が来て、神は、イスラエルの民を回復され、また同時に、土地をも回復されました。良い地に植えた良いぶどうがたくさん育ち、麗しいぶどう畑になり、多くのワイン(ぶどうの実で作ったもの)が世界の面に出ています。まさに、“世界の面に実を満たす”ことが今起きています。

・神の計画は必ず成就するのです。

結び

・イザヤ書24章から27章はイザヤの黙示録ともいうべき書です。当時、アッシリア帝国の侵攻を目前にして、恐怖の中にいたユダの民に対する預言です。大きな艱難が、神の裁きが来る、しかし、裁かれて終わりではなく、残りの者が残され、必ず回復がもたらされるとの希望の預言でもあります。

・また、それと同時に、世の終わりの時の預言でもあります。全世界への裁きは避けられず、今の世は滅びるが、必ず残りの者、正しい信仰者が残され、主がエルサレムに王として来るときに、主がご支配される全き平安の世界、神の御国が実現します。私たちクリスチャンには、この御国の祝福が約束されています。

試練の中での神の守り

・神は困難の中でも必ず残りの者を残されたように、神は正しい信仰者を守ってくださいます。神は私たち一人一人にご計画をお持ちで、必ずそのご計画を成就される方だからです。今、困難や試練の中にあっても神に信頼し、神につながり続けましょう。

【第Ⅰコリント10:13】
神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

世の光として

・冒頭で、コロナに感染した方が差別、嫌がらせを受けて引っ越しをしたという話をしました。世はますます暗くなり、人々の愛は冷めていきます。しかし、暗いコロナ時代だからこそ、私たちクリスチャンは、御子キリストの十字架の贖いによって救われ、御国の約束を頂いている者として、隣人愛をもって周りに人々に接し、神の栄光を表していきましょう。

【マタイの福音書5:16】
あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。