天の御座に届いたステパノの祈り

礼拝メッセージ
ステパノの殉教 レンブラント作(リヨン美術館所蔵)
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五旬節(ペンテコステ)の日に聖霊が降り、使徒たちや弟子たちは聖霊に満たされました。しるしと不思議の伴う伝道を行った結果、離散の地からエルサレムに来ていたユダヤ人ら、多くの者が、イエス様をメシア、救い主と受入れました。その結果、使徒たちの群れは男だけで5000人の大集団となりました。教会が誕生したのです。しかし、順調に福音が広がるかのように見えた流れの中で、ステパノの殉教事件が起こり、エルサレム教会の人々は、使徒たちを除いて、諸国へ散らされてしまいました。聖霊が降り、教会が誕生し、これからという時にこの殉教が起こりました。なぜ、このようなことになったのか、福音の広がりにどのような影響があるのか、そして、私たちにどのような意味があるのかを考えていきます。

聖書箇所:使徒の働き6:8-15

6:8 さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。
6:9 ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。
6:10 しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
6:11 そこで、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた」と言わせた。
6:12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕らえ、議会にひっぱって行った。
6:13 そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。
6:14 『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」
6:15 議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。

1.ステパノの逮捕

エルサレム教会の誕生と拡大

ステパノが逮捕された時の状況を確認しておきます。イエス様の昇天を見送った12使徒ら弟子たちはエルサレムで祈っていました。その数は凡そ120名でした(使徒1:15)。 ペンテコステの日に聖霊が降った時、離散の地から祭りでエルサレムに来ていたユダヤ人たちにペテロが行った説教で3,000人が救われて、群れに加わりました(使徒2:41)。 その後も救われる者が増え、更にペテロとヨハネが宮で、生まれつき足の不自由な人を癒したのを目撃し、それが「イエスの御名によって」であったことを聞いた多くの人々が主イエスを信じ、男だけで、5,000人になりました(使徒4:4)。 ペンテコステの日から、わずか数日のできごとです。エルサレムに突如大教会が出現したことになります。

ギリシャ語を話すユダヤ人との論争

最初の120人の殆どはガリラヤとユダヤの人々で、ヘブル語を話すユダヤ人です。そこに、離散の地から祭りを祝いに来ていたギリシャ語を話すユダヤ人が大勢加わったのです。皆は持ち物や財産を持ち寄って共同生活を始めました。4章に登場するバルナバもキプロス生まれのギリシャ語を話すユダヤ人で、自分の畑を売ってその代金を教会にささげました。その中で、食料の配給をめぐってギリシャ語を話すユダヤ人たちから苦情がでて、ステパノら7人の執事(全員ギリシャ語を話すユダヤ人です)が任命されました。

ステパノはギリシャ語を話すユダヤ人たちへ伝道していました。それも使徒たちと同じように、しるしと不思議を伴ったものでした(使徒6:8)。 この後に出てくる伝道師ピリポも、しるしと不思議を行っているので、しるしと不思議は使徒以外でも起こることがわかります。その伝道の中で、リベルテンの会堂に属する人々と論争になります。リベルテンの会堂とは、以前は離散の地で奴隷になっていた人々で、自由の身分になった人々が集まる会堂のことです。クレネ、アレクサンドリア、キリキア(トルコの東)、アジア(トルコの西)から来た人々からなる4つのグループがあったようです。ルカがここでキリキアをだしたのは、サウロ(ローマ名:パウロ)がキリキアのタルソの出身なので、サウロがこのグループに属していたからかもしれません。となると、ステパノとパウロが議論した可能性もあります。何を議論したのかは、この後の捕らえられた理由をみれば、メシア、救い主であるイエス様について、イスラエル民族の解放者モーセとの関わり、また、神殿との関わりが論争の中心であったことが推測できます。

この論争では、誰も聖霊に満たされたステパノに対抗できませんでした。

使徒6:10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。

このことは事前に、イエス様も語っておられました。

ルカ21:14-15 「ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです。」

聖霊によって、その時に語るべき言葉が与えられたのです。それも、どんな人も反論できないような、言葉と知恵を与えてくださったのです。

逮捕の理由

そこで、彼らは、ステパノがモーセと神を冒涜する言葉を吐いたというデマを流し、今で言えばフェイクニュースを流して民衆を煽り、ステパノを襲って捕らえ、最高法院へ引き渡しました。イエス様もゲッセマネの園で暴徒に襲われ捕えられ、大祭司カヤパの官邸で裁判を受けましたが、同じことがステパノの身にも起こったのです。

彼らは、最高法院では、偽りの証人を立てて、証言させました。神殿と律法に逆らうことを言うのをやめない、『あのナザレ人イエスは、この聖なるところを壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』とステパノが言うのを聞いたというのです。神殿を否定し、モーセの律法を否定し変えてしまうというのが逮捕の理由でした。
そこで、最高法院の議員たちがステパノを見ると、なんと、彼の顔は御使いのようではないか。シナイ山では、神と出会った後のモーセは、神の栄光を反映して、顔が輝いていました(出エジプト34:29)が、聖霊に満たされたステパノの顔も神の栄光を反映していたのです。

2.ステパノの弁明と糾弾

イスラエルの歴史をとおしてイエス様が約束のメシアであり、モーセはその原型と証言

使徒の働き7:1-2
7:1大祭司は、「そのとおりか」と尋ねた。
7:2そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、・・・

偽りの証言に続いて、大祭司が尋問します。そして、ステパノの長い弁明が始まります。しかし、この弁明はイスラエルの歴史を通して神の救いの計画をコンパクトに、しかも急所を押えて見事に解き明かしています。

先ず、アブラハム。イスラエル民族の父祖。生まれ故郷を離れ、約束の地へ出ていくことで、救いの計画が始まりました。まだ見ぬ子孫と土地の約束を信じて信仰の父となりました。このアブラハムの子孫からメシアが出てくるのです。
次に、そのひ孫ヨセフ。兄弟たちに恨まれ、奴隷としてエジプトへ売られましたが、いつもともにおられる神(インマヌエル)の恵みにより、エジプトの支配者へ引き上げられました。それはその後に来る大飢饉に備えるためであり、一族を飢饉から救い出し、養うためでありました。救い主イエス様の原型としてヨセフを取り上げています。
次に、論争の焦点の一つであるモーセについて。ヘブル人として生まれながら、エジプト王家の子として育てられ、40歳の時、奴隷として苦しむ同胞を自力で助けようとするが、同胞から拒絶され逃亡者へ。80歳の時、神は、同胞の民に一度拒絶されたモーセをイスラエル民族の解放者として召し出されました。モーセはしるしと不思議をもってイスラエル民族全員をエジプトから脱出させ、荒野で、40年間、民を養いました。また、モーセは荒野で、神から「生きたみことば」を授かり、これがイスラエル民族の憲法ともいうべき「律法」となりました。

訴える者たちにとって、モーセは預言者であり、解放者であり、神から律法を授かった偉大な指導者であるのですが、ステパノはモーセを、ヨセフに続いて、メシア救い主であるイエス様の原型と証言しているのです。

使徒7:37 このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる』

このことばは、申命記18:15の引用ですが、この『私のような一人の預言者』とは、イスラエルの民を救いに導くメシア、救い主、つまり、イエス様のことですよ、と言おうとしています。

引用した申命記のこの後には、「あなたがたはその人に聞き従わなければならない」と書かれています。
ところが、先祖の民は、モーセを退け、自分たちの手で作った金の子牛を拝み、神に反抗してしまいました。そのように、あなた方も、モーセの様な預言者であり、メシアであるイエス様に反抗している、とステパノは言いたかったでしょう。しかし、ここでは、抑えています。

神殿崇拝への糾弾 

このあとは神殿についての弁明、糾弾に入ります。

使徒の働き 7:47-49
7:47 けれども、神のために家を建てたのはソロモンでした。
7:48 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
7:49 『主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。
7:50 わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。』

荒野でモーセを通して与えられたあかしの幕屋は、神の臨在されるところでしたが、これを受け継いだのが、ソロモンが建てた神殿でした。しかし、この時には、既に神殿には神の臨在は失われていました。また、イエス様も宮で商売をしている者を追い出す宮きよめをされましたが、神殿が大祭司やその一族、サドカイ人らのビジネスの場になっていて、真の礼拝を捧げるところではなくなっているとステパノは批判したのかもしれません。

そして救い主イエス様が来られ、聖霊が降ったので、もはや、神殿だけが神を礼拝する場所ではないと、ステパノは主張します。

使徒7:48 「いと高きかたは、手で造った家にはお住みになりません。」

このステパノのことばは、実は神殿をたてたソロモン王自身のことばでもあります。

Ⅰ列王記8:27 「それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私(注:ソロモン王のこと)が建てたこの宮など、なおさらのことです。」

そして、7:49-50で、これはイザヤ書66:1-2からの引用ですが、真の神の家はどこに求めるべきなのかを、サドカイ人や最高法院の議員らに突き付けたのです。聖霊によらなければできない発言です。

真の神の家、真の礼拝場所については、イエス様が、サマリヤの女のところで次のように述べています。

ヨハネ4:21-23 ・・・「女の人よ、わたしを信じなさい。この山(注:サマリヤのゲリジム山)でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝するときが来ます。・・・まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時がきます。今がその時です。」

イエス様は、まことの礼拝を捧げるのに重要なのは、場所ではない、神殿が重要なのではない、御霊と真理によって礼拝を捧げることが重要なのだと言っています。
(聖霊が注がれた今、私たち一人ひとりが生ける神の宮、神の家、教会なのです。)

聖霊に逆らう民への糾弾

使徒の働き 7:51-54
7:51 かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。
7:52 あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

神殿崇拝への糾弾のあとは、聖霊に逆らう民への糾弾です。ここからは、「あなたがたは」という言い方に変わりました。最初は、「兄弟並びに父である皆さん」と敬意を表す呼び方でしたが、ここからは、罪を犯している者を糾弾するような口調になっています。

7:51-53は、非常に厳しい言葉です。「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人」というのは、傲慢で悔い改めることのない心のことを表しています。心と耳に割礼を受けていないとは、律法の民、イスラエルの民に対する侮辱的な表現です。
先祖たちが、正しい方、つまりメシアが来ると預言した預言者を殺したように、今は、あなた方がその正しい人、つまりイエス様を十字架に掛けて、殺す者となりましたと断言しました。正しい人とは、イザヤ書53:11では受難のメシアのことです。
先ほどのモーセのところでも指摘したように、イスラエルの民は先祖の時代からずっと神に逆らい、聖霊に逆らってきました。そして今はあなたがたが、神から遣わされたメシアを殺した。神から律法を受けたのに、それを守らなかった、とステパノに指摘されたのです。

事実をステパノに指摘され、人々は反論できずに怒り心頭です。「はらわたが煮えかえる思い」という表現は、原語は「のこぎりで切り取る」の意です。心がズタズタにされたのです。

3.ステパノの殉教

使徒の働き7:55-60
7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

神の栄光と人の子

最高法院の人々が怒りに満ちている時に、ステパノは聖霊に満たされていました。そして、人が見ることのできる最も栄誉ある光景、神の御座と人の子の姿を目にしています。ヨハネの黙示録1:13では、ヨハネはその光景を見て、あまりの畏れ多さに、死んだ者のように倒れ込んでいます。

使徒7:56 「見なさい。天が開け、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」

この言葉によって、ステパノは人々に石打の刑に処せられることになります。
イエス様の時も同じでした。

ルカ22:69 「だが今から後、人の子は、力ある神の右の座に着きます。」 

この言葉によって、イエス様は冒とく罪に定められ、十字架刑に処せられることになりました。

7:56で、「人の子」という言葉が出てきます。イエス様は、好んでご自分のことを「人の子」と呼ばれましたが、イエス様以外で、イエス様のことを「人の子」と呼ぶのはここだけです。聖霊に満たされたステパノは、聖霊からの啓示をいただいて御座の右に立っておられる方を「人の子」と呼んだのです。
イエス様が神の右に立っておられます。神の右の座に着いておられる方が、ここでは立っておられるのです。「良くやった。忠実なしもべよ」と、ステパノのこれまでの証し、弁明をほめたたえているかのようです。因みに、ステパノというギリシア語は“冠”という意味です。勇敢に戦い、走るべき道を走り終えた者に与えられる義の栄冠(Ⅱテモテ4:8)を与えようとされているかのでしょうか。
あるいは、このあと起こる暴動で、最初の殉教者となるステパノの霊を迎えようとされたのかもしれません。

このことを聞いた人々は大声をあげながら、耳をおおい、一斉にステパノに殺到します。「耳をおおう」というのは、神を冒とくする言葉を聞いた時によくユダヤ人がするしぐさですが、この時は、言葉を捨て、理性を捨て、暴力に走る人間の姿です。

主イエスに倣う祈り

町(城壁)の外に追い出され、突き落とされ、上から石を投げつけられながら、ステパノは、激痛をこらえて、イエス様に祈ります。

使徒7:59 「主イエスよ、私の霊をお受けください。」

死を覚悟した祈りです。イエス様も十字架上で、命が尽きる間際に、同じ祈りをされました。

ルカ23:46 「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」

続いて、自分を殺そうとする者たちのために、とりなしの祈りをささげました。上から石が飛び交ってくる中、ひざまづいて。そして、最後の力を振り絞って、残っている命を注ぎだして、大声で叫びました。御座の右に立っておられる主イエスに届けとばかりに。

使徒7:60 「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れとイエス様から教えられた(ルカ6章)その通りを、人生の最後で実践しました。この祈りも、イエス様の十字架上の祈りに倣ったものでした。イエス様も、十字架上で、自分を殺そうとする者たちのために祈られました。

ルカ23:34 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」

このステパノの殉教を機に、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はユダヤとサマリヤへ、そして各地へ散らされます。大集団となっていたエルサレム教会ですが、一夜にしてバラバラにされました。しかし、そのことで、福音が全世界へ広がることになったのです。神はすべてを益に替えてくださるお方であります。

結び.ステパノの殉教の意味

殉教というのはあまり聞きたくない話です。しかし、聖書のこの記述に目を背けず、正面から立ち向かう時、私たちは、このステパノの殉教から学び取ることがあると思います。

福音が全世界へ伝わる

イエス様をメシア救い主と信じる者たちは、迫害が激しくなったことで、エルサレムからユダヤ地方へ、サマリヤ地方へと散らされました。しかし、彼らは散っていく先々で福音を伝道していきました。その結果、シリアのアンテオケやアレクサンドリア、トルコの各都市、そしてヨーロッパへと福音は広がり、アジアへ、アメリカへ、そして日本へもたらされました。逆に言えば、教会への迫害が無ければ、さらに言えば、ステパノの殉教が無ければ、私たちに福音がもたらされなかったかもしれないのです。ステパノ以降、使徒をはじめ、多くの方が迫害に遭いながらも福音を伝えてきました。私たちも身近な誰かから、福音を聞いたから救いに与ったのです。つまづいたように見えても、神様の救いのご計画は確実に進んでいます。

サウロ(パウロ)へのいのちをかけたとりなし

7:58に、証人たちは、自分たちの上着をサウロ(ローマ名:パウロ)という青年の足元に置いた、とあります。上着を脱ぐのは、石打の石を正確に当てるためです。石を投げる者たちの上着を預かっていたサウロは、ステパノの石打に賛成していました。そして、近くで一部始終を見ていたと思います。ということは、ステパノの最後の祈りはサウロにも届いていたのではないでしょうか。その時には、納得できなくとも、心の底に残っていたのではと思われます。その後、サウロは教会を迫害するためにダマスコへ向かいますが、途中でキリストに出会い、回心します。教会を迫害する者から、福音を異邦人へ運ぶ使徒と変えられました。神に敵対する者から、神のしもべへと変えられたのです。ということは、結果として、ステパノの最後の祈り、迫害する者へのとりなしの祈りは聞かれたのです。パウロの回心、救いにおいてステパノの祈りは実現したのです。

一人ひとりの祈りが誰かの救いにつながる

ステパノは最後まで、主イエスに忠実でした。主イエスがメシア、キリストであると証ししたことで、殉教することになりました。最後の場面でも迫害する者のために祈りましたが、その時にはわかりませんでしたが、後にサウロ(パウロ)が回心したように、後になって祈りが聞かれたことがわかります。私たちの場合も、いつか、どこでかで、誰かが福音を伝えてくれたから、誰かが祈っていたから、救われたのではないでしょうか。誰か身近な人、牧師や家族や友人、職場やコミュニティの誰かが福音を伝え、祈ってくれていたのです。私たちも、回りの人のために、福音を伝え、救われるように祈っていきましょう。すぐには結果が分からなくても、神様は、忠実なしもべの祈りに応えてくださるはずです。

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