終末的視点で祈る主の祈り(7)神の力と栄光をほめたたえ、永遠の御国を待ち望む

祈り
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今回は主の祈りの最後にある頌栄について学びます。
「頌栄」とは、「三位一体の神に栄光と尊厳と誉れと賛美を捧げる」「神に栄光を帰する」ことです。神の国では、神の主権と力と祝福は永遠に続き、全ての被造物が神の栄光をほめたたえます。

マタイ6:13 国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。

1 試みに勝利した者による賛美と礼拝

前回は「試み」の二つの意味(試練、誘惑)と、「悪(悪魔、悪行)」からの守りについて学び、信仰が震われながらも試練に勝利したペテロと、悪魔の誘惑に屈して身に滅びを招いたイスカリオテのユダの違いを取り上げました。

主を捨てて逃げだした11人の弟子たちが信仰を取り戻すことができたのは、新しい契約に与っていたからでした。主はパンとぶどう酒で弟子たちと契約(婚約)し、ご自分を裏切ることになる婚約者のために取り成しの祈りをされ、花嫁料として父なる神様に聖い血を捧げて下さいました。ペテロが立ち直ることができたのは、キリストの血によって成立した確かな契約と、将来の花嫁に対する主の愛と祈りがあったからです。

11人の弟子たちは、罪の贖いを成し遂げて復活された主から赦しを受け取り、新しいいのちと使命を頂いて全世界に出て行きました。それは、十字架の死によって人類の罪を贖い、復活して永遠に生きておられ、やがて御国の王として再臨されるイエスの御名を宣べ伝えるためでした。

一方、ユダは自分の野心と願望を満足させたかっただけであり、神の人類救済計画の完成と永遠の御国の実現には関心がありませんでした。彼は盗みを犯していながら罪の自覚がなく、救い主を求めてもいませんでした。ですから主の教えは、ユダにとって茨の中に蒔かれた種のように、実を結ぶことがなかったのです。彼は主の愛と警告にも心を頑なにして、あえて反逆を選び取り、新しい契約を結ぶことなく出て行きました。そして主を売り渡し、復活された主のもとに来て赦しを請うこともありませんでした。

イエス様の復活を目撃し、主がメシアである事を確信した初代教会の信徒たちは、間もなく戻って来られる神の国の王イエス様と、自分たちが受け継ぐことになる永遠の神の国を思い、信仰の告白として、主の祈りの最後に「頌栄」をつけ加えたのかもしれません。

主が再び地上に来られる時、全ての悪は取り除かれ、神の愛と正義に満ちた平和な神の国が到来し、永遠の御国が実現します。イエス様の弟子たちはその約束を確信し、先取り感謝して神をほめたたえ、主の祈りを締めくくったのでしょう。弟子たちの手紙には、そのような頌栄のことばが記されています。

ユダ:25
 私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

2 永遠の御国における頌栄

神の国は滅びることのない永遠の御国です。全地に神の栄光が輝き、全能の神の愛と正義と権威が被造世界に完全に現わされます。「主を知ることが海を覆う水のように地に満ち(イザヤ11:9)」、全ての被造物はただ一人の主を崇め、礼拝します。御国(神の主権、統治、支配)と、神の力と栄光は永遠に続きます。

昔も今も、天の御座の前には6つの翼を持つ4つの生き物(ケルビム)がいて、昼も夜も休みなく「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方」と叫び、御座に着いて世々限りなく生きておられる方に、栄光と誉と感謝を捧げています黙示録4:6~9)。

イエス様が全ての御使いを伴って天から降って来られる時、天にある新しいエルサレムも降って来て、いのちの書に名前の記されているすべての神の民が相続地を受け継ぎます。そこには神の幕屋があり、神がとこしえに住まわれます。贖われた全ての民は、いのちの木の実を食べ、いのちの水を飲んで永遠に生き、御使いたちとともに永遠に神を礼拝します。

使徒ヨハネはパトモス島に流刑にされていた時、将来の神の国の礼拝風景を見せられました。
その幻の中では、復活し、白い衣をまとった24人の長老たちが、御座に着いておられる方の前でひれ伏し、自分たちに与えられた金の冠を投げ出して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、ほめたたえていました

黙示録4:11
 「よ、私たちのよ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」

24人の長老

すると無数の御使いたちが大声で、「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です」と叫びます(5:12)。
そして天と地と地の下と海にいるすべての造られたものが、「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように」と言います(5:13)。

 黙示録7章には、すべての国民、部族、民族、言語から贖われた数えきれないほどの群衆が、白い衣を着てなつめ椰子の枝を持ち、御座と小羊の前に立って、「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある」と大声で叫ぶ様子が描かれています。
これは、再臨されたイエス様が新しいエルサレムで王座に着かれた時の光景です。彼らは大きな患難を経た者たちで、神の神殿の御座の前で、昼も夜も神に仕えることになります。

この時、御使いたちはひれ伏して神を礼拝し、群衆の賛美に応答します。

黙示録7:12
 「アーメン。賛美栄光知恵感謝誉れ勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」

このように、永遠の御国(新しいエルサレム)では、天にいる御使い地に住む人地の下と海にいるすべての被造物が、永遠に神をほめたたえています。

主の祈りの最後に加えられた頌栄は、将来、永遠の御国において御座の前で捧げることになる賛美と礼拝を、今も天でなされている御使いによる礼拝に心を合わせ、信仰によって告白するものであると言えるでしょう。

3 永遠の御国をもたらすキリストをほめたたえる

私たちはどのようにすれば神をほめたたえることができるでしょうか? それは、御子にひれ伏し、御子の御業を感謝し、御子の主権と力と尊厳と栄光をほめたたえることです。

コロサイ1:15~17
 御子は、見えない神のかたちであり、作られたすべての者より先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

全ての被造物は、御子のために、御子によって造られ御子によって成り立っています。
実に、万物の根源であり、創造者、支配者、所有者である御子ご自身が堕落した全ての被造物を贖うために犠牲を払って下さったのです

ピリピ2:6~11
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

御子の十字架の死と復活を讃え、感謝し「イエス・キリストが主である」と告白することが、父なる神に栄光を帰する方法です。

アダムの罪ゆえに全ての人は罪人として生まれ、悲しみや苦しみを体験しながら儚い人生を送った後、死んでちりに帰り、世の終わりに裁きを受けて永遠に滅びなければなりません。

神はご自分の創造された人類を哀れみ、御子を身代わりに裁くことによって、罪人が救われるための道を開いて下さいました。イエス・キリストをほめたたえることによって、人類を贖う神の方法とご計画を受け入れ、神の権威に服し、万物の支配者である神に栄光を捧げることになります。

Ⅰペテロ1:3~5
 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにして下さいました。また、朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。

父なる神は、御子の全ての御業を通して栄光を現されています

神は、御子の身代わりの死を信じた私たちを、御子の復活とともに新しく生まれた神の子と認め永遠のいのちと永遠の神の国を相続させると約束しその保障として聖霊の証印を押してくださいました。そして私たちの生涯を導き、みことばによって私たちを神の民として造り変え、キリストの現れの時、私たちに栄光のからだを与えて救いを完成させてくださいます。

Ⅰコリント15:24~28
それから世の終わりが来ます。その時、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし国を父なる神にお渡しになります。・・・万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

イエス・キリストは天から降って来られ、神に反逆して人類と世界を支配していた悪魔・悪霊どもを滅ぼし、天地万物を神のために取り戻します。その時、父なる神の世界救済計画が完了し、神のパラダイスが実現します。
永遠の御国においては、主キリストを通して全ての被造物が神に従い、神を崇め、ほめたたえるようになるのです。

4 主の祈りの要点と全体像

主の祈り全体の流れと祈りのポイントをもう一度確認しましょう。

①「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように」

 父なる神の御心は、全ての人が真の創造主を知り、父・御子・御霊の三位一体なる神の愛の交わりに加えられ、神の備えられた世界と祝福を感謝しつつ、とこしえに神とともに生きることです。
それは、人類がアダムの失敗によって失った全ての祝福を取り戻し創造主なる神と被造物である人が、本来あるべき親密な関係の中で永遠に神を喜ぶことです。
神の全ての被造物は、世界を創り、保ち、支配しておられる天地の神を尊び、敬うべきなのです。

・天地の創造主なる真の神の御名が、全ての被造物から聖別され、崇められるように。
・すべての造られた者に福音が伝えられ、救われるべき者が救われるように。
・人々が真理を知り、悔い改めて真の神に立ち返り、創造主(父なる神)と被造物(人間)とのあるべき関係が回復するように、そして唯一の神だけが崇められ、礼拝されるように。

②「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」 

御国(神の国、天の御国)」は神の主権、統治、支配が及ぶ全領域を指します。イエス様が再臨されて全世界の王となられた時、地上に神の治める御国が実現します。御国が来ると、神の支配が全地に及び、神の完全な御心(義・平和・祝福)が行われるようになります。

「御国」は私たち信仰者の目指すゴールです。信仰の勝利者は、報いとして神から御国を相続させていただくコロサイ3:24)ことができます。
キリストを信じている者は、復活・栄化され、御子イエス様と同じように不滅のからだに変えられます。アダムの罪によって失われた神との関係が回復され、失っていた祝福を取り戻し、いのちの木の実を食べ、いのちの水の川から飲み、神と共に永遠に生きることができるようになります。

・イエスの御名とクリスチャンの行いを通して神の御業と神の御心が行われ、この世に神の力と栄光と、やがて訪れる神の国のすばらしさを表すことができるように。
・主が再臨され、神の国が地上に実現し、神の愛と義が完全に現されるように。

③「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」

人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるマタイ4:4)存在です。イエス様は、なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食べ物のために働くように命じられました。それは、人の子が与える食べ物です(ヨハネ6:27)。イエス様は、天から降って来て世にいのちを与える「いのちのパン」主のことばは「永遠のいのちのことば」です。

みことばが神の民を育成し、御国を継がせることができます(使徒20:32)。「いのちのパン」「いのちのことば」であるイエスキリストにつながり続け、日々御言葉を学び、互いに分かち合い、「永遠のいのち」に至る霊的な糧を毎日食べ続けましょう。

・主が永遠のいのちの糧を毎日与え、御言葉から真理を悟らせてくださるように。
・みことばを実践して生きることにより、永遠の御国の民として成長することができるように。

④「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」

神から罪を赦された者は、他人の罪を赦すことが求められています。兄弟の罪を赦さないなら、自分の罪も赦されません。兄弟に対しあわれみのない態度を取る者に対しては、神もあわれみのない裁きをされます。互いに罪を赦しあうことは、祈りが聞かれ、祝福されるための条件でもあります。

・主にある兄弟姉妹が互いに赦し合い、それによって神との正しい関係を保つことができるように。
・主が来られた時、非難されるところの無い者として、主の御前に立つことができるように。

⑤「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」

世の終わりには、偽キリスト、偽預言者達が選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます(マタイ24:24)。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者は多いですが、いのちに至る門は小さく、その道は狭く、見いだす者はまれです(マタイ7:14~15)。

悪魔から来る誘惑は、罪を犯させ、信仰を失わせ、主から離れさせようとしますが、神の許しの中で起こる試練は、信仰を成長させ、罪から離れさせ、さらに主に近づかせます
イエス様は、弟子たちが躓き、裏切ることを知りながら、新しい契約を結び、罪を贖うために死なれました。主が花嫁を見捨てることはありません。花婿キリストは、花嫁である教会が信仰を失わず、立ち直ることができるようにとりなし祈っていて下さいます。

・主の助けによって試みから守られ、主に信頼して勝利し、御国を受け継ぐことができるように。

5 神の国が始まる前に起こる特別な「悔い改め」と「赦し」

イスラエルの民は、ユダヤ人の王として生まれ、ユダヤ人の王として死なれたイエス様を拒否した先祖たちの罪と、長い間、福音を拒否し続けて来た自分たちの罪を悔い改めることになります。

ユダヤ人が赦すべき「ユダヤ人に負い目のある人たち」とは、ユダヤ人を「キリスト殺し」と非難し、強制改宗や異端審問を通して迫害し、十字軍やポグロムやホロコーストによって彼らを虐殺してきたクリスチャン、キリスト教会、キリスト教国です。

アブラハム・イサク・ヤコブの神を信じ、同じ(旧約)聖書を持つ異邦人教会は、霊的兄弟であるユダヤ人を、長い間、置換神学と反ユダヤ主義によって苦しめてきました。キリスト教会こそが、イスラエル民族がイエス様を信じることを妨げてきたのです。私たちクリスチャンも、先輩たちの罪を悔い改め、また自分たち自身の無関心や高ぶりを悔い改めなければなりません。

イスラエル民族が自分たちに罪を犯してきたクリスチャンやキリスト教国を赦し、イエス様を拒否し続けた不信仰を悔い改める時、主がイスラエル民族を赦して下さいます。

ローマ11:26~27
こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。

天から来られたイエス様は、イスラエル民族の不敬虔と彼らの罪を完全に取り除き、聖霊を与え、新生させて下さいます。神はアブラハムとその子孫たちに与えた契約を守り、定めの時が来ると彼らを赦し、その罪を拭い去って下さるのです。

エゼキエル37:12~14
である主はこう言われる。わたしの民よ、見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く
わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしがであることを知る。
また、わたしがあなたがたのうちにわたしの霊を入れると、あなたがたは生き返る。わたしはあなたがたを、あなたがたの地に住まわせる。このとき、あなたがたは、であるわたしが語り、これを成し遂げたことを知る──のことば。』

イエス様は天から降って来られ、義人たちを墓から引き上げ、約束の地に連れて行かれます。終わりのラッパが鳴り、死んでいた義人たち(イスラエル民族と諸国民)がよみがえり、生きている義人たちも身体が変えられ、雲の中に引き上げられます。主は御使いを遣わして地の四方から選びの民を集め、新しいエルサレムに迎えてくださいます。こうしてイスラエルは、メシアでありであるイエス様にとこしえに仕えることになるのです。

・キリスト教会がユダヤ人を迫害してきた罪を悔い改め、イスラエルがキリスト教会を赦し、不信仰を悔い改めることができるように。
・イスラエルと異邦人教会が和解し、「一人の新しい人」となって「キリストの花嫁」が完成するように。

6 信仰の最終ランナーとして祈る

主の祈りは神の視点から祈る「終末時代の祈りの課題」です。神の長年のご計画である「人類救済計画」が完了し、天地創造の目的であった「神と人が共に住む永遠の御国」が実現することを求める祈りです。この祈りは必ず答えられます。

① 神と御子イエス様の祈り

御父と御子は一つです。イエス様は父から聞いたことを語り、父の行なうことを見て行い、父の御心を祈られました。イエス様の祈りは、父なる神の願いとご計画に完全に一致しています。イエス様はこの祈りの中で、御父の御心と御計画の実現を祈られたのです。

② 神の家族、信仰共同体の祈り

神を天の父と呼び、イエス様をと信じる信仰共同体の祈りです。キリストの弟子たちは、御父と御子に心を合わせ、聖霊の助けにより、神の家族として一致し、神のご計画実現のために祈ります。

③ 御国の相続人の祈り

新生した神の子たちは永遠の神の国の到来を待ち望み、自分たちに約束された相続地を受け取ることを信じて祈ります。また、自分自身と主にある兄弟姉妹たちが、環境や状況に振り回されたり失望したりせず、神の御心の中心を歩み、神の民として成長して信仰の戦いに勝利し、永遠の御国を相続することができるように、忍耐をもって祈ります。

④ 完全な世界と新しい時代を待ち望む

悪魔の支配する今の時代が終わり、神が正義をもって治める新しい時代が到来します。唯一真の神が治める永遠の神の国では、アダムの罪に起因する全世界の呪いが取り除かれ、神と民がともに住み、祝福されたパラダイスが実現します。
終末時代に生かされている私たちは、神の国を待ち望む信仰者たちの最終ランナーとして、人類救済計画の完成と天の御国の実現のために見張り、祈ることが期待されています。

贖われたイスラエル民族と異邦人教会が棕櫚の枝を振りながら、『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』と主をお迎えする(マタイ23:39)時、新しい時代(永遠の御国)が始まります。私たちは信仰と喜びと感謝に満ち、主に心を合わせ、兄弟姉妹と心を一つにして、主が来られる時まで「主の祈り」を祈りましょう!

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