終末的視点で祈る主の祈り(1)山上の教えと主の祈りの目的/神の国実現の祈り

祈り
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 主の祈りには、神のご計画の最終的実現のために、終末時代のクリスチャンが祈るべき祈りのテーマが凝縮されています。主の再臨と世の終わりが近づいていることを覚え、主と心を合わせて祈りたい課題です。
これから数回に分けて、イエス様が教えて下さった主の祈りについて終末的視点から考えてみます。第一回目は、主の祈りの特徴と目的と全体像についてです。

1.主の祈りの特徴:イエス様を御国の王と信じる「信仰の家族・信仰共同体」の祈り

主の祈りはイエス様ご自身が教え、命じられた祈りです。

マタイの福音書によると、イエス様が「山上の説教」をされた中で、「異邦人が祈るようにではなく、このように祈りなさい」と言って教えられた祈りであることが記されています。
ルカの福音書では、弟子たちがイエス様に「バプテスマのヨハネが祈りを教えたように、私たちにも祈りを教えてください」と願ったことに対する答えとして記されています。

主の祈りは、創造主を知り、同じ信仰を持つ人々が、主に同意して祈る「信仰の家族」としての祈りです。

私たちの天の父は世界の創造者であり、人類の歴史を開始し、導き、終わりを定めておられます。人類が神に背いたゆえに悪魔の支配下で死の恐怖に怯え、病や貧困や争いに苦しまなければならない今の時代はもうすぐ終わり(世の終わりが来て)、神ご自身が正義と公正をもって治める新しい時代(世)である「神の王国(天の御国、神の国)」が始まります。

聖書に約束されている私たちの希望とは、神に義とされた人々が復活して永遠のいのちを受け、永遠の神の国を相続することです。
救いが完成した神の子たちは、神との親密な関係を取り戻し、永遠の滅びの刑罰を免れ、祝福された神の楽園で、神と共に永遠に生きることができるようになります。救われた人は、最後のアダムであるイエス様の勝利によって、最初のアダムが罪によって失った全ての祝福を取り戻すことができるのです(参照:アダム系列からキリスト系列へ 十字架のビフォー・アフター)。

主の祈りは、神様の約束が実現するために私たちが祈るべき祈りの課題です。

イエス・キリストに従う弟子たちや、イエス様をラビ(先生)と呼ぶ人々は、主の教えに基づき、同じ希望と同じ信仰に立ち、同じ祈りの課題を握って祈りました。
イエス様の復活後、イエス様をメシアと信じた人々の群れである「教会・エクレシア」は、主が戻って来られることを期待し、集まるたびに心を合わせて祈ったと思われます。
そして聖書の神と聖書の約束を信じる私たちも、復活の希望を握り、主の再臨と神の国の到来を待ち望みつつ、神の家族として心を合わせて祈るべきなのです。

主の祈りは、主の血潮によって贖われた「神の子供たち」が、神の御心と聖霊の導きに従い、信仰共同体」として心を一つにして祈る、主の御心の祈りであると言えます。イエス様はご自分に従う者たちに、「神の御計画の実現と自分たちの救いの完成のために祈りなさい」と命じられたのです。

2.主の祈りの全体像:天の御国を中心とした、神の御計画実現のための祈り

御国の子供たちは「天におられる父なる神様」にどんな課題を祈るのでしょうか。
マタイの福音書とルカの福音書には、主が命じられた祈りの文言が記されています。

マタイ6:9~13
6:9 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』

ルカの福音書11:2~4
11:2 そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。
11:3 私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。
11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。』」

主の祈りの課題は、前半と後半に分けることができます。

前半: 唯一真の神の御名が全地であがめられるようになり、天の御国が実現することを求める祈り。神様の人類救済計画の完成に関わる祈り。
後半: 主に従う民が守られ、整えられ、確実に御国を相続することを求める祈り。私たちのための祈り。

① 前半:神の御心と御国が実現することを祈る

人類救済計画の完成に関する祈りの課題は、大きく分けて二つあります。

第一の祈祷課題は「神の御名が聖なるものとされること」「神の御名があがめられることです。創造主が被造物から聖別され、唯一真の神として全人類からあがめられるようになることを祈ります。

創造主なる神様は、本来、神の被造物である全人類によってあがめられるべき方ですが、多くの人は偶像礼拝や無神論に走り、いのちと祝福の源である天地の主から離れています。

御名をあがめることと救われることは関連しています。偽の神々を信じていた人々が真理を知り、悔い改めて真の神のもとに立ち返るなら、罪赦され、神の民として新しく生まれることができます。その人々は神に感謝し、御名をあがめ、神の栄光を褒めたたえるようになるでしょう。

最終的には「イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰する」ようになり(ピリピ2:10~11)、自然界においても「主を知ることが海を覆う水のように地に満ちるイザヤ11:9)」ようになります。

ですからこの祈りは、神に背いて堕落していた人類が、被造物としてあるべき姿に回復し、神の聖なる御名をあがめるようになること、聖書の神の御名が聖別され、全ての被造物が神の栄光をたたえるようになることを求める祈りです。

第二の祈祷課題は「御国が来て、御心が天で行われるように地でも行われる」ことです。不義と不正が取り除かれ、神が公義と正義によって統治する完全な世界「神の国」が実現することを祈ります。

イエス様が再臨される時には、悪魔の支配が終了します。
人類を堕落させ、神から引き離して支配していた「この世の神」が取り除かれ、「義なる王」「平和の神」が支配する神の王国が始まります。悪人や罪人はいなくなり、神と人、人と人、人と自然界との関係が回復し、神による繁栄と祝福と喜びで世界が満たされるようになります。
失われていた神の園(エデン)が取り戻され、神が始めに創造された時のように素晴らしい「神のパラダイス(新しいエルサレム)」が地上に到来するのです。

ルカの福音書では「御国が来る」という一つの課題にまとめられていまが、マタイの福音書では「御国が来る」ことと「御心が天で行われるように地でも行われる」ことに分かれていますす。前半の祈りは、「御名が聖とされること」「神の国が来ること」「御心が地で行われること」の三つの祈祷課題と考えることもできます。

② 後半:御国の民の救いの完成のために祈る

御国の民が永遠の御国を相続するために、三つの祈りの課題があります。

第一の課題は、神の民に日ごとの糧が与えられ、神の国に入る日まで、いのちが支えられることです。

「日ごとの糧」は、肉体にとっての食物だけでなく、霊的な食物も意味します。

ヨハネ3:5
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

御国の民は新しく生まれた「霊の子」であり、「天に属する者(Ⅰコリント15:48)」です。やがて「御霊に属するからだによみがえり(15:44)」、「天に属する方のかたちを持つ15:49)」ことになります。

肉体が「肉の糧」を必要としているように、「霊の子」を養うためには「霊の糧」が必要です。新生したクリスチャンにとっての霊の糧は「みことば」です。初めは「みことばの乳」によって養われ、やがて「堅いみことば」も食べられるようになり、霊的に成長していきます。

第二の課題は、御国の子どもたちが罪(負い目)を赦し合い、神からも罪を赦され、義とされることです。

私たちは神様に対し、一生かかっても返しきれない負債(罪、負い目)を抱えていましたが、主の身代わりの死によって、その負債の一切合切が返済されました。信仰と恵みによって義とされた御国の民は、罪赦された者として互いに赦し合うことが求められています。

コロサイ3:13
 互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

怒っても罪を犯してはならないし、憤ったままで悪魔に機会を与えてはいけません(エペソ4:26~27)。人を赦すことで、悪魔の策略と罪から守られ、天の父の完全な赦しを受け取ることができます。

第三の課題は、悪魔の誘惑と罪から守られ、最終的な滅びから救い出されることです。

Ⅰペテロ5:8~10
 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。・・・あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

悪魔は竜のように攻撃し、迫害によって信仰を捨てさせようとするかもしれません。あるいは、蛇のようにずる賢く、誘惑し、惑わし、背教させようとするかもしれません。ですから、全ての試練や誘惑から守られ、霊的ないのちを保ち、最終的な勝利を得ることができるように祈る必要があります。

後半の3つの祈りは、贖われた民が主の日の滅びから救出されて、永遠の御国に入るために必要な祈りです。

③ 頌栄

最後の頌栄は聖書には書かれていません。信じる者たちの信仰告白として後から付け加えられたようです。約束されていた神の王国が訪れ、神の国と神の力と神の栄が永遠に続くことを、信仰を持って宣言します。「国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。」

3.御国を受け継ぐ民の生き方と、御国で受ける報い

  マタイの福音書5~7章の山上の説教(山上の垂訓)は、天の御国の王(イエス様)御国の民に、御国での価値観と生き方、御国の民のあるべき姿について教えられたものです。主の祈りは、イエス様が山上で語られた説教の一部として記されています。ですから主の祈りは、御国の民として選ばれた人々が祈るべき課題と言うことができます。

イエス様は、御国を受け継ぐことができるのはどのような人か、そして御国の民はどのような幸いを受けるのか教えておられます。

① 心の貧しい者

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです(マタイ5:3)。

心の貧しい人とは、自分の霊的乏しさ、弱さ、罪深さを知って遜り、神を求め、神に頼り、神を愛する人です。そのような人は、神の住まわれる御国に住むことができます。

ヤコブ2:5
 神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。

身分の高い人や金持ちは、自分の能力や財産を信頼し、神を求めないことが多いものです。人は神を求めるようになる前に、困窮したり挫折したりして、プライドが砕かれ、低くされることが必要かもしれません。

② 悲しむ者

悲しむは幸いです。その人たちは慰められるからです(5:4)。

人類の罪と悪の増大のために苦しみ、悲しんでいる者は、新しいエルサレムに迎えられた時、主から慰めを受け、目の涙を拭い取っていただけます(黙示録21:4)。

③ 柔和な者

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです(5:5)。

  柔和な者とは、神の意志に完全に服従し、人に対しても怒りや傲慢な思いを抱かない人、謙遜な人のことです。柔和は御霊の実の一つで、Ⅰペテロ3:4には、柔和な穏やかな霊は朽ちることがなく、神の御前に価値があると書かれています。

地を受け継ぐ」は「御国を相続すると言い換えることができます。聖書の教える「救い」とは、いわゆる「霊魂の救い」ではありません。「天の御国を受け継ぐ」とは、雲の上の世界や霊魂だけの異次元空間に行くことではありません。罪を犯す以前のアダムのように、神の被造世界(地)で神と共に生きることです。

「地を受け継ぐ」人は、柔和な人以外にも、詩編37編では主を待ち望む人37:9)、貧しい人37:11)、主に祝福された者37:22)、正しい者37:29)、主の道を守る人37:34)であると説明されています。

イザヤ57:13では、「わたしに身を寄せる者は、地を受け継ぎわたしの聖なる山を所有することができる」とあります。「わたしの聖なる山」は、主の住まいのある新しいエルサレムのシオンの山を指します。

④ 義に飢え渇く者

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです(5:6)。

詩編9:7~8 しかしはとこしえに御座に着き、さばきのために王座を堅く立てられた。主はによって世界をさばき、公正をもってもろもろの国民をさばかれる。

主が再臨されたなら、悪人・罪人を裁き、苦しめられていた義人・善人を救い出してくださいます。義なる神が全地を治められるので、神の国には罪も悪も存在することはできません。神の正義がなされることを切望している心の正しい人は、神の国で神の義に満ち足りて喜ぶことでしょう。

⑤ あわれみ深い者

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです(5:7)。

クリスチャンは天の父があわれみ深いように他人をあわれむべきです(ルカ6:36)。あわれみ深い人は神のあわれみを受け、裁きを免れることができます。

ヤコブ2:13
あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみは裁きに勝ち誇るのです。

⑥ 心のきよい者

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです(5:8)。

へブル12:14
 すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません

心のきよい人は主の住まいのあるシオンの山に上り、主にお会いします。

詩編24:3~5
 だれがの山に登り得るのか。だれが聖なる御前に立てるのか。手がきよく心の澄んだ人、そのたましいをむなしいものに向けず、偽りの誓いをしない人。その人はから祝福を受け、自分の救いの神からを受ける。

心を清く保つ人は、イエス様が来られた時、主の本当のお姿を見て、主に似た者になります。

Ⅰヨハネ3:2~3
 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。

⑦ 平和をつくる者

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです(5:9)。

平和をつくる人は神の家族の平和を保ちます。そしてサタンに勝利し、罪人を悔い改めさせ、神との平和へと導きます。

コロサイ3:15
 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。

ヤコブ3:18
 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。

ローマ16:20
 平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。

⑧ 義のために迫害される者

 義のために迫害される者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです(5:10)。

神の義と裁き、悔い改めとイエスの御名による罪の赦しを宣べ伝えて迫害される人、真理を語って苦しみを受ける人は、神の国が到来した時には小羊の血で洗われた白い衣を着て、神の御座の前で神に仕えるようになり、永遠に神の守りの中に生きることができます(黙示録7:1~15)。
殉教者たちは神とキリストの祭司となり、裁きを行う権威が与えられ、キリストとともに千年間、王として治めます(20:4、6

主が再臨されるなら、その人たちは主と同じ栄光のからだに変えられて、名実ともに神の子どもとなります。そして地上に到来した天の御国「新しいエルサレム」で神にお会いし、慰められ、満ち足り、哀れみを受けるのです。(参照:「信仰の目的地③ 天の御国と御国の民」)

イエス様は、永遠の御国を受け継ぐのに相応しく、御国で報いを受ける幸いな人について、8つの特徴を教えてくださいました。主は山上の説教の中で、父なる神の御心と、御国を相続する幸いな人として祈るべき課題を示されたのです。

4.神の視点から祈る終末時代の祈り

① 崇高な神のかたちに変えられていく

イエス様は山上での教えを通して、モーセの律法で教えられている義の基準よりも高い基準(御国の民の基準)を示されました。

キリストの血を信じた人の義はパリサイ人の義に勝ります。
御国の民はこの世の生活においても世界を腐敗から防ぐための「地の塩」となり、良い行いを通して天の父を証しする「世の光」となり、神の愛と義を表す生き方をします。

・兄弟たち(同じ天の父を信じる者)を愛し、互いの罪を赦しあい、和解します。
・自分に敵対する者をも愛し、祝福し、迫害する人々のために祈ります。
・哀れみをもって貧しい者を助け、善行や施しをしますが、偽善者のようではありません。
・御国を受け継ぐ人は神と人を愛し、この世の人生を通して神の御心を行い、神の栄光を表します。

主は天の父の視点から、御国の民のあるべき姿、神のかたちに似せて造られた人の本来の姿と生き方を教えられたのです。ですから、御国の子供たちは天の父が完全であるように完全であるべきです(5:48)

これらの教えは人間的には実行不可能に思われます。実際、生まれながらの人の努力では、達成することはできないでしょう。でも、新生した人が内住の聖霊に導かれるなら、不可能ではありません。イエス様は律法を廃棄するためではなく、成就させるために来られた(5:17)ので、主と御言葉に従う者には、信仰と従順によって御言葉を実行できるようにしてくださるのです。

 聖霊による再生と刷新の洗いをもって救われた(テトス3:5)御国の民は、御言葉によって作り変えられ、御国を受け継ぐ「幸いな人」として成長していきます。

② 祈りを通して神のご計画に参画する

イエス様は、天の父は祈る前から人間の必要をご存じであるから、個人的な必要を異邦人のようにしつこく繰り返して求める必要はないと言われ、その上で、弟子たちが祈るべき課題として「主の祈り」を教えてくださいました。ですから主の祈りは、人間の視点で自分の祝福を求めるための祈りではありません。また、自分の願いの実現を主に聞いていただくために前提条件として祈るものでも、形式的、義務的に唱えるものでもありません。

主の祈りは、神の視点から祈る終末時代の祈りの課題です

神が人類を救済される目的が二つあります。
・堕落した人間の罪をキリストの死によって贖い、赦しを受け取った者たちを神のもとに取り戻し、神と人が共に住むことのできる永遠の神の国を地上に建てること
・預言されていた通りに御計画を実現させ、聖書の神が唯一の真の神であり、全能の主であることを世界に証明すること

聖書は、神の目的のために献身した人々の証しで満ちています。

旧約時代の預言者たちは、人の子(物質的存在)となって来られる神の子(霊的存在)が、神の王国(支配)を地上に実現させると預言しました。
バプテスマのヨハネの働きは、イエス様がダビデの子(神の国の王)であると民衆に知らせ、悔い改めた人々を主のために用意することでした。
イエス様は、しるしと不思議を行ってご自分がダビデの子であると証明し、町々村々をめぐって神の国の福音を宣べ伝えられました。そして十字架の贖いを成し遂げ、復活し、ご自分をメシアとして明らかにされました。メシアは「キリスト、油注がれた者」という意味であり、ダビデの子として生まれ、神の国の王となる救い主を表します。
使徒たち・主の弟子たちは、イエス様が聖書に約束されていた神の国の王・救い主であり、やがて再び戻って来られることを教え、悔い改めてイエス様を信じる者は義とされて神の国を受け継ぐことができると福音を語りました。
パウロ書簡は、信者たちに正しい福音を伝えて異端や背教から守り、御国の子どもとして成長できるように助け、永遠の報いを受け取るように励ますために書かれました。

聖書とイエス様と神のしもべたちの働きはすべて、神の御計画を示し、その実現である御国と御国の王とを宣べ伝えることでした(参照:神の国の福音を全世界に宣べ伝える)。

主の祈りは、神の御計画が最終的に実現し、神に立ち返った人々が神の国を相続して神と共に住み、神の栄光が永遠に全地で褒めたたえられるようになることをゴールとした祈りです。
イエス様は、ご自分が王となって治める神の国が実現するために、神の子どもたちが父の御心に沿って共に祈ることを願っておられるのです。

次回からは、主の祈りの一つ一つの課題について、さらに詳しく学んでいきます。

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