終末的視点で祈る主の祈り(3)御国の到来と御心の完全な実現を祈る

祈り
御国が来ますように
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主の祈り(マタイ6:9~13ルカ11:2~4)の学びの3回目です。今回学ぶ祈りは「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように、地でも行なわれますように」です。

一つ目の祈りの課題は、天の父の御名があがめられる(聖とされる)ことでした。

「御名が聖とされる」とは、創造主なる神が全ての被造物から区別され、唯一の真の神として崇められることです。天地の造り主なる神は全被造物から賛美と誉れと栄光を受けるべき方ですが、人類は悪魔に騙され、偽りの神々の支配下にあります。

御名を崇める人は、創造主(父なる神)を知り、神との正しい関係が回復されている人です。罪を悔い改め、キリストを通して父なる神と和解し、永遠のいのちと永遠の御国を約束された人は、自分の神を愛し、あがめるようになります。ですから御名があがめられるように祈ることは、不信者が救われるように祈ることにつながります

2つ目の祈りの課題、御国が来ますように。御心が天で行われるように、地でも行われますように」は、人類の救いの完成と天地創造の最終的完成に関わる祈りです。

初めの人アダムの背信以来、人類は神の園から追い出され、永遠のいのちを失ってしまいました。神様は、罪のために堕落した人類を滅びから救い出し、いのちを与えて再び神と共に住まわせるため、人類救済計画を進めておられます。

御国(神の国・天の御国)が来ると、人となられた神の御子イエス様が地上に再臨されて全地を統治されるので、被造物の世界(人間関係、自然、世界)が本来あるべき姿に回復されます。人類は王の支配下で祝福、健康、繁栄を取り戻し、神から与えられた使命を果たすようになるのです。ですから御国が来るように祈ることは、私たちの救いが完成し、神様が世界を創造された目的が達成されるように祈ることであると言えます。

ルカの福音書では「御国が来る」という一つの課題となっていますが、マタイの福音書では「御国が来る」ことと「御心が天で行われるように、地でも行われること」の二つに分かれています。御国が来るなら、御心が地で行われるようになりますから、終末的な視点で見た時、これらは同じ目的のための祈りであると考えることができます。

1.聖書全体を貫くテーマ「神の国の実現」

祈りに入る前に、まず御国とは何か、御国が来るとはどういうことがを考えてみましょう。

① 聖書の歴史観

聖書で教えられている人類の歴史には初めと終わりがあり、神は目的をもって歴史を導いておられます

創世記には、人の造られた目的と使命アダムの罪とその結果原福音救いの計画の始まりが記されています。
黙示録には、地上の裁きと救いの完成王の帰還新天新地と地上に実現する神の国について啓示されています。

聖書全体にわたって、人類救済計画、神の国の王、神の国の実現について教えられています。

歴史書…御国の王の血統を示し、永遠の支配に至る道筋を示す
預言書…救い主であり王であるキリストの初臨と来臨・世の終わり・神の国到来について啓示
詩歌…神であるキリストの来臨と永遠の支配、永遠の神の国について啓示
モーセ五書…神の御心と、神の国の法律と生き方(キリストの律法)について啓示

人類の歴史は神による天地万物の創造から始まりました。罪を犯し、神から離れて堕落した人間は、悪魔の支配下に落ち込みましたが、イエス様を神の御子キリストと信じる者には罪の赦しが与えられ、新しく生まれた神の子とされて、神の支配下に取り戻されます。
救い主イエスの御名と福音が全世界に宣べ伝えられ、主を信じる者が誰でも救われる恵みの時代が終わると、主が再臨されて歴史が完了します。

マタイ24:14
 御国の福音は全世界に宣べ伝えられ、すべての国民にあかしされ、それから終りの日が来ます。

神の国は、主の日に神ご自身が天から降りて来られ、人間の歴史に劇的に介入され、悪を滅ぼし、新秩序を打ち立てる時に地上に実現します。その時、サタンの支配する「この世」が終わり、神の支配する新しい時代が始まるのです。

② 神の国の計画は契約に基づいて進展する

罪を犯して堕落した人類のために、創造主の一方的な恵みによって人類救済計画が開始されました。神は選びの民との契約(アブラハム契約、モーセ契約、ダビデ契約、新契約)に基づいて「神の国」を実現されます。

アブラハム契約・・・全世界を祝福する子孫がアブラハムの子孫から生まれる
モーセ契約・・・永遠の大祭司と人類を贖う方法についての啓示
ダビデ契約・・・ダビデの子孫から永遠の御国の王が生まれる

新契約はそれらの契約を前提とし、旧約聖書の約束を完成させるものです。キリストの十字架の死により贖いが実現し、御子を信じる者には御国を受け継ぐ保障として聖霊が与えられ(エペソ1:13~14)、終わりの日の復活が約束されました

イスラエル民族は人類救済計画を実行するための器として選ばれ、御国の相続を約束された契約の民です。神は、アブラハム契約から新契約までをイスラエルと結ばれました。イスラエル民族を通して、アブラハムの子・ダビデの子であり、大祭司かつ御国の王であるイエス様が世に送り出されました。

新契約は、イスラエル民族だけでなく、悔い改めた異邦人にも適用されるようになりました。異邦人クリスチャンはキリストを信じる信仰によりアブラハムの子孫とされ、神とイスラエル民族との契約に加えられ、イスラエル民族と同じ約束を受け取ることができます。

③ エデンの園は神の国の「ひな型」

 エデンの園は、永遠の神の国を目に見える形で地上に表した「ひな型」です。本体は天にある神のパラダイス黙示2:7)です。

それは、アブラハムが憧れた天の故郷(へブル11:10,16)、パウロが幻で見た主のおられる第三の天Ⅱコリント12:1~4)、ヨハネが幻で見た天のエルサレムです(参照信仰の目的地(1)第三の天とパラダイス)。そこには神の住まいいのちの木があり(黙示2:7,22:2)、やがて天から下って来ます(黙示録3:12)。

黙示録21:1~7
また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。・・・「見よ。わたしはすべてを新しくする。」・・・「事は成就した。わたしは、アルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる

・勝利を得て永遠のいのちが実現し、神の子として完成した人は、地上に到来した新しいエルサレムを相続します。
・新しいエルサレムでは、アダムの罪の結果(呪いと裁き、死・悲しみ・叫び・苦しみ)が取り除かれアダムが失ったもの(神との関係、永遠のいのち、祝福)を完全に取り戻します
・神と民は父と子の関係になり、神は民と共に住まわれます

この新しいエルサレムが、最終的な神のパラダイスです。

④ 地上になされる神の支配

キリストが再臨されると支配体系が変わり、サタンの支配する「この世」が終わって、神の支配する「神の国」が始まります。神の御子がアダムの失った地上の支配権を取り戻すので、神の御心が地上で完全に行われるようになります。

Ⅰコリント15:24~28
それから(キリスト再臨と復活の後)終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。最後の敵として滅ぼされるのは、死です。
「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物を キリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物 をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

御子があらゆる支配・権威・権力と死を滅ぼしすべての敵を足の下に置き悪魔から世界を取り戻して父なる神に渡されます。御子は父なる神の御心に従い、主権をもって万物(被造世界)をご自分に従わせ、支配されるので、神がすべてにおいてすべてとなられ、神の御心が完全に実現します。

2.御国の到来を祈るとは

では、御国が来て、御心が地で行われるためには、具体的にどのように祈ったらよいのでしょうか?

① 御国の王の再臨を祈る

イエス様が再臨されると、御国が地上に到来します。

イエス様は、「人の子が御国とともに来る」と言われました(マタイ16:28)。御国は、霊的、観念的な思想の世界ではなく、目に見える現実的世界として地上に来るものです。私たちが天に移住するのでも、異次元空間に移行するのでもありません

創造主が初めに人をエデンの園に住まわせた時、神が天から園に来られて人と交流されました。
人は地上の物質で造られたからだを持ち、呼吸をする生きものであり、宇宙空間に住めるようには造られていません。また、「天」は神のものであり、人の住む場所として与えられたのは「地」です(参照:人とはどのような存在か(1)人の成り立ちと存在の目的)。ですから、人が罪を犯す前、被造物である人間と親しく交わるために、神ご自身が地上に来られたのです。

イエス様は世界を創造された神ご自身(神の子)ですが、人類を贖うために、肉体を持つアダムの子孫、人の子となって地上に来られ、贖いを成し遂げ、天に帰られました。主はやがて世界を治める王として地上に戻って来られます。人は自力で清くなることができないだけでなく、神の御座のある天上世界に住むことが許されていません。そのため、神の国が始まる時、神ご自身が地上に来られて、義とされた人々とともに住んでくださるのです。

御国が来るように祈るとは、イエス様の再臨を祈ることでもあります。

② 救いの完成・人類救済計画の完成を祈る

「御国」は、救いが完成し、栄光のからだに変えられた神の子が受け継ぐ「相続地」です。

神との関係が回復して神をあがめるようになった民が、最終的に受け取る報いです。「御国」は、アブラハムとその子孫たちに約束された天の都(パラダイス)です。キリストを信じてアブラハムの子孫とされたクリスチャンにも同じ約束が与えられています。

主が戻って来られた時、最後まで信仰を保っていた人は、復活・栄化されます。死に勝利して不滅のからだに変えられ、永遠のいのちを持つ神の子たちは、「御国を相続し、神と共に永遠に生きることができます。主が再臨されるまで復活・栄化は起こらないので、それまでは誰も御国に入ることができません。また、人の努力で御国を地上に建設したり、拡大したりすることもできません

信仰者の最終目的地(ゴール)は、地上に到来した神の国です(参考:信仰の目的地(5)完成された神のパラダイス)。私たちは主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています(コロサイ3:24)。

「主よ、主よ」という者が皆、天の御国に入るのではなく、父の御心を行う者が入るのです。新しいエルサレムに入れずに、外の暗闇に投げ出される人もいると教えられています(参照:人とはどのような存在か(4)滅びを刈り取る肉の人、いのちを刈り取る御霊の人)。
クリスチャンの信仰が聖書的な確かなものとなり、一人一人が御心に適った歩みをして、キリストに似た者へと変えられていく為にも祈る必要があります。

御国の到来を祈ることは、私たちの信仰と救いの完成、神の人類救済計画の完成を祈ることでもあります。

③ 新天新地の到来を祈る

天にある御国が地上に来る時、宇宙規模の大変革が起こります。

主が天から地上に来られ、神の国が始まる時には、天地も新しくされます。

大艱難時代の終わりに天変地異が起こり、太陽は暗くなり月は光を放たなくなり星は天から落ち天のもろもろの力は揺り動かされます。そのとき、イエス様が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来られます。天地は消え去り、この時代が過ぎ去って、神の治める御国が地上に到来します(マタイ24:29~30、34~35)。

今ある天と地は、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日に火で焼かれてしまいます。主の日が来ると、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。その後、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地に替えられます(Ⅱペテロ3:7、10~13)(参照:終末と再臨(5)天の万象が震われ、新天新地と新エルサレムが到来する)。

御国の到来を祈ることは、神の義の宿る新天新地の到来を求めることでもあります。

④ 新しいエルサレムの到来を祈る

主が再臨され、主の住まい(天の都、新しいエルサレム)が地上に降りて来ます。

御国の首都は天から降って来る新しいエルサレムで、贖われた神の民だけが入ることができ、神と民がともに住む場所です。新しいエルサレムには主の御住まい(御座)があり、シオンの山は世界一高い場所となると考えられています(イザヤ2:2~4詩編48:2)。

新しいエルサレムにはいのちの木があって12種の実を食べることができ、葉は薬となるので病人はいなくなります。またいのちの水の川があり、自由に飲むことができます。新しいエルサレムには死も病も、悲しみ・苦しみ、嘆きもありません。聖徒たちへの約束が全て実現し、神との関係、永遠のいのち、祝福を取り戻すことができます。新しいエルサレムに住むまでは、まだ死があるのです。

ヨハネが幻で見た新しいエルサレムは、アブラハムが見た天の都パウロが幻で見たパラダイスモーセがシナイ山で見た神の住まいダビデが都上りの歌を書いた時に見ていた都と同じものであると推測されます。キリスト信仰・聖書信仰の最終目的地は、この新しいエルサレムです(参照:信仰の目的地(2)天の都と天のエルサレム)。

御国の到来を祈ることは、新しいエルサレムが地に到来するように祈ることでもあります。

⑤ 神の主権と支配、義と平和の実現を求める

 御国が来ると、全地の王である神の主権・支配・統治が地上で完全に施行されるようになります。

「御国(神の国)」は、神の主権、統治、支配が及ぶ領域を指します。主が再臨されたなら、サタンが偽の神として支配している今の時代(この)が終わり、神の支配する新しい世(時代)が始まります。神であるイエス様が全世界の王として鉄の杖をもって治められる時、悪・罪・不義・不正が取り除かれ、神の完全な御心が全世界で行われるようになります。

全知全能の神が天だけでなく地上においても実際的に王となられ、公義と正義をもって世界の全てを正しく統治されるので、全地に秩序が取り戻され、正義と愛に満ちた、平和で祝福された世界が実現します。

御国が来るように祈るとは、神ご自身が世界を義によって治め、神の平和と祝福が全地を覆うように祈ることです。

⑥ イスラエルの救いと、教会とイスラエルの一致を祈る

イスラエル民族とクリスチャンは、ともに神の家族として御国を相続させていただきます。

イエス・キリストは、ご自分の肉において隔ての壁、敵意を打ち壊し、二つのもの(イスラエル民族と異邦人信者)を一つにし、新しい一人の人に造り上げて平和を実現してくださいました。二つのものが同じ一つの御霊によって御父に近づき、キリストにあって組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります(エペソ2:14~22)。クリスチャンがイスラエルに取って代わったわけではありません(参照:「新しいひとりの人:クリスチャンとイスラエルの救いの完成」)。

御国には、救い、救い主、神、神の国、律法などに対する見解の相違や、ユダヤ教とキリスト教の対立は存在しません。イスラエルと諸国民は同じ神の家族であり、それぞれの立場で王に仕えます。

ですから、以下のような祈りも必要です。

・イスラエル民族の悔い改め・救い・使命の回復
・教会の福音理解、神の御計画に対する理解が深められ、置換神学が取り除かれること
・イスラエルとキリスト教会の対立がなくなり、両者の信仰が一致すること

まとめ:御国が来るように祈るとは
・主の再臨、神の人類救済計画(イスラエルと諸国民の悔い改めと救い)の完成を祈る。
・義の宿る新天新地に替えられ、神と人が共に住む天の都・新しいエルサレムが地上に到来することを祈る。
・義なる王イエス様が全地を治め、愛と平和と祝福に満ちた世界が訪れることを祈る。
・人類が神の祝福と使命を取り戻し、神とともに世界を正しく治めるようになることを祈る。

3.祈りの答えはキリスト再臨によって実現する

 第一の祈り:唯一真の神の御名が全地であがめられる(聖とされる)ようになることを求める祈り

神の第一の御心は、被造物が世界の創造主、所有者、支配者である神を知り、神を神としてあがめるようになること、神との平和な関係の中で喜び感謝し、祝福を受けて永遠に生きることです。

第二の祈り:天の御国と神の御心が地において実現するようになることを求める祈り

神の目的と私たちの希望は、神の人類救済計画が完成し神が世界を創造された目的が達成され永遠の祝福が実現することです。

神の御国が地上に来ると、悪魔の支配と罪への誘惑が終わり、義なる王によって全世界が正しく治められるので、神の完全な御心が地上に実行されるようになります。そして救いの完成した神の民には永遠のいのちが実現し、神の家族として永遠に神と共に生き、神の祝福を存分に楽しみ、喜ぶことができるようになります。
終末時代に生きる全ての神の民にとって、神のこの御計画が実現されることこそ希望なのです。

① 「天で行われるように地でも行われる」ようになる3つのこと

 御名があがめられますように。御国が来ますように、御心天で行われるように地でも行われますように。」
この祈りにある「天で行なわれるように地でも」は、「御心がおこなわれること」だけでなく、「御名があがめられる」こと、「御国が来る」ことにもかかっています。 

・「御名が天であがめられているように、地でもあがめられますように」
・「御国が天にあるように、地にも来ますように」
・「御心が天で行われているように、地でも行われますように」

御国が到来し、全地で御名があがめられ、みこころが天でも地でも行われることは、神の最大の願いです。神はその目的を達成されるために、長い年月をかけて人類の歴史を導いてこられました。

神の御心の奥儀は、時がついに満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって、一つに集められることです(エペソ1:9~10)。
主が全ての御使いを伴って来られるので、新しいエルサレムでは、天(御使い)と地(人)が一つになり、神の御顔を仰ぎ見て礼拝します。そして自然界も神の栄光を讃えるようになります。

② 良い知らせと私たちの希望

良い知らせ(福音)とは、メシアが来て堕落した世界を終わらせ、エルサレムで王座に着き、新しい世界と新しい秩序を打ち立てて下さるということです。

イザヤ52:7~10
 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。あなたの見張りの声がする。彼らは声を張り上げ、ともに喜び歌っている。彼らは、主がシオンに戻られるのを目の当たりにするからだ。
エルサレムの廃墟よ、ともに大声をあげて喜び歌え。主がその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。主はすべての国々の目の前に聖なる御腕を現された。地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見る

あなたの見張り」はイエス様の再臨(主がシオンに戻られる)、新しいエルサレムの到来(エルサレムが贖われた)、人類の救いの完成(地の果てのすべての者が神の救いを見る)、地上の神の国の実現(あなたの神は王であられる)を祈り求めてきた人々です。彼らは死んでいても復活し、その実現を目の当たりにして大いなる喜びに満たされ、神をほめたたえます。彼らはイエス様の願いと命令に従い、主の御心の祈りを祈り続けてきた人々なのです(参照:「エルサレムの平和:神のヴィジョン実現のための祈り」)。

私たちは「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れテトス2:13)」を待ち望んでいます。私たちの救いの完成と永遠の祝福は、キリスト再臨にかかっているのです。「復活し、永遠のいのちを得て、御国を相続することができる」と確信しているなら、どんな困難、苦しみ、悲しみにも耐えることができます。

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