エルサレムの平和:神のヴィジョン実現のための祈り

祈り
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エルサレムの平和ために祈ることは教会の使命の一つです。戦争やテロ攻撃からの守り、現実の諸問題の解決と勝利を祈ることはもちろんですが、エルサレムの平和を祈る中心的目的は、神のヴィジョンの実現のために祈ることです。では、エルサレムに対する神のご計画とは何でしょうか? そして祈りの答えはどのように実現するのでしょうか? この記事では、エルサレムのために祈ることにどんな意味があるのか、そして、教会はエルサレムのためにどのように祈れば良いのか考えます。

1.城壁の上の見張り番

イザヤ62:6~7
「エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは、一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと【主】に求める者たちよ、休んではならない。主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」

城壁の上の見張り番(人)は、エルサレムに対する神のご計画を神に思い起こしていただくために、休まず熱心に祈ります。彼らはエルサレムに対する主の約束が実現するように祈り求める人です。そしてその祈りは、エルサレムが堅く建てられ、この地の誉れとなるまで止むことはありません。神ご自身が、「わたしがエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで熱心に祈り求めなさい。わたしを休ませてはいけない」と命じておられるのです。見張り番は主にコミットして、神の計画実現のために祈り続けなければなりません。

2.エルサレムは人類救済計画の中心地  

 神の人類救済計画は、エルサレム抜きに進めることはできません。エルサレムの歴史には神のご計画が啓示され、それはイスラエルの歴史を通して進展してきました

・BC2000年頃、アブラハムが主に命じられて「モリヤの山」イサクを捧げた(創世記22章)。
⇒アブラハムは、御子を十字架に付けた父なる神様の型です。そしてイサクは、人類を贖い、祝福するためにご自分のいのちを捧げられたイエス様の型です。

・BC1004年、ダビデ王がエブス人のシオンの要害を攻め取り「ダビデの町」とし、エルサレムを首都と定めた(Ⅰ歴代11:4~7、Ⅱサムエル5章)。
⇒後にダビデ王の子孫から生まれるメシアは、王となってエルサレムの「シオンの山」に住まわれます。

・BC1000年頃、ダビデ王が「エブス人アラウナの麦打ち場Ⅱサムエル24章、Ⅰ歴代誌21章ではエブス人オルナンの打ち場)」を買い取り、主に祭壇を築いた。
⇒これ以降、この土地の売買の記録が無いので、イスラエルでは、今でもダビデ家にその所有権があるとされています。つまり、ダビデ王の子孫のメシアが正統な所有者になるということです。

・ダビデ王がエルサレムのダビデの町に天幕を張り、主の契約の箱を置いた(Ⅰ歴代誌15:1Ⅱ歴代誌1:4)。
⇒天から降る新しいエルサレムでは、神の幕屋が人とともにあり(黙示録21:3)、神が人とともに住まわれ、人は神の御顔を仰ぎ見ます。

・BC950年、ソロモン王が第1神殿を建設(第Ⅱ歴代誌1~7章第Ⅰ列王記7~8章)。これ以降その場所は「神殿の丘」と呼ばれるようになった。
⇒新しいエルサレムでは、神と小羊との御座が都の中にあり黙示録22:3神であられる主と子羊とが都の神殿です(21:22)。

地上のエルサレムは天のエルサレムを表す型であり、神様の最終的ヴィジョンを啓示しているのです。

3.エルサレムは主の安息と祝福の場所

詩篇132
132:13 【主】はシオンを選び それをご自分の住まいとして望まれた
132:14 「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。
132:15 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し その貧しい者をパンで満ち足らせる132:16 その祭司たちに救いをまとわせる。その敬虔な者たちは高らかに喜び歌う

神様のご計画は、主を愛する敬虔な者、遜った者をエルサレムに住まわせ、祝福で満たすことです。

最初の人アダムとエバがエデンの園から追い出された結果、人類は死・病・貧困・争い・災いなどに苦しんできました。神の最終的ご計画は、御子の血により贖われ、救われた人々を取り戻して神の園に住まわせ、初めの計画通り、一切の呪いを取り除いて祝福し、喜びで満たすことです。エルサレムに対する神のご計画とは、神のパラダイス(御国)を地上に実現し、神と民とが永遠に共に住むことなのです。

全地は主のものであり、国々の境界は主が定められました。その中でイスラエルは主のゆずりの地エルサレムはイスラエルの神が御名を置くために選ばれた場所です。そしてイスラエル民族は主の選びの民です。

イスラエルの存在と召命、イスラエルに約束された領土と首都エルサレムを認めることは、神の主権を認めることにつながります。エルサレムの帰属についてどう解釈するかは、聖書の神に対する信仰の秤と言えます。

4.エルサレムの平和のためのダビデの祈り

エルサレムの平和のために、具体的にどのように祈れば良いのでしょうか?

詩篇122  都上りの歌。ダビデによる。
122:1 「さあ【主】の家に行こう。」人々が私にそう言ったとき 私は喜んだ。
122:2 エルサレムよ 私たちの足はあなたの門の内に立っている。
122:3 エルサレム それは一つによくまとまった都として建てられている。
122:4 そこには多くの部族 【主】の部族が上って来る。イスラエルである証しとして【主】の御名に感謝するために。
122:5 そこには さばきの座 ダビデの家の王座があるからだ。
122:6 エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかである(栄える)ように。
122:7 あなたの城壁の内に平和があるように。あなたの宮殿の内が平穏である(繁栄がある)ように。」
122:8 私の兄弟友のために さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」
122:9 私たちの神【主】の家のために 私はあなたの幸い(繁栄)を祈り求めよう。

ダビデが生きていた時代には、まだエルサレムには神殿も城壁も宮殿もありませんでした。神殿や宮殿が建てられたのはソロモン王の時代で、エルサレムはダビデの生前にはまだ都として完成していませんでした。ですからダビデは、将来のエルサレムを信仰の目で見て、神の家(神の住まい、神と神の家族)のために祈っているのです。

ダビデが「エルサレムの門の内に立っている122:2)」、「多くの主の部族が主の御名に感謝するために上って来る122:4)」、「さばきの座、ダビデの家の王座がある122:5)」と語っているのは、イエス様再臨後のエルサレムの情景を見ていたのだと思われます。

ダビデはその幻(ヴィジョン)が実現することを願い、これからエルサレムでどんな戦いが繰り広げられるか知らないにもかかわらず、エルサレムに平和があるように、城壁と宮殿の内に平和と平穏(繁栄)があるようにと祈ったのでしょう。

またダビデは、エルサレムを愛する人々、兄弟・友である人々、神の家のために平安と幸い(繁栄)を祈っています。「私の兄弟」とはイスラエル民族を、「友」とはイスラエルの神を信じる諸国民を指しているのかもしれません。彼は預言者でしたから(使徒2:30)、神のヴィジョンを教えられ聖書の神を信じる神の家族(イスラエル民族と諸国民)全体のために祝福を祈っていたのでしょう。

5.「エルサレム」の意味

エルサレムの持つ意味、エルサレムに対する神のご計画とは何でしょうか?

「エルサレム」はヘブライ語で「イェル + シャライム」です。

シャライムシャロームの複数形と考えられています。「シャローム」は「神からもたらされる健全さ、完全さ、神の良きものに満ちている状態」を指しています。一般的に「平和」と訳されていますが、いろいろな意味を含んでいます。

①平和(和解、和平) ②平安(平穏、無事、安心、安全) ③健康(回復、健全、成熟)
④充足(満足、生きる意欲) ⑤知恵(悟り、霊的開眼) ⑥成功(卓越、達成)
⑦繁栄  ⑧勝利  ⑨救い  ⑩完全

詩編22編には、平和、安らか(栄える)、平穏である(繁栄がある)、幸い(繁栄)という表現が見られますが、すべて「シャローム」に含まれる概念です。ダビデはエルサレムと民のために「シャローム」の持つすべての良いことを祈っていたのかもしれません。

「イェル」の意味についてはいくつかの解釈――「エル(神)/イルエ(備え/イェル(ヴィジョン・神のご計画)」――があり、「イェルシャライム」はそれぞれ「平和の神」「平和の備え」「平和のご計画」と理解することができます。そして「平和」にはあらゆる良きものが含まれています。

「エルサレム」の意味について他の解釈(イェル + シャレ―ム)もあります。

・「イェル」は「神のご計画(考え)」、「シャレ―ム」は「完了する、成就する」で「神のご計画が完全に成就する
・「イェル」は「見る」を意味する「ラーアー」の未完了形であることから「ヴィジョン」、「シャレ―ム」は「完了する」という意味で、「神はご自分のヴィジョンを完了される

総合的に解釈すると、「エルサレム」は、神の備えてくださるあらゆる良きものと、神がご計画されたあらゆる祝福が実現するところ、神のヴィジョンが完成するところとなります。つまり、神の全ての祝福で満ちた永遠のパラダイスを指していると考えられるのです。

エルサレムの平和を祈る」とは、エルサレムに対する神のヴィジョン(あらゆる祝福、良きもの)が実現するように祈ることです。その祈りの答えは、最終的に新しいエルサレムが天から降る時に実現します。

神ご自身がご計画を実現しようと見張っておられ、ご自分のヴィジョンにコミットする人々に、主の再臨まで祈り続けることを命じておられます。見張り番」とは、エルサレムに神の最終的なイェルシャライムが実現することを祈り求める人です。

6.エルサレム興亡の歴史: 神のシャローム計画を阻止しようとする敵との戦い

神を憎む悪魔は、神のご計画を阻止するために不信者たちを用いてイスラエル民族とエルサレムを攻撃させてきました。エルサレムは異邦諸国の侵攻と支配を受け、神殿の破壊と再建が繰り返されました。

BC586年バビロンのネブカデネザル王が、神殿とエルサレムを破壊。
BC598年ペルシャのクロス王の勅令でユダヤ人がバビロンから帰還。総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアたちにより神殿の礎が据えられる。反対者たちにより建設が中断される。
BC516年ダレイオス王の命令で第2神殿完成ネヘミヤが城壁再建(BC515)。アルタクセルクセス王の命令で祭司エズラたちが帰還し、仮庵の祭り、宗教改革を実行。
BC332年ギリシャ、アレクサンダー大王の支配。
BC323年~プトレマイオス朝エジプトの支配~セレウコス朝シリアによる支配。神殿が汚される。
BC167年マカバイ戦争。祭司のハスモン家がシリアから神殿を奪回し、再奉献する(164年)。
BC63年ローマのポンペイウスがエルサレムを占領。
BC37年ヘロデ王がエルサレムを支配。
BC20年:ヘロデ王が第2神殿の改築に着手、AD64年まで拡張が続く。
AD30年頃からイエス様が神の国の福音を宣教、十字架の死と復活聖霊降臨教会誕生と宣教開始
AD66年熱心党によるエルサレム占拠。
AD70年ローマ帝国ティトス将軍第2神殿を破壊、エルサレム陥落、ユダヤ人の世界離散。
638年イスラム教徒がエルサレムを征服。アル・アクサ・モスクの建設。岩のドーム建設(AD691)。
1099年十字軍がエルサレムを征服、エルサレム王国とする。ユダヤ人とイスラム教徒を大量虐殺。
1187年イスラム教徒(クルド人)がエルサレムを再征服。ユダヤ人のエルサレム定住を許可。
1250年イスラム教徒(マムルーク朝)がエルサレムを征服。
1518年オスマントルコがエルサレムを征服。
1917年英国が国際連盟から委任されてエルサレムを統治。
1947年国際連合がパレスチナ3分割を決議(ユダヤ人国家、アラブ人国家、エルサレム国連管理地区)。
1948年5月14日イスラエル独立宣言第1次中東戦争(独立戦争)勃発。イスラエル勝利。  東エルサレムはヨルダンに取られるが、西エルサレムはイスラエルが支配し、ユダヤ人国家の首都に。
1967年第3次中東戦争(六日戦争)でアラブ・イスラム教10か国連合軍に圧勝、東エルサレム奪還、エルサレム再統一(6月7日)。
1973年10月6日第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)勃発、逆転勝利。

2023年10月7日にガザ地区イスラム教過激派組織ハマスとの全面戦争が勃発し、今も戦いが続いています。

やがて、エルサレムに偽指導者によって偽の平和が訪れ、第三神殿が建設されると推測されています。すでに第三神殿建築の準備が整い、祭司の子孫たちが神殿祭儀の訓練を続けています。しかしこれから再建される神殿には「獣」が自分を神として立ち、真の神を信じる者たちを迫害し、神殿は最終的に焼き滅ぼされ、エルサレムは大地震によって壊滅すると預言されています。

主の大いなる恐るべき日、主が再臨されて全ての敵を滅ぼされます。そして新しいエルサレムから全地を治められるのです!

7.三宗教の聖地エルサレムは霊的戦いの中心地

エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三宗教の聖地であるがゆえに、常に宗教的な対立があり、たびたび紛争が起こります。エルサレムはイスラエルの首都であるのか、パレスチナの首都であるのか、エルサレムの帰属をめぐる争いが続き、それが世界紛争の火種となっています。

ローマ教皇は、聖書の記述を根拠にエルサレムがイスラエルの首都であると主張することは認められないと断言し、プロテスタントの中にも反イスラエル、親パレスチナの立場に立つ人々がいます。

イスラム教では、「ユダヤ教は神の御心から外れて失敗し、預言者イエスはユダヤ教改革を目指したが、自分を神としたので裁かれて殺された。アラーは最後の預言者としてムハンマドを遣わした」とされています。イスラム教が本当の教えなので、イスラム教が支配した地域を再びユダヤ教やキリスト教が支配することがあってはなりません。それでイスラム教徒たちは、再建国したイスラエル国とユダヤ教徒の存在を許すわけにはいかないのです。

そのためイスラエルは、自分たちの存在を認めず、滅ぼそうとするイスラム教国と、これまで何度か全面戦争を戦ってきました。イスラエル国周辺に占拠するイスラム教過激派組織は、いつでも攻撃しようと機会をうかがっており、エルサレムをユダヤ人から奪還する、あるいは滅亡させると宣言し、イランはそのために核開発を進めています。そしてユダヤ人を狙ったテロはイスラエル国外でも頻繁に起こっています。

エルサレムは霊的戦いの中心地です。それは、聖書の神と聖書の民を憎む勢力、神の人類救済計画と永遠のシャローム計画に反対する勢力が戦いを挑んでいるからです。その背後で働いて、イスラエル国とイスラエル民族に対する憎しみをもたらしているのは悪魔なのです。クリスチャンは、神のご計画が実現するまで、エルサレムの平和のために祈り続ける必要があります。

8.主は「エルサレム・シャローム計画」を思い起こされる

 主は見張り番の訴えを聞かれます。その祈りの答えはどのように実現するのでしょうか?

ゼカリヤ8:2~3
万軍の主はこう仰せられる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。」主はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」

ゼカリヤ1:14-17
1:14・・・『万軍の【主】はこう言われる。わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した
1:15 しかし、わたしは大いに怒る。安逸を貪っている国々に対して。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らは欲するままに悪事を行った。』
1:16 それゆえ、【主】はこう言われる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の【主】のことば──測り縄がエルサレムの上に張られる。』
1:17 もう一度叫んで言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしの町々には、再び良いものが満ちあふれ【主】は再びシオンを慰め、再びエルサレムを選ぶ。』」

主はエルサレムをねたむほど激しく愛しあわれみをもってエルサレムに帰り、すべての敵に復讐されます。そしてエルサレムに宮を建て直し、エルサレムのただ中、シオンの山に住み、ご自分の民に良いものを満ちあふれさせてくださいます主はエルサレムに平和を回復されるのです。

イザヤ62:1~2
62:1 シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はしない。そのが明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
62:2 そのとき、国々はあなたの義を、すべての王があなたの栄光を見る。そのとき、あなたは新しい名で呼ばれる。【主】の御口が名づける名で。

わたしはイエス様、あなたはエルサレムです。主がエルサレムを守り、救い、義とされます。主が再臨され、栄光に輝く新しいエルサレムが天から降って来ます。「主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとする」時、諸国の民はその栄光を見ることになります。そしてエルサレムに新しい名がつけられます。

エレミヤ33:6~9、14~16
見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』
・・・・・「見よ、その時代が来る──のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。
その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる。

 わたし(ダビデの子孫、義の若枝であるイエス様)がこの地に公正と義を行い、この都(エルサレム)に回復、癒やし、すべての祝福と平安が与えられ、真の平和が実現します。エルサレムには「主は私たちの義」という新しい名前がつけられ、地の全ての国々の間で栄誉となり栄えとなります。

9.見張り番の受ける報い

イザヤ52:7~10
52:7 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。
52:8 あなたの見張りの声がする。彼らは声を張り上げ、ともに喜び歌っている。彼らは、【主】がシオンに戻られるのを目の当たりにするからだ。
52:9 エルサレムの廃墟よ、ともに大声をあげて喜び歌え。【主】がその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。
52:10 【主】はすべての国々の目の前に聖なる御腕を現された。地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見る
52:11 【主】に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭には、とこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。

幸いな良い知らせ(福音)を伝える人は、シオンに向かって「平和」の訪れと「救い」の完成と「神がエルサレムの王となられる」ことを告げ知らせます52:7)。神の御子・平和の君であるイエス様が再臨され、エルサレムで王座に就かれる時、エルサレムに神がご計画されていた真の平和が実現するのです。

エルサレムの見張り人たちは主の再臨を目撃して、喜びの歌声を張り上げます(52:8)。長い間の祈りの結果を見たのです。「さあ、花婿だ。迎えに出なさい(マタイ25:6)。」彼らはすでに死んでいても復活し、まだ生きているなら栄光のからだに変えられ、空中に携え挙げられて帰還された王を迎えに出ます

地上のエルサレムは廃墟になってしまいましたが、死者に新しいからだが与えられて復活するように、主はエルサレムを贖い、栄光に輝く新しいエルサレムとして復活させてくださいます52:9)。

散らされていた民も復活し、地の四方から集められ、喜び歌いながらエルサレムに入ります。そこでは、いのちの木の実を食べ、いのちの水を飲み、永遠に生きることができます。主が彼らの涙をぬぐって慰めてくださるので、嘆きも悲しみも苦しみも消え去ります。主が永遠にともに住んでくださり、彼らはとこしえの楽しみと喜びを受けることができます(52:11)。

こうして神の救いが地の果てにまで及び、全地に住む者たちは聖書の神の真実と、ご計画の完成を見ることになります。見張り番の祈りは全うされ、エルサレムの贖いと全地の救いが完成するのです。

10.私たちの目指す永遠のエルサレム 

イザヤ65:17~18
  見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。 だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

主は、現在の争いに満ちたエルサレムを廃止し、新しいエルサレムを創造されます。それは、死も悲しみも苦しみもない、神のあらゆる完全な祝福が実現する真のエルサレムです。そのエルサレムはやがて地上に訪れるのです。

へブル13:14
 私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。

黙示録21:1~2
 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。

 主が再臨され、新創造されたエルサレムが天から降って来て、神のシャロームが満ちあふれます。その時、贖われた民は相続地・聖なる都に迎え入れられ、神の約束を受け取ります。そこではアダムが失ったあらゆる祝福を取り戻し、とこしえのシャロームを喜び楽しむことができるのです。

クリスチャン信仰の目的は、この新しいエルサレムを相続することです。この都で永遠のいのちが実現し、永遠に神と共に生きることができるのです。人類に対する神の完全な祝福計画(イェルシャライム)が完成します。

11.神の永遠のヴィジョン実現のために、エルサレムの平和を祈る

私たちもダビデのように神のヴィジョンを握り、忍耐を持って祈り続けましょう。

神を信じ、エルサレムを愛する人々に、神からの祝福、救い、助け、解放、繁栄がありますように。
メシアを待ち望むイスラエル民族が、イエス様を信じて救われますように。エルサレムに対する神のご計画と永遠のいのちの希望を握って、紛争や困難に立ち向かうことができますように。
イスラエルを憎むイスラム教徒たちが福音を聞いて真理に目が開かれ、悔い改めてメシアを信じることができますように。平和の神を知って愛に満たされ、偽りと洗脳、憎しみと暴力と復讐心から解放されますように。
クリスチャンが神のご計画を悟り、神の視点でイスラエルとエルサレムを理解することができますように。終わりの時代の教会の役割を知り、エルサレムの見張り人として時代を見分けて祈り、福音宣教と良いわざに励むことができますように。

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