御国の王イエス様が実現される永遠の御国

完成した神の国 信仰の目的地
完成した神の国
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聖書における神の国とは、神に義とされた人間が、生ける真の神(王)の統治下で、永遠に神と共に住む地上の王国です。それは、神の御心通りに完成した被造物の世界です。

1.世界が完成し、神の栄光が満ちる

① 神と人が一つになって住む

イエス様は最後の晩餐の後、神殿の前で父なる神様に祈られました。

ヨハネ17:21~24
 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。
父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。

イエス様が願われたことは、父なる神と御子イエス様が一つであるように、神の民が神のうちで完全に一つになり、神と御子と共にいて、御子の栄光を見ることです。

聖霊を与えられた人々は、今の時代には霊的世界において一つになっていると言えますが、神の国では、民は神と現実的に一つとなり、直接的に神の栄光を見ると考えられます。

エペソ1:9~10
(神は)みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。

みこころの奥儀とは、「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって一つに集められること」です。今、天におられる神と地に住む人間との間には隔てがあり、人は直接、神とお会いすることができません。父なる神は、御子の犠牲を通して、神から離反した人間を神の元に連れ戻し御子の再臨によって神と人が実際に共に住むことができるようにしてくださいました。

イエス様は父なる神の栄光を帯び、聖なる御使いを伴って天から降って来られ、エルサレムで御座に着かれます(マタイ25:31、マルコ8:38、ゼカリヤ14:5)。その時から、天にあるもの(御使いたち)」と「地にあるもの(贖われた民)」一つに集められ、キリストと共に住むことになります。

② 神の子たちの現れと被造物の解放

キリストにあって神があらかじめお立てになったみむね」とは、「すべての被造物が神の栄光を知り、神のご計画されていたあるべき姿に回復して被造物としての栄光を現し、王なるキリストのもとで永遠の祝福を喜び楽しむこと」であると考えられます。

天地を創造された神は、植物、海に住む生き物、空を飛ぶ生き物、地を這う生き物を造り、最後に人を造られました。神はご自分の造られたすべてのものを「良いもの」であると満足され、エデンの園で人と交わることを喜びとされていました。そして人にとって、神の造られた世界を正しく治めることは、喜びとなるはずでした。

しかし人は神に反逆し、その結果、人と神との関係は破壊され、人はその地位を奪われ、貶められてしまいました。悪魔の支配下で罪を犯し続ける人類は、滅びに向かって突き進み、自然界も人間の罪のために破壊され、悪化し、滅びに向かっています。

ローマ8:19~22
被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます
。被造物が虚無に服したのは、自分の意思からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています

アダムとその子孫たちの罪のために、世界に罪が蔓延し、そのため、被造物も滅びに拘束されてしまいました。地上に現れた神の国では、贖われた人が滅びから救い出されるように、被造物も滅びの束縛から解放されると考えられます。神の子どもたちの働きを通して被造物が回復し、神の被造世界に対する御心が実現するのでしょう。

ヤコブ1:18
 この父が私たちを、いわば被造物の初穂にするために、みこころのままに真理のことばをもって生んでくださいました。

初めの創造で最後に造られた人類は、新しい世界において最初に完成します。神の子どもたちは栄光のうちに現れ、神の民のアイデンティティと使命を取り戻し、御国の王キリストの統治のもとで、神の代理として、神の造られた世界を正しく治めるようになります(参考:こんなに素晴らしい救い)。その時、他の被造物も父なる神の計画されていた「本来の姿」に変えられ、神の子どもたちの栄光の自由にあずかるようになると考えられます。

③ 被造物の世界が完成する

イエス様が悪魔の支配を終わらせ、地上に訪れた新しいエルサレムのシオンの山で、全地の王として支配される時、人間は本来の身分と地位に回復され、被造物の世界にも秩序と平和と祝福が実現します。

イザヤ51:3
まことに、シオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある。

と訳されている「パラダイス」は、「塀で囲まれた美しい庭園」を表します。最初のパラダイス(エデン)が失われたため、神は新しいパラダイスを地上にもたらされます(パラダイスについてはこちらこちらを参照)。全地の創造主であり、支配者・所有者・贖い主なる神が来られる時、シオンはパラダイスとなります(シオンについてはこちらを参照)。

詩編132:13~15
主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。」

神の住まいとして選ばれたシオンは、再臨された主によって贖われ、変えられます。

イザヤ35:1~2、5~6
荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。・・・そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。

シオンに主が住まわれる時、すべての被造物が主の祝福を体験して喜び、感謝と歌声に満ち溢れます。

イザヤ11:6~9
狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。

イザヤ65:25
狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。

わたしの聖なる山とは、主の住まわれるシオンの山です。

神の支配される新しい世界では真の平和が実現し、弱肉強食の生存競争は無くなり、被造物同士が仲良く暮らすようです。「インマヌエル」の世界では、造られたすべてのものが贖われ、あるべき姿を取り戻すのでしょう。

キリストにあって世界は回復され、全ての被造物が神の栄光に与り、自分の栄光を現します

エデンの園においてアダムとエバの結婚で始まった神の国建設は新しいエルサレムにおいてキリストと花嫁の結婚によって完成します。そして創世当初からの神のご計画が完成するのです。

2.神のパラダイスの完成

キリスト信仰の目的は、永遠のいのち栄光のからだをいただき、永遠の御国を相続することです。

エペソ1:11~12
またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。

御国」とは、主の再臨によって始まる神の国であり、具体的には、「生ける神の都へブル人11~12章、天から降って来る新しいエルサレム黙示録21~22章」です。それは、アダムが追い出されたエデンの園に替わる永遠のパラダイスです。私たちは約束の地を相続したなら、永遠に神をほめたたえずにはいられないでしょう。

① 非難され、踏みにじられている地上のエルサレム

エルサレムは原語ではイェルシャライム、複数形です。

ガラテヤ4:25~26には、地上のエルサレムと天上のエルサレムがあると書かれています。比喩的に、地上のエルサレムは「女奴隷ハガル(肉によって奴隷の子を産む)=古い契約を表し、上にあるエルサレムは「自由の女(御霊によって自由の子を産む)=新しい契約を表すと説明されています。

地上のエルサレムでは、今もユダヤ人たちが旧契約に基づいてモーセ律法(割礼、食物規定、安息日、祭りなど)を守っています。しかしエルサレムの帰属をめぐって、世界はいつもイスラエルを非難し、イスラエルに対するイスラム教過激派からの攻撃は絶えることがありません。

神殿の丘はイスラム教組織ワクフの管理下にあります。聖書の持ち込みやユダヤ教・キリスト教の祈りは禁止され、ユダヤ人は原則として神殿の丘に上ることができません。ユネスコは、「イスラエルがイスラム教の聖地を侵略し、イスラムの信仰を妨げている」と非難声明を出しています。

エルサレムは歴史上ずっと、イスラエル民族とイスラエル国の首都でしたが、それ以外の国や民族の首都となったことはありません。それでもイスラム教諸国は、「パレスチナにはイスラム教の歴史しかない。ユダヤ人は歴史を捏造している。ユダヤ教神殿は無かった」と言い、神殿の丘の地下にある聖書の歴史的遺産を破壊し続けています。そして、「エルサレムを完全にイスラムの支配下に奪い返し、イスラエルを滅ぼすまで戦い続ける」と宣言しています。

エルサレムアブラハムがイサクを捧げた場所、ダビデ王がエブス人から購入した町、ソロモン神殿が建設された場所です。そして、神がご自分の住まいとして選び、永遠に住むと誓われた都です。けれども、地上のエルサレムは、今なお奴隷状態にあるのです。

② 私たちの相続地、天のエルサレム

ヘブル12:22~24
 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山生ける神の都である天上のエルサレム無数の御使いたちの喜びの集い天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。

生ける神の都=天上のエルサレム」には、教会(信仰を全うした長子たち)が登録され、無数の御使いたちの祝会が用意されています。

まだ贖われていない旧約の民は、今のエルサレム(奴隷状態)にあって、多くの不条理と苦難を体験し、非難と攻撃を受け続けています。

しかし、「新しい契約により、御霊によって生まれた自由の子」が最終的に受け継ぐ場所は、地上のエルサレムではなく、生ける神の都である天上のエルサレムです。それは、「神が設計し、建設された、堅い基礎の上に建てられた都(11:10)」であり、「神が用意された都(11:16)」です。イエス様が弟子たちに、「あなたがたのために住む場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎える(ヨハネ14:2~3)」と言われた場所です。

へブル13:14
私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。

私たちの受ける相続地(御国)天にある都で、それはやがて地に降って来ます(「天の都」と「天のエルサレム」を参照)。

「クリスチャンは死後、霊魂が天に昇り、パラダイスでイエス様と幸せに過ごす」と考えている方が多いですが、人間が神のおられる天に昇るのではありません。御国の王イエス様と、イエス様の住まいのある新しいエルサレムが天から降って来て人間が神とともに住むことができるようになるのです。

へブル12:26~28には、やがて天地が揺り動かされ、造られたものが取り除かれるが、「私たちは揺り動かされない御国を受ける」と教えられています。地上のエルサレムはやがて大地震と火によって滅ぼされますが、私たちは「来たるべき都」つまり、「揺り動かされない御国=新しいエルサレム」を相続することになります。

③ 新しいエルサレムですべての祝福を取り戻す

黙示録21:1~4
また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

新しいエルサレムで人は神と共に住み、一切の呪いが無くなります。それまでは、クリスチャンであっても、死と涙と悲しみと叫び声と苦しみを経験します。主が天から降って来られたなら、義人は栄光の身体に変えられて、新しいエルサレムを相続し、主とともに永遠を過ごすことになります。その時、すべての呪いが取り除かれ、死、病、戦争、貧困、悲しみ、苦しみ・・・がなくなります。

イザヤ65:16~19
 この地で祝福される者はまことの神によって祝福され、この地で誓う者はまことの神によって誓う。かつての苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない

この地」とは新しい地であり、新しく創造されたエルサレムです。アダムとエバがまだ罪を犯す前、神がエデンにいた彼らを訪れ、交わりを楽しまれたように、御子はご自分の住まい(新しいエルサレム)を地にもたらされ、贖われた人々を招き入れて、ともに住むことを喜ばれます。

キリストに望みをおいていた私たちは、地上に訪れた永遠の御国において、神を喜び、神の栄光をほめたたえ、永遠の祝福を楽しむことができます。そして神の民がキリストの支配下で、新創造された世界を正しく治めるので、真の平和と神の完全な祝福が地に満ち、全地で主の御名が崇められるようになります。

その時、「エルサレムは堅く立てられ、地の誉れ」となります(イザヤ62:7)。

平和の君イエス・キリストが地に来られ、新エルサレムが地に確立される時、「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」という祈りが成就します。(参照:「終末的視点で祈る主の祈り(3)御国の到来と御心の完全な実現を祈る」

3.信仰と礼拝が一つになる

イエス様再臨後の新しい世界では、神の子たちと御使いたちが共にを礼拝するようになります。

① イザヤとヨハネが見た天の礼拝

今も天では24時間絶え間ない礼拝が行われています。イザヤの見た幻では、6つの翼をもつセラフィムが、翼の2つで顔を覆い、2つで両足を覆い、2つで飛びながら、「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる」と叫び、高く上げられた御座に着いておられるを礼拝していました(イザヤ6:1~6)。

主が再臨され、天にあるものと地にあるものが一つに集められる時、天で行われている御使いたちの礼拝と地で行われる人間の礼拝が一つになります。

使徒ヨハネは、御座に着いている方と、御座の周りで行われている礼拝を見ました。

黙示録4:1~11
その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。・・・・・天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。
・・・・・御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」

ヨハネも、4つの生き物(セラフィム)が、御座に着いている方を礼拝している幻を見ました。イザヤの幻と異なるのは、ヨハネの見た幻では、「白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが、世々限りなく生きておられる方の御座の前で礼拝していた」ことです。白い衣は罪が取り除かれたことを、金の冠は勝利したことを表しています。

彼らは、万物を創造された神に栄光と誉れを捧げていました。

黙示録5:8~10
・・・四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」

長老たちは、「すべての部族、言語、民族、国民の中からキリストの血によって贖われた人々は王国、祭司とされ、地を治める」と歌いました。贖われた人々が神の代理人としての権威と身分を取り戻したことで、神に感謝を捧げているのです。

② 全被造物による礼拝

黙示録5:11~14
また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。

御座があり、セラフィムと長老たちがいて、その周りでは、数えきれない数の御使いたちが子羊をほめたたえています。天と地と地の下と海にいるすべての造られたものも、御座におられる方と子羊を礼拝しています。

ヨハネが見たものは、みこころの奥義が実現し、「キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねに従い、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められ(エペソ1:9~10)」ている幻であると思われます。

これは死者の霊魂が天国で賛美している姿ではなく、艱難時代の前に携挙された人々が天上で礼拝している光景でもないでしょう。
それは、主が再臨され、全地の王として治める新しい世界での礼拝風景であると思われます。キリストが王となって治める神の国が実現し、すべての被造物が神とキリストを礼拝しているのです。

ゼカリヤ14:16
エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍のである王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。

ゼカリヤが預言しているのは、世界最終戦争(ハルマゲドン)後の仮庵の祭りです。

仮庵の祭りは、再臨後のキリストの王国を表す預言的な祭りです。最近は、イエス様は仮庵の祭りの初日に人として誕生され、最終日(8日目)に割礼を受けられたと考える方が増えています。

最終戦争を経て生き残った人々(レムナント)が仮庵の祭りを祝うのは、神が人として世に生まれてくださったこと(キリスト降誕)を記念し、感謝を捧げるためかもしれません。

またイザヤは、「新しい天と新しい地がいつまでも続」き、「新月の祭りごとに、安息日ごとに、すべての肉なる者が主の前に来て礼拝する」ことを預言しています(イザヤ66:22~23)。

現在の神殿の丘は、諸国民と御使いたちが一緒に礼拝するには小さすぎます。新しいエルサレムの大きさは、一辺が12,000スタディオン(2,220km)の立方体です(黙示録21:16)。新しいエルサレムでなら、これらの祭りと礼拝を行うことが可能でしょう。

③ 信仰が一つとなる 

 神の国では唯一の真の神だけが礼拝され、信仰は一つとなります。

同じ聖書の神を信じながら、ユダヤ教とキリスト教は、異なる祭儀を持つ別々の宗教として発展してきました。
ユダヤ教には正統派、改革派、世俗派などがあり、オカルト的・異端的な教派もあります。
キリスト教はカトリックとプロテスタントに分かれ、プロテスタントは聖書解釈の違いや信仰の強調点の違いから多くの教団教派に分かれ、異端化・カルト化した教会も存在します。

そして世界中で様々な宗教や神々が礼拝され、無神論者もいます。

主が来られたなら、偽の神々が滅ぼされ(ゼパニヤ2:11)、偶像礼拝や偽宗教は消滅します。それだけでなく、ユダヤ教とキリスト教においても、異なる解釈や間違った教え、ヘレニズムや異教の影響が取り除かれ、教団教派や信仰の対立はなくなることでしょう。

ゼカリヤ14:9
 は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。

全地の王であるイエス様が全てを正されるので、「諸国の民はみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える(ゼパニヤ3:9)」ようになります。

 世の始まる前から計画されていた平和で秩序ある永遠の王国。神と人と御使いたちがひとつになり、永遠の祝福を喜び、楽しむ世界。すべての被造物が真理を知り、神の栄光を仰ぎ見、唯一真の神を礼拝する世界。それは御国の王イエス様によって実現します。

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