信仰の目的地(3)天の御国と御国の民

信仰の目的地
エルサレム、黄金門
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1 歴史を通して進められてきた神のパラダイス計画

これまで2回の学びで理解したことをまとめてみましょう。

私たちの信仰者の目的地は、ヨハネが黙示録に書いた天にある「新しいエルサレム」です。それは、今は天にあり(ガラテヤ4:26)、やがて天から下って来ます(黙示録3:12,21:2,10)。

新しいエルサレムには「小羊の御座」があり、イエス様がおられます。「いのちの書」に名前の記された信仰の勝利者たちは、天から下って来た新しいエルサレムを相続し、神とともに永遠に生きることができます。そこには「いのちの木」があり、死も呪いも悲しみもありません。

イエス様はその場所を「神のパラダイス」と呼ばれました(黙示録2:7)。パウロが幻で訪れた場所は、「第三の天」とも「パラダイス」とも呼ばれ、イエス様がおられました。
パウロもヨハネも、この新しいエルサレムと御座におられるイエス様を見たと考えられます。

信仰の父アブラハムと子孫たちは復活を信じ、神が設計し、建設された、「天の都」を待ち望んでいました。
それは、新約の聖徒たちの目指す「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレムへブル12:22)」、「後に来ようとしている都へブル13:14)」のことです。

新しいエルサレムに入るためには、不滅の体に変えられなければなりません。
旧約時代の信仰者たちや使徒たちは、まだ完全な者(復活の身体)とされておらず、約束された天の都を相続していません。イエス様の再臨の時、新約時代の信者たちと一緒に復活し、一緒に相続することになっているのです(へブル11:39~40)。

アブラハムの目指した「天の都」とは「新しいエルサレム」=「神のパラダイス」であることがわかりました。

「パラダイス」とは塀で囲まれた園を表す言葉で、最初のパラダイスはエデンの園でした。
エルサレムは将来、エデンのように回復されると約束されています。最終的なパラダイスは、復活した義人たちが神とともに永遠に住む、祝福された神の楽園、「天から下って来る新しいエルサレム」です。

最初の人アダムが罪を犯してエデンの園から追放されてから、人は神との関係が断絶し、ますます堕落していきました。この人類を神に立ち返らせ、罪を取り除き、本来の人間性と神との関係を回復させるために、神様は人類救済計画に着手されました。

御子の犠牲の死と流された血によって人類の罪を贖い、神の子とし、失われたエデンの園よりもはるかに優れた「神のパラダイス」を地上にもたらし、神とともに永遠に住まわせてくださるという計画です。創造主なる神ご自身が、聖書を通して世界の回復計画を啓示され、今も実行しておられます。

イスラエル民族とキリスト信仰の目的は、この新しいエルサレムを相続することなのです。

2.天の御国の実現

では、天の御国とはどのような国でしょうか? また誰が御国を相続することができるのでしょうか?

① 天の御国はメシアが治める地上の王国

死から復活して天に帰られたイエス様が戻って来られる時、天の御国が地上に到来します。
イエス様は「人の子が御国とともに来る」と言われました(マタイ16:28)。

天の御国とはイエス様の再臨によって地上に出現する神の国神が王となって治める義と平和のメシア王国のことです。イエス様が地上に住まわれ、エルサレムが世界の中心となり、主がエルサレムから世界を治める時、天の御国が地上に実現します。

王国(へブル語のマルフート、ギリシャ語のバシレイア)という言葉は、領土、国民、法律、秩序など王の統治が及ぶ全領域を指しています。王権、統治という意味もあります。

メシア王国とは、神であるメシアが治める専制君主王国です。王はイエス様、国民は贖われた民、御国の領土は地上にあり、王の法律(キリストの律法)に基づいて正しく治められる永遠の国です。

「天の御国」という表現はマタイが好んで使用しています。は神を表わす婉曲表現です。
4つの福音書とも「神の国」という言葉を用い、マタイとルカは「御国」も用いています。

② 天の御国の王は神であるメシア・イエス様

イザヤ9:6~7
 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。王権はその肩にあり、その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治めさばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今より、とこしえまで。

ルカ1:32~33
「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

ダビデ王の子孫として生まれた神の御子イエス様が、イスラエルと全世界を永遠に治める王です。

 詩編45:6
 神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。

御国の王は鉄の杖ですべての国々の民を牧され(黙示録12:5)、正しい裁きをされるので、公義と正義が実現します。

詩編145:10~13
 主よ。あなたの造られたすべてのものは、あなたに感謝し、あなたの聖徒はあなたをほめたたえます。彼らはあなたの王国の栄光を告げ、あなたの大能のわざを、語るでしょう。
こうして人の子らに、主の大能のわざと、主の王国の輝かしい栄光を、知らせましょう。あなたの王国は、永遠にわたる王国。あなたの統治は、代々限りなく続きます

永遠の御国とは、神の御子イエス様が王となって支配される地上の王国です。

③ 御国の子どもたちの現れと世界の回復

天の御国の国民は旧約時代の義人たち、イスラエルのレムナント(本当の信仰のある残りの者)、キリストの血によって贖われ、義とされた諸国の人々で、イエス様が地上に再臨される時に復活、または新しい身体に変えられて、神の子として出現します。神が永遠に生きておられるように、神の子も不滅の栄光の身体に変えられて、神とともに永遠に生きることができます。

コロサイ3:4
 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。
イザヤ26:19
 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。

主が再臨されたなら、アブラハム、イサク、ヤコブをはじめ旧約時代のイスラエルの義人たち、新約時代の義とされたイスラエル民族が復活・栄化され、約束された相続地を受け取ります。
人類の創造以来、義と認められたすべての人々、主によって贖われた新約時代の諸国民も復活・栄化されて、新しいエルサレムに入ることができます。

ローマ8:19~21
 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

アダムの罪のために地が呪われ、自然界も滅びに向かっていましたが、主の再臨によって世界が回復されていきます。人類はアダムの罪のために失った永遠のいのちを取り戻し、回復されたエデンの園である新しいエルサレムで神への礼拝が回復され、全被造物が神の備えられた永遠の祝福を喜ぶのです。

3.天の御国を相続する人、外の暗闇に出される人

① 永遠のいのちを得るとは神の国に入ること

マタイの福音書19章16~26節に、ある金持ちの青年が「永遠のいのちを得るためにどんな良いことをしたらよいか」とイエス様に質問した話が書かれています。

イエス様が、「もし完全になりたいなら、持ち物を売り払って貧しい人たちに与え、天に宝を積み、私について来なさい」と言われると、その青年は悲しんで去って行きました。

するとイエス様は、「金持ちが天の御国に入るのは難しい。金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方が易しい」と言われました。弟子たちは、「それでは、だれが救われることができるのでしょう」と驚きました。

・青年は、永遠のいのちを得ることを求めていました。
・イエス様は、天の御国に入ること、神の国に入ることは難しいと言われました。
・弟子たちは、だれが救われるのかと驚きました。

これらの表現は、同じことを指しているようです。
永遠のいのちを得る = 天の御国に入る = 神の国に入る = 救われる

② 天の御国と外の暗闇

イエス様は、天の御国に入る人と入れない人について、繰り返し教えられました。

マタイ7:21~23
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

イエス様を主と呼んで教えを聞き、イエス様の名前で預言したり悪霊を追い出したり、多くの奇跡を行ったりしても、天の御国に入れない人がいます。

 マタイ8:11~12
「あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

救われた諸国民が天の御国に入り、復活したイスラエルの父祖たちと一緒に食卓に着きます。異邦人で神の国に入る人々がいる一方で、「御国の子ら(御国の民として召されていたイスラエル民族)」の中には、外の暗闇に追い出されてしまう人がいるのです。

③ いのちに至る門、滅びに至る門

イエス様は、いのちに至る門滅びに至る門があると言われました。

マタイ7:13~14
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

ルカ13:24~29
努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』  だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』
神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。

いのちに至る小さい門から入った人々はいのちを得て神の国に入り、扉が閉められます。

滅びに至る大きな門を通った人々、不正を行う者たちは神の国に入ることができず、外に投げ出されます。「泣き叫んだり歯ぎしりしたりする」とは、「神の国=永遠のいのち=救い」を得られなかったことを知って泣き、神に対して怒り、神を呪うことです。

いのちを得て神の国に入り、旧約時代の義人たちと共に食卓に着くことのできる人々と、神の国の外の暗闇に放り出され、いのちを得られずに泣いて歯ぎしりする人々に分けられるのです。

④ 天の御国を相続する人

では、御国に入れる人とはどのような人でしょうか。
マタイ5章の山上の説教で、イエス様は「幸いな人」について教えられました。

マタイ5:3~10
5:3心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

この中で、3節と10節の「天の御国はその人たちのもの」、5節の「その人たちは地を受け継ぐ」は、地上の神の国を相続することを示しています。「神を見る」「神の子供と呼ばれる」は、神との関係が回復し、神と共に住むことができることを示し、「慰められる」「満ち足りる」「哀れみを受ける」は、失っていた祝福を取り戻すことであると思われます。

「御国を相続する」とは、アダムの罪のために人類が締め出されていた「神のパラダイス」に帰って来ることであり、山上の教えは、どのような人が御国に入る人であるかを教えていると言えます。

幸いな人とは、心が貧しく(=自分の弱さや罪深さを認めてへりくだり、神を求めている)、(世界の悪や不条理や自分の罪を)悲しむ人、柔和で、あわれみ深く、心がきよい人、義に飢え渇き、義のために迫害され、平和をつくる人です。このような人が永遠の御国で祝福を受けることができます。

イザヤ57:13、15
 わたしに身を寄せる者は、地を受け継ぎ、わたしの聖なる山を所有することができる。・・・いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

自分の罪を悔い改め、へりくだって神の哀れみを求める者が神の国を受け継ぐのです。

4.「天の御国」は「新しいエルサレム」

へブル人への手紙12:22~24,28
あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。・・・また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。・・・・こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。

この御言葉から、「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」が「揺り動かされない御国」であると考えられます。つまり、「新しいエルサレム」=「天の御国」 です。

① 新しいエルサレムに入る「地の王たち」

黙示録は、天から下って来る新しいエルサレムに入れる人と入れない人について教えています。

黙示21:24~27
 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

新しいエルサレムには主の栄光が輝き、太陽・月は必要なく、夜はありません。子羊のいのちの書に名前が記されている者だけが入ることができ(21:27)、地の王たちは諸国民の栄光と誉れ(財宝・宝物)を携えて都に来ます(21:24、26)。

地の王たちとは、獣や獣の像を拝まず、獣の刻印を受けなかった者、イエス様を証し、神の言葉を堅く守ったために殺された殉教者たちです。イエス様の再臨の時に復活し、王となってキリストとともに地を治め(20:4~6)、新しいエルサレムの門から自由に出入りし、主を礼拝することができます。

地の王たちについて5章にはこのように書かれています。

黙示録5:9~10
・・・「あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

地の王たちは、新しいエルサレムで神を礼拝することができる人々ですが、外の世界に住む人々を正しく指導し、治め、また、神の前で取り成す人々でもあると思われます。

汚れた者、憎むべきことと偽りを行う者は都の外に出されます。いのちの書に名前のない人、朽ちないからだに変えられていない人は入ることができません。

② 新しいエルサレムの外に出される不法の者たち

イエス様再臨後の新しい世界(メシア王国)には、栄光のからだに変えられて神の都に入ることのできる人々と、滅びる肉体のままで、都に入ることのできない人々がいます。

黙示録22:12~15
「見よ。 わたしはすぐに来る。 わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、 わたしの報いを携えて来る。 わたしはアルファであり、 オメガである。 最初であり、 最後である。 初めであり、 終わりである。」自分の着物を洗って、 いのちの木の実を食べる権利を与えられ、 門を通って都にはいれるようになる者は、 幸いである。 犬ども、 魔術を行なう者、 不品行の者、 人殺し、 偶像を拝む者、 好んで偽りを行なう者はみな、 外に出される。

キリストの血によって洗われ、贖われた者たちは、真珠の門から新しいエルサレムに入り、いのちの木の実を食べ、いのちの水を飲み、永遠に生きることができます。

都の外に出されている人々、犬ども、 魔術を行なう者、 不品行の者、 人殺し、 偶像を拝む者、 好んで偽りを行なう者たちは、不滅のからだを持たず、いのちの書に名前が記されていません。

「外に出される」は、「都の外に出されている」という意味で、イエス様が言われた「天の御国の外の暗闇に追い出される」ことです。彼らはまだ新エルサレムの外で生きています。最終的な裁きが行われるのは、千年後の「白い御座の裁き」の時です。

ですから、新しいエルサレムは、メシア王国の始まる時に地上に降りて来て、千年期にはすでに地上にあるということになります(参照:「天の万象が震われ、新天新地と新エルサレムが到来する」)。

都は神の栄光に輝いていますが、都は高い城壁で囲まれているので、外にいる人々は神の栄光に与ることができず、暗闇で過ごさなければなりません(イエス様再臨の前に天体に異変が起こります)。

イエス様が何度も語られた「天の御国の外の暗闇に放り出される」とは、「新しいエルサレムの外に出される」ことなのです。

5.最後の晩餐でイエス様が約束されたこと

これまで「信仰の目的地(1)(2)」で学んだように、パウロの見た第三の天、イエス様の住まわれる神のパラダイスとは、アブラハムの憧れた天の故郷、神が設計し建設された天の都、使徒ヨハネの見た新しいエルサレムのことでした。

永遠の御国は、「いのちの書」に名前の記された神の民が、朽ちない身体をいただいて相続することのできる「新しいエルサレム」、神と民(神の子たち)が永遠に共に住むことのできる「神のパラダイス」なのです。

イエス様は、最後の晩餐で弟子たちと新しい契約を結ばれた後、このように言われました。

ヨハネ14:1~3
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

世界の創造主ご自身である神の御子が再臨され、王となって全地を支配される時、神は人の手で作った宮には住まわれません人間の建築した神殿は、天の神をお入れすることはできないのです。

御国の王イエス様が天から地上に来られ、「生ける神の都、天にあるエルサレム(主ご自身が設計し、建設された主の御住まい)」が下って来ます。そして主は新しいエルサレムの御座から世界を支配されるのです

私たちが主の祈りで「御国が来ますように。御心が天で行われるように、地でも行われますように」と祈るのは、神のこの御計画の最終的実現のためです(参照:終末的視点で祈る主の祈り(3)御国の到来と御心の完全な実現を祈る)。
そして復活した殉教者たちが地の王となって主と共に治める時、主の祈りが成就し、神の御心が全地の上に実現されるようになります(主の祈りについてはこちら)。

Ⅰペテロ1:3~5、13
 神は…朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天に蓄えられているのです。あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。・・・あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。