信仰の目的地(5)完成された神のパラダイス

信仰の目的地
天から降る新しいエルサレム
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最初の人アダムがエデンの園から追い出されて以来、人類は貧困・戦争・災害・病・老化・死という多くの苦難と悲劇を経験しています。イエス様が再臨され、神の国(キリストの王国)が始まると、罪も呪いも取り去られ、聖徒たちへの約束がすべて実現します。新しいエルサレムには苦難も悲劇もありません。

1.神のパラダイスに住むためによみがえる

私たち信仰者が最終的目的地である「永遠の神の国=神のパラダイス=新しいエルサレム」に入るためには、永遠に生きるからだを持つことが必須です。不滅のからだに変えられなければ神の国を相続することができません(Ⅰコリント15:50)。

① 再臨と復活は「祝福された望み」

霊である神が肉体を持つ「人の子」となられたのは、肉体を持つ人類を贖い、贖われた人間の住む物理的な世界を治めるためです。キリストは人の子となって地上に来られ、からだを死に渡され、贖いを成し遂げられました。人(アダム)の子とは、「ちり(アダマー)で造られた存在」を表します。イエス様は栄光のからだに復活して天に帰られましたが、やがてからだを持って地上に再臨され、王として支配されます。

「御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます(ローマ8:23)」。「すべての人を救う神の恵みが現れ、・・・祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです(テトス2:11~13)。」

イエス様が栄光に輝きながら天から現れる時、私たちのからだが贖われ、神の子として完成します。

ピリピ3:20~21
 私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

イエス様を待ち望んでいた人々は、終わりのラッパが鳴ると朽ちないからだに変えられ(Ⅰコリント15:52)、雲の中に引き上げられ、天から降って来られた主と空中で会い、それからは、いつまでも主とともにいるようになります(Ⅰテサロニケ4:16~17)。

コロサイ3:2~4
 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。

イエス様を信じた者は永遠のいのちを受け、そのいのちは神のうちに隠されています。主の再臨と共に義人が復活し、栄光の神の子たちが出現します。私たちは、主が再臨されるまで神の国に入ることができないのです(参照:たましいのよみがえり、第一の復活と死に勝利した神の子の完成)。

② 復活して永遠のいのちを受ける

罪を犯した最初のアダムは、「いのちの木の実を食べて永遠に生きることがないように」と、エデンの園から追い出されました。神に反抗し、悪魔の支配下に落ち込んだ罪ある者が生き続けるなら、ますます悪が増し加わり、人は神の似姿からかけ離れていき、神の被造世界を破壊し続けることになります。ですから、神は人の寿命を120年と定められました。すべての死者は朽ち果て、復活するまでよみで休んでいます。

使徒13:36
 ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。
使徒2:34
 ダビデは天に上ったわけではありません。

ダビデはよみがえりを期待しながら死んでよみに下り、朽ち果てました。霊魂が身体を抜け出して、霊の世界や雲の上の世界に行って生活しているわけではありません。(人間が神のおられる天に上るという教えは聖書の教えではありません。参照:エリヤは生きたまま天に昇ったという教えの問題

聖書の教える「救い」「永遠のいのち」とは、不滅のからだを持って生きることです。イエス様の約束は、死んで朽ち果てていた義人を終わりの日に復活させ、永遠のいのちを与えることです(参照:第一の復活と死に勝利した神の子の完成)。死者の霊魂が天国で意識をもって活動しているという教えは聖書的ではありません(参照:たましいについて真理を知り、新しい人として生きる 死と死者の状態、たましいの救いとは)。

ヨハネ5:25~29
まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。

生きている時にイエス様を信じた者には、永遠のいのちが約束されています。そして再臨されたイエス様の声を聞いて墓から出て来ます。アブラハムもモーセもダビデも使徒たちも、真の神を信じるすべての義人はよみがえり、新しいからだが与えられて、永遠のいのちが実現します。

③ 復活して神の国に入る

神は永遠に生きておられます。ですから神の民も、罪と死に勝利して永遠に生きるからだになって、神のパラダイスに住むことができます。

神はダニエルに、「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ(ダニエル12:13)」と言われました。ダニエルは、死んでよみに下るが、終わりの日によみがえって相続地を受け取ると約束されたのです。

イエス様と一緒に十字架に架けられていた罪人の一人は、「あなたが御国の位に着かれる時、私を思い出してください」とイエス様に願いました。それは、「あなたが復活されてエルサレムで王位に着かれる時、私も復活させて、あなたの御国に住まわせてください」という意味です。

イエス様は、「あなたは、わたしとともにパラダイスにいる」と、彼が将来よみがえって御国に入ることを約束されました。「パラダイス」は死者の魂が住む霊的世界ではなく、肉体を持つ生きた人が住む「塀で囲まれた庭園」を表します。(「信仰の目的地(1)第三の天とパラダイス、エデンの園の回復」参照)
この罪人への約束が実現するのは、主が再臨され、新しいエルサレムが到来する時です。

栄光のからだに変えられた神の子たちは、天から下って来る神の都である「新しいエルサレム――神のパラダイス黙示録2:7)」を相続します。その人々は、アダムが失った永遠のいのちを取り戻し、永遠に神と共に生きることが許され、いのちの木の実を食べ、いのちの水を飲み、死ぬことがありません。古いものが過ぎ去り、全てが新しくされるのです。

黙示録3:12
勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。
黙示録22:14
自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

勝利を得る者には、父である神の名前と、父の家の住所が書き記されます。もう迷子になることはありません。永遠の神の国「新しいエルサレム=神のパラダイス」を相続し、父なる神と長兄であるイエス様と共に、死や悲しみのない世界で永遠に生きることができるのです。

2.アブラハムと子孫たちへの約束の成就

神は世の初めから、神と人が永遠に共に住むことのできる神の国の実現を計画されていました。
そしてイスラエル民族に「わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる」と預言者を通して何度も語られました。諸国のクリスチャンは、イエス様をキリストと信じる信仰によってアブラハムの子孫とされました。ですから、贖われたクリスチャンは、イスラエル民族と同じ約束を受け取ることができます。

① イスラエル民族とエルサレムの回復

エゼキエルは、イスラエルの救いが完成する日、エルサレムがエデンの園のようになると預言しました。

エゼキエル36:33~36
 神である主はこう仰せられる。わたしが、あなたがたをすべての不義からきよめる日に、わたしは町々を人が住めるようにし、廃墟を建て直す。この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。あなたがたの回りに残された諸国の民も、であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。であるわたしがこれを語り、これを行う。

黙示録18章によると、世の終わりになると、地上のエルサレムは全ての国々の民を魔術でだまし、不品行と不正によって悪霊の住まい、汚れた霊どもの巣窟となります。そのため、死病、悲しみ、飢えに襲われ、大地震で破壊され、火で焼かれ、荒れ果てた廃墟となってしまいます。

地上の王たち、商人たち、船長や水夫たちが、エルサレムの荒廃を見て泣き悲しみます。

黙示録18:10
彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』

そのエルサレムが「エデンの園のようになった」と言われるようになるのです。

エゼキエルが語った「あなたがたをすべての不義からきよめる日」とは、主が再臨され、「イスラエル民族の罪が完全に取り除かれ、イスラエルがみな救われる(ローマ11:26~27)」という約束が成就する日のことです。

主はイスラエルのレムナント(残された民)をすべての国々から集めて約束の地に連れて行き、彼らにきよい水をふりかけ、新しい心と新しい霊を授けます。その時「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」という約束が実現します(エゼキエル36:24~28)。

あなたがたの周りに残された諸国の民」とは、エルサレムでの最終戦争「ハルマゲドン」に加担せず、大艱難時代に生き残った人々のことであると考えられます。全世界の人々は、聖書の神が預言者を通して語られた通りに、世の始まる前からの御計画を完成されたことを悟ります。そして、イスラエルの神こそが真の神であると確信し、主を知る知識が全地を覆うようになるのです。

イザヤは、新しいエルサレムに入る人々について預言しています。

イザヤ書26:1~3
 その日、ユダの国でこの歌が歌われる。
私たちには強い町がある。神はその城壁と塁で私たちを救ってくださる。城門をあけて、誠実を守る正しい民を入らせよ。志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

 新しいエルサレムは高い城壁で囲まれ、巨大な真珠の門は御使いによって守られています。最後まで信仰を守り通した志の堅固な者、義とされた者(誠実を守る正しい民)は、真珠の門を通って神のパラダイスに入ることができます。

② 神との親子関係の回復

黙示録21:6~7
 「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。」

 死に勝利し、栄光のからだに変えられたイスラエル民族とクリスチャンは、神の家族であり、永遠の御国の国民です。「新しいエルサレム」は、創造主なる神と復活・栄化された義人(子)が共に住む永遠の住まいです。

詩篇87:5-6
シオンについては、こう言われる。「だれもかれもが、ここで生まれた」と。こうして、いと高き方ご自身がシオンを堅くお建てになる。主が国々の民を登録されるとき、「この民はここで生まれた」としるされる。

神の住まわれるシオンが私たちの本籍地となり、戸籍の筆頭者は神です。
父なる神様との関係を取り戻し、栄光のからだに変えられた聖徒たちは、シオン(神の住まい・新しいエルサレム)で生まれた者とされます。私たちの国籍は天(新しいエルサレムのシオン)にあるのです(ピリピ3:20)。

③ 自然界の回復

イザヤは、メシア王国では自然界が回復し、肉食動物はいなくなり、人と動物が平和に仲良く暮らすようになることを預言しました。

イザヤ11:6~9
 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
イザヤ65:25
 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」とは仰せられる。

イエス様の聖なる山(新しいエルサレムにあるシオンの山)では、かつてのエデンの園のように、人と動物が仲良く平和に暮らします。

イザヤ51:3
 まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。

イザヤ35:1~7
 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らはの栄光、私たちの神の威光を見る。
弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」
そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。焼けた地は沢となり潤いのない地は水のわく所となり、ジャッカルの伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。

主が天から降りて来られる理由は何でしょうか? 神を憎んで神の相続地(エルサレム)を奪い、神の選びの民(イスラエルと教会)を攻撃するすべての敵に復讐するためです。この世の神(悪魔)が支配する今の時代を終わらせ、神の民を救い出し、神が正義によって支配される新しい時代を始めるためです。

新しいエルサレムでは、病人や体の不自由だった人が癒やされ、荒廃していた自然界が回復し、創世の初めのエデンの園のように、美しく、健康的で、平和な世界になるでしょう。そして、そのパラダイスは永遠に続くのです。

④ 人の使命の回復

神が天地万物を創造し、最後に人を造られた時、このように命じられました。

創世記1:28
 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

イエス様が再臨された時には、2種類の人々――朽ちない栄光のからだに変えられてエルサレムに住むことのできる神の民と、死ぬべきからだでエルサレムの外で暮らす人々――がいると考えられています。

大艱難時代に多くの人々が死に、反キリスト軍に参加した人々は主に滅ぼされてしまいますが、戦いに参加せず、生き残っている諸国民もいるでしょう。贖われていない人々は朽ちるからだのままなので、新しいエルサレムに入れず、外の世界で生き、子孫を産み、増えていくと考えられます。

信仰を全うした聖徒たちには神の約束が実現し、人と創造主との関係が回復します。神の子とされた人は、罪と死と呪いが取り除かれ、罪を犯す前のアダムが持っていた神様との親密な関係を取り戻し、新しいエルサレムに入ることができます。
復活・栄化された「地の王たち」は、全世界の王であるイエス様の支配下で、地の四方(新しいエルサレムの外)に住む諸国の民を治め、真の神について教え、神のみことばと御心に従って歩むように指導するでしょう。

そして生き残った人々は、自然界を正しく管理し、すべての生き物を支配し、荒廃した外の世界を回復させ、健全な社会を築き上げていくことでしょう。人々は、神の似姿に造られた本来の人間性を取り戻し、人が造られた目的、人が神の代理人として世界を正しく治めるという使命が達成されるようになるのです。

3.完成したエデンの園――永遠の御国

  神の民の信仰の目的地は、永遠の御国=地上に到来した天の御国、つまり新しいエルサレムです。創世記で失われた「エデンの園」は、「新しいエルサレム=神のパラダイス黙示録2:7」で完成します。

① 千年王国とは

御国の王イエス様が天から降って来る時、新しいエルサレムも降って来て、永遠の御国が始まります。主は永遠に世界の王であり、ダビデは永遠にイスラエルの王です。贖われた人々(神の民)は永遠のいのちを持ち、新しいエルサレムに永遠に住むことができます。

千年王国という言葉は聖書には出て来ませんが、その名称の由来については次のように考えられます。

主が王座に着かれてから最初の千年間、エルサレムの外には、まだ贖われていないために死ぬべき身体を持つ人々が住んでおり、千年の間に子孫が増えていきます。復活した殉教者たちが千年間、王となって外の世界を治めます。その千年間は、悪魔が縛られ、閉じ込められているので、罪や誘惑が極端に減り、人間の寿命も創世の初めの頃のように長くなると思われます。

千年が終わると悪魔が解き放たれ、エルサレムの外で生きていた人々(地の四方にある諸国の民、ゴグとマゴグ)を惑わし、神に反抗させますが、彼らは天からの火で滅ぼされてしまいます。悪魔は、獣と偽預言者のいる火と硫黄の池に投げ込まれ、永遠に苦しめられることになります(黙示録20:7~10)。

最後の審判の時、新しいエルサレムの外の世界にあった天地が消え去ると思われます。

黙示録20:11
また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

そしてまだ裁きを受けていなかった人々がよみがえり、白い御座の前でさばきを受けます。

黙示録20:12~15
 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

最後の審判では、永遠のいのちを持つ人々と永遠に滅びる人々に分けられ、永遠の御国火と硫黄の燃える池かのどちらかに移されます。いのちの書に名前のない人は火の池で焼かれ、永遠の滅びの刑罰を受け、灰と煙になって消滅します。この時よみがえるのは、主の再臨時によみがえらなかった人々、外の世界で千年の間に死んでしまった人々であると考えられます。獣の軍隊に加わり、再臨の主に挑んだ者たちと、千年後に悪魔にそそのかされた諸国の民は、すでに火で焼き滅ぼされています。

最後の審判が終わると、エルサレムの外の世界にはもう、生きている人も、その後死ぬべき人も、よみがえりを待つ人も残っていません。死もハデス(よみ)も必要なくなったので、火の池に投げ込まれます。そして、新しいエルサレム――永遠の神の都、永遠の神の国、神のパラダイス――が残ります

主の再臨時に復活し、千年間王となって治めていた人々は、永遠に王となります(黙示録22:5)。

永遠の御国が地上に到来してから最初の千年間には、普通のからだを持つ人が存在します。最後の審判の後は永遠のいのちを持つ人だけが残るので、区別するために千年王国と言われるのでしょう。

② 永遠の住まいを目指して

これまで学んできたように、私たち聖書信仰者の最終的目的地は、「アブラハムの憧れた天の都へブル11:10、16)」神のパラダイス黙示録2:7)」=「天から降る新しいエルサレム黙示録3:12、21:2,10)」=「揺り動かされない御国へブル12:28)」です。

最初の人アダムの罪によって失われてしまったエデンの園は、新しいエルサレムで完成します。イエス様は罪の全ての結果を帳消しにし、世界を再創造して第2のアダムとして支配されます。主が再臨されるなら、贖われた者たちは天から降って来る新しいエルサレムに入り、主とともに永遠に過ごすことができます。そこには主の御座といのちの木があります。死も病も災いも、一切の呪いは取り去られ、民は神の御顔を仰ぎ見て礼拝し、いのちの木の実を食べて永遠に生きることができるのです。

 へブル12:22~28
 あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいているのです。・・・決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれる・・・私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。
Ⅰペテロ1:3~5、13
神は・・・朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天に蓄えられているのです。あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。・・・あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

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