最後の晩餐と神の国の過ぎ越し:ぶどう酒に啓示された神の救済計画

キリストの地上生涯
この杯から飲みなさい
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「出エジプト」とそれを記念して行う「過ぎ越しの祭り」には人類の贖い計画が秘められています。前回は、イエス・キリストの十字架で実現した贖いと、種なしパンに込められた霊的意味について学びました。今回はぶどう酒に込められた霊的意味と、「神の国の過ぎ越し(ルカ22:16)」がどのように実現するか探ります。

1.「神の国の過ぎ越し」と「ぶどう酒の杯」

① 人類の救済計画を啓示する4杯のぶどう酒

出エジプトの過ぎ越し」は「神の国の過ぎ越し」のとなっています。前回の内容をまとめます。

〇 鴨居と門柱に塗られた子羊の血を見て、死の使いはイスラエルの民を滅ぼさず、過ぎ越して行きました。
〇 世の終わりには、イエス様を信じる者に塗られたキリストの血を見て、神の怒りが過ぎ越すので、信徒たちは滅びを免れ、永遠のいのちが実現します。

〇 出エジプト後、「主がイスラエルと結ばれる契約の血」として雄牛の血祭壇と民に振りかけられ、モーセと民の代表が神の前で会食しました。これにより、イスラエル民族が神の民となる契約が結ばれました。
〇 神の子羊イエス様は、十字架で死なれる前夜弟子たちと会食を行い、ご自分の肉を象徴する種なしパンと、ご自分の血を象徴するぶどう酒で、新しい契約を結ばれました。そして復活後、神の国を相続する保証として聖霊をくださいました。

〇 イスラエルの民が過ぎ越しの食事を食べ、エジプトの奴隷から解放されて約束の地へと導かれた歴史は、過ぎ越しの祭りとして、子孫たちに継承されました。
〇 最後の晩餐は初代教会の主の晩餐として受け継がれ、キリスト教会の聖餐式に引き継がれました。主が再臨され、神の御国を相続する時まで、私たちは主の死を告げ知らせるのです。

イエス様は、世の終わりに起こる神の国の過ぎ越しのために屠られた、神の子羊です。最後の晩餐(過ぎ越しの食事)で裂かれた種なしパンは罪の無いキリストの肉を表し、それを食べることは「天から下って来たいのちのパン」を食べることです。種なしパンを食べることは、キリストを信じ、罪の無い者として生きることを象徴しています。

では、最後の晩餐のもう一つの重要な要素、ぶどう酒について学びましょう。
過越しの祭りの食事では4杯のぶどう酒を飲みます。それぞれの杯に名称がつけられていて、アブラハムの子孫に対する神の4つの御心を表していると言われます。

出エジプト6:6~7
それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしはである。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。

エジプトの苦役から導き出す・・・聖別の杯
重い(奴隷の)労働から救い出す・・・救いの杯裁きの杯

伸ばされた腕と大いなる裁きによって贖う・・・贖いの杯
あなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる・・・賛美の杯完了の杯

1番目の聖別の杯と2番目の救いの杯(裁きの杯)は、イスラエルの救出とエジプト軍の滅びで実現しました。
3番目の贖いの杯は、イエス様が十字架で流された贖いの血で実現しました。
4番目の賛美の杯完了の杯は、まだ実現していません。最終的に実現するのは、イスラエルが民族的にイエス様をダビデの子・メシアと認め、お迎えする時です。その時、地上に到来した神の国で、「わたしはあなたがたの神、あなたがたはわたしの民である」と宣言されます。

イスラエル救出の歴史は、人類全体に対する救済の歴史を象徴しており、4杯の杯は、人類全体に実現する神の救済計画を表していると言えます。

② 「贖いの杯」は、花嫁と結んだ「新しい契約=婚約」の花嫁料

マルコ14:22~25
 さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。
まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」

イエス様がパンを裂き、弟子たちに「これはわたしのからだです」と言って与えたものが、アフィコーメン(特別な種なしパン)です(前回を参照)。初代教会では、1つのパンを信徒たちが分けて食べる「パン裂き」をしていました。これが聖餐式のパンの原型です。

イエス様が「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です」と言い、弟子たちが分け合って飲んだのが、3番目の「贖いの杯」であると考えられています。イエス様が「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい」と言われた(ルカ22:17)ので、弟子たちはイエス様の杯から回し飲みをしたと考えられます。

ぶどう酒により契約を結ぶ

イスラエルの婚約式では、男性が口をつけた杯から女性が飲む時、プロポーズを受け入れたことになり、婚約が成立するそうです。晩餐の部屋からイスカリオテのユダが出て行くと、11人の弟子たちは、花嫁が結婚承諾をする方法で、イエス様の杯から飲みました。そのため、イエス様が花婿、教会が主の花嫁であると言われるのでしょう。

主は弟子たちと新しい契約を結び、ゲッセマネで祈られた後、捕らえられ、ユダヤ人の裁判とローマ人の裁判にかけられ、無実であるにもかかわらず、十字架で処刑されました。
11人の弟子たちは、婚約の杯から飲んだにも関わらす、数時間後には花婿を見捨てて逃げてしまいました。ペテロは自分の身を守るために、3度も主との関係を否定しました。

主は弟子たちが裏切ることをご存じでしたが、その彼らと新しい契約を結ばれました。そしてペテロが信仰を失わないようにあらかじめ祈り(ルカ22:32)、十字架で死なれたのです。

イスラエルで婚約が成立すると、男性は結婚に備えて新居を準備するために去って行きます。そして住まいが用意できると、使いを送り、花嫁を迎えます。

ペテロのつまずきを予告した後で、イエス様は言われました。

ヨハネ14:1~3
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」

イエス様は復活後、花嫁と一緒に住む場所を備えるために天に帰って行かれました。やがて地上に戻って来て、新居に花嫁を迎えてくださいます。その新居とは、天から降って来る新しいエルサレムです(黙示録21:1~3)。

 主の流された血は、罪の贖いのための代価であるだけでなく、花嫁が結婚の準備をするための花嫁料でもありました。花婿が支払ってくださった血によって、花嫁は罪からきよめられます。そして、内に住むキリストの御霊に導かれ、教育され、花婿に似た者として造り変えられていきます。

主が住まいを備えて戻って来られる時まで、花嫁は花婿に対する愛と純潔を守り、永遠の神の国に相応しい者として整えられていきます。これがキリストの花嫁として迎えられるための準備です。
贖いの杯から飲むことによって、キリストの花嫁としての歩みが始まるのです。

③ 神の国で飲む「賛美の杯」

4杯のぶどう酒のうち4番目の賛美の杯完了の杯)は、まだ実現していないと言われています。
イエス様は「神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません」と言われた(マルコ14:25)ので、4杯目のぶどう者は飲まれなかったと考えられています。

また、マタイ26:29には「わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで」と書かれているので、4杯目はイエス様が再臨され、神の国が到来した時に飲む「賛美の杯」であり、終末時代の全ての出来事が終了し人類の救いが完了したことを表す「完了の杯」であると考えられます。

イエス様をダビデの子・メシアと信じた一部のメシアニック・ジュ―を除いて、イスラエル民族はまだ、新しい契約である贖いの杯を受け取っていません。民族全体としてはまだ古い契約にとどまっているのです。

イスラエルが民族的にイエス様を救い主と信じ(贖いの杯から飲み)、イエス様をイスラエルの王として迎えた時4杯目のぶどう酒が飲まれ、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」という約束が実現します
その時、イスラエル民族と諸国民のクリスチャンが新しい一人の人、キリストの花嫁として完成します(イスラエルと教会の関係についてはこちらを参照)。

イエス様は最後の晩餐の後で11人の弟子たちに言われました。

ルカ22:28~30
あなたがたは、わたしの様々な試練の時に、一緒に踏みとどまってくれた人たちです。わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。

神とイスラエル民族との関係が回復し、主が再臨され、神の国の祝宴が開かれます。イエス様もイスラエルのレムナントも、救われた異邦人も、イエス様の食卓に着きます。その時に飲まれるのが4杯目の杯です。賛美(完了)の杯は、神の人類救済計画が完了し神の国の祝宴で賛美とともに飲まれる喜びのぶどう酒です。

イザヤ25:6~9
 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。
この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。が語られたのだ。
その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」

主が再臨されて義人の復活が起こり、神の国が始まります。キリストと花嫁との婚宴の晩餐会で飲まれるぶどう酒が賛美の杯です。主は、この4杯目のぶどう酒を飲むことを切望しておられるのです。

④ イエス様が飲まれた「完了の杯」は「神の怒りの杯」

過ぎ越しの晩餐でイエス様が4杯目のぶどう酒を飲まれなかったことには、もう一つの理由がありました。

ヤコブとヨハネは、イエス様が十字架に向かって進まれていた時、「あなたが栄光をお受けになる時、私たちをあなたの右と左に座らせてほしい」と願いました。イエス様は、「あなたがたは、自分が何を求めているのかわかっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか」と言われました(マルコ10:38)。
イエス様には、飲まなければならない別の杯がありました。

主はゲッセマネの園で、父なる神様にひれ伏して祈られました。

マタイ26:39、42
・・・「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」・・・・・「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば(どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら)、あなたのみこころがなりますように」

そして逮捕される時、イエス様を守ろうとして剣を抜いたペテロにこう言われました。

ヨハネ18:11
・・・「父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」

父が下さった杯から飲むために、イエス様は十字架に着かれました。それはアダム以来の全人類の罪を身代わりに背負って、神に裁かれ、罪の無い聖い血を流し、いのちを捨てることでした。父なる神から切り離され、愛する父から完全に見捨てられることでした。イエス様が飲まれた杯は「神の怒りの杯」でした。

世の終わりには、悪魔の支配するこの世界とすべての罪人に、神の御怒りが注がれます。
父なる神は、御子イエスをあらかじめ身代わりに裁き、御子を信じる者をその御怒りから逃れさせ最終的な裁きから救い出すことを計画されました。そのため、罪を犯した全人類に対する神のすべての怒りが、神の御子イエス様の上に注ぎ出されたのです。

出エジプトの時、子羊の血によってイスラエル民族が守られ、滅ぼされることなく約束の地に導かれたように、御子の血によって贖われた者は、この世の終わりに全地に臨む神の怒りと裁きから救い出され、永遠の御国を相続することができるのです

ヨハネ19:28~30
それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。

イエス様が受けられた酸いぶどう酒は、イエス様が地上で成し遂げるべき最後で最大のミッションが完了したことを表す「完了の杯」でした。

2.主の晩餐と聖餐式に受け継がれたぶどう酒の杯

① 初代教会が守った土曜日夜の集会

イエス様はユダヤ人たちが過ぎ越しの羊を屠る時間帯に死なれ、祭リの晩餐が始まる前に墓に葬られました(金曜日の夕方)。翌朝は大いなる安息日(土曜日)であり、過ぎ越しの祭りの聖なる会合が開かれました。イエス様はその翌日、週の初めの日の早朝(日曜日の早朝)、初穂の祭りの日に「義人の復活の初穂」としてよみがえられたのです(受難週~復活の出来事について詳しくはこちら)。

主の弟子たちは、イエス様が復活された週の初めの日晩餐のために集まり、一緒に食卓を囲み、イエス様が命じられたように、パンとぶどう酒でイエス様の死と復活を記念しました。

聖書の一日は日没後に始まるので、安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までです。ユダヤ人は安息日には会堂に集い、仕事はせず、遠出もしません。週の初めの日は、土曜日の日没から始まります。

初代教会の信者たちはユダヤ人が中心でした。当初はキリスト教という独立した宗教ではなかったので、彼らはユダヤ教徒として安息日を守りながら、安息日が終わると(土曜日の夜)、主の晩餐のために家々に集まっていました。翌朝(週の初めの日の朝=日曜日)からは仕事があるので、初代教会では、キリスト教会のように日曜日の日中に集まって礼拝をしたわけではありません。

当時は新約聖書がなかったので、おそらく彼らは、晩餐を取りながらイエス様の教えや御業を分かち合い、主の再臨を期待して祈りあい、励まし合い、互いに信仰を高め合っていたのでしょう。そしてイエス様が命じられたとおりに、主の裂かれた身体と流された血を感謝して、パンを裂き、ぶどう酒を飲んでいたと思われます。

② 新しい契約を再確認するための主の晩餐と聖餐式

コリント教会のクリスチャンも主の晩餐に集まっていたことが記録されています(Ⅰコリント11:20~22)。
ところが、彼らの集まりは自己中心で無秩序、とても主の晩餐とは言えなかったようです。なぜなら、安息日が明けて先に集まって来たお金持ちの信者たちは、我先にと食事をするので、酔っぱらった者もおり、一方、貧しい雇い人の信者たちが、安息日にたまっていた仕事を終えて駆けつけて来ても、食べる物がなかったというのです。

パウロはコリントの信者たちが「神の教会を軽んじている」と嘆き、最後の晩餐でイエス様が言われたことを伝え、その重要性を教えました。キリスト教会の聖餐式で読まれる教えです。

コリント11:23~26
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。

パンは人の罪のために裂かれたイエス様のからだを表し、ぶどう酒は、贖いのために流された主の血を表します。主の晩餐は、ただ肉体を養うための食事が目的で集まるのではありません。イエス様の血によって新しい契約が結ばれ、自分たちが罪の無い神の民とされたことを覚え、永遠のいのちと永遠の神の国が約束されていることを感謝しつつ、兄弟姉妹が神の国の共同体としてあずかる、大切な霊的いのちの会食です。主の晩餐は単なる食事会ではなく、キリスト信仰の本質に係わる大切な集会であったのです。

コリント11:27~30
したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです。

主の身代わりの死を侮り、罪を悔い改めないままで晩餐に与って、主のからだと血に対して罪を犯し、神の恵みをないがしろにするような者に、神の国を相続することはできません(ガラテヤ5:19~21)。

コリント教会は、貪欲、性的不品行、偶像礼拝、分裂分派など、問題の多い教会でした。当時、罪を犯した続け、聖なる神の民として歩まず、病気になって早死にした信者たちもいたのでしょう。

コリント11:31~32
しかし、もし私たちが自分をわきまえるなら、さばかれることはありません。私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。

罪を犯している者が悔い改めるように、病気や問題を通して警告されることがあります。取り返しのつかない罪を犯す前に、懲らしめられて亡くなることがあるかもしれません。それは、主の再臨の時、世とともに裁かれず、「霊が主の日に救われるⅠコリント5:5)」ためです。

③ 神の国の祝宴を待ち望みつつ賛美の杯を受ける

パウロは、主の晩餐で飲むぶどう酒の持つもう一つの目的について教えました。

Ⅰコリント10:16~17
 私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。   

過ぎ越しの祭りの4杯のぶどう酒のうち、イエス様は4番目の賛美の杯を飲まれませんでした。その代わりに、主は神の怒りの杯を飲みほされました。主は十字架で裁きを受けて贖いの死を成し遂げられ、地上生涯で父なる神から与えられたすべての御業を完了し、酸いぶどう酒を受け、完了の杯として飲まれたのです。

賛美の杯は、神の国の祝宴で主とともにあずかる喜びの杯です。「神をほめたたえる賛美の杯」は、別訳では「神を祝福する祝福の杯」となっています。神の国では、贖われた全ての人が神をほめたたえ、祝福します。主の晩餐や聖餐式では、その時を待ち望みつつ、ぶどう酒を飲むのです。

福音の最も大切なことは、キリストが(旧約)聖書に書いてある通りに私たちの罪のために死なれ、葬られ、3日目によみがえられたことです(Ⅰコリント15:3~5)。

ヘブル2:14~15
・・・子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。

へブル10:10、14、20~22
・・・イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ捧げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。・・・ なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。

 ぶどう酒と種なしパンは、悪魔を滅ぼし、私たちを死の恐怖と奴隷から解放する主の血と主の肉です。主は、出エジプトの過越しが象徴していた救いと解放を、十字架の死と復活を通して全人類のために実現し罪の奴隷となって悪魔の支配下にいた私たちを解放し、神の国に招いてくださいました
 私たちは、キリストの血によってきよめられ、神の国を目指して新しい人生を歩み始めました。やがて最終的な滅びから救い出され、永遠の神の国で開かれる婚礼の祝宴で「賛美の杯」をもって乾杯します。
ですから主の共同体は、主に贖われた聖なる民として聖餐に臨み、神の国の喜びの祝宴で主とともに賛美の杯に与る時を待ち望みつつ、ぶどう酒とパンにあずかります。
 聖餐式にあずかる私たちは、主の御業と福音を全世界に伝えるという新たな決意をもって、新たな1週間を始めましょう。

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