キリスト教では、イエス様が最後の晩餐で弟子たちと結ばれた新しい契約にクリスチャンもあずかっていることを記念して、聖餐式を行います。
聖餐式では、キリストの御身体を象徴するパンと、キリストの血を象徴するぶどう汁をいただき、私たちの罪を贖うために主が十字架で肉裂かれ、血を流されて死なれたことを覚えます。そして、キリストの身代わりの死による贖罪を信じて受け入れた人が罪の無い神の民とされたことを再確認します。
聖餐式にはキリスト信仰の最も重要な告白が込められており、私たちは聖餐式を通して、神様と自分との関係を表明しているのです。
1.最後の晩餐に継承された過ぎ越しの食事
クリスチャンは最後の晩餐を覚えて聖餐式を行いますが、最後の晩餐のルーツはイスラエル民族の出エジプト前夜の食事にあります。神がイスラエル民族と結ばれた贖い契約の本質は食事を通して継承され、最後の晩餐と十字架で実現しました。
聖餐式に至る食事の歴史
出エジプト前夜の晩餐
(イスラエルがエジプトの奴隷から解放されて約束の地へ出発する)
⇒ 過ぎ越しの祭りの晩餐
(出エジプトを記念し、子孫にイスラエルの歴史を教え、信仰を継承する)
⇒ 最後の晩餐
(過ぎ越しの祭り前夜、十字架刑前夜、種なしパンとぶどう酒で新しい契約を結ぶ)
⇒ 主の晩餐
(初代教会は週の初めの日の晩餐で、主の死を覚えてパンを裂きぶどう酒を飲んだ)
⇒ 聖餐式
(イエス様の流された血と裂かれた身体を覚えて行うキリスト教の聖礼典)
神の契約と人類救済計画は、イスラエルの歴史を通して進展してきました。この記事では、出エジプトと過ぎ越しの祭りを通して啓示され、最後の晩餐と十字架によって完了した人類の贖いについて学びます。そしてパンとぶどう酒に表されたキリスト信仰の本質を確認します。
2.出エジプトの過ぎ越しと、血による契約
今から約3,300年前、奴隷となっていたイスラエル民族がエジプトを脱出する前夜、主はイスラエル民族に過ぎ越しのいけにえを捧げ、食事をするように命じられました(出エジプト12:2~11、21~22)。
・夕暮れに子羊を屠り、その血を鴨居と2本の門柱にヒソプで塗る。朝まで家から出てはいけない。
・夜、旅支度をして、焼いた羊の肉・種を入れないパン・苦菜を急いで食べる。
出エジプト12:12~13
その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは主である。その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。
① 恵みによる救い:子羊の血により滅びを免れる
人は罪のゆえに死ぬべき存在となり、神から引き離されてしまいました。
イスラエル民族がエジプトを脱出し、アブラハムとその子孫たちに永遠に与えると約束されたカナンの地に入るためには、罪の無い者として神のために聖別される必要がありました。そして罪人が神との関係を取り戻すためには、身代わりの動物を殺して、血を捧げることが必要でした。
イスラエル民族は家の門柱と鴨居に子羊の血を塗り、家の中で過越しの晩餐をとりました。腰に帯を締め、履物を履き、杖を手に持って、焼いた羊の肉と種を入れないパンと苦菜を急いで食べ、ぶどう酒を飲みました。
その夜、死の使いは血を塗っていたイスラエル人の家を通り過ぎて行きました。一方、血を塗っていなかったエジプト人の家では、長子が全員殺されました(12:29)。
主はイスラエルの長子をご自分の者として聖別すると決め(13:2)、そのいのちを動物のいのちによって贖うように命じられました(13:13)。
レビ17:11 実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。
イスラエル人の長子のいのちを贖うために羊が殺され、宥めを行う血の代価が支払われたので、イスラエルでは誰もいのちを失いませんでした。エジプト人の家では長子のために宥めが行われていなかったので、彼らは死の使いに滅ぼされてしまいました。
翌朝、イスラエル民族はエジプトの奴隷から解放され、約束の地を目指して出発しました。イスラエル民族を奴隷に引き戻そうとして追って来たファラオとエジプト軍は、紅海に飲み込まれて全滅してしまいました(出エジプト14章)。
死ぬべき人間が神の民として聖別され、永遠の相続地を受け取るために、身代わりのいのち(血)を献げなければならないのです。
② 神との契約と、神の民として生きる基準
エジプトから解放されたイスラエル民族は、神と血による契約を結びました(24章)。
モーセは、主の全ての言葉とすべての定めを民に告げ、契約の書に書き記しました。そして祭壇を築き、全焼のささげ物を献げ、交わりのための雄牛を献げて、その血の半分を祭壇に振りかけました。モーセが契約の書を民に読んで聞かせると、民は「主の言われたことをすべて行います」と答えたので、モーセは残りの血を取り、民に振りかけて言いました。「これは、主があなたがたと結ばれる契約の血である(出エジプト記24:3~8)。」
それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、70人の長老たちがイスラエル民族を代表して登っていき、イスラエルの神を仰ぎ見、打たれることなく食事をします(24:9~11)。それは神とイスラエル民族の契約が成立したことを表しています。
その後モーセはシナイ山に上り、十戒の書かれた契約の板を授かりました。十戒とそれに付随する教えと戒め(20~23章)は、神の民となったイスラエル民族が、聖なる神に相応しい生き方をするための基準として与えられたものです。
イスラエル民族は、子羊の血と過ぎ越しの晩餐によって死を免れ、エジプトの奴隷から解放されました。その後、祭壇と民に雄牛の血をふりかけ、民の代表が神の前で会食することで、神の民となるための契約が結ばれました。
先に犠牲の血による救いがあり(恵みによる無条件の救い)、契約が成立した後で、神の民として正しく生きるための戒め(律法)が与えられました。
3.過ぎ越しの祭りの目的と、新しい契約の啓示
出エジプトしたイスラエル民族は、シナイ山で神と契約を結び、「祭司の王国、聖なる国民(19:16)」となりました。イスラエル民族には、神の民として過ぎ越しの祭りを祝うことが定められました。
出エジプト12:14~17
12:14 この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。
12:15 七日間、種なしパンを食べなければならない。その最初の日に、あなたがたの家からパン種を取り除かなければならない。最初の日から七日目までの間に、種入りのパンを食べる者は、みなイスラエルから断ち切られるからである。
12:16 また最初の日に聖なる会合を開き、七日目にも聖なる会合を開く。この期間中は、いかなる仕事もしてはならない。ただし、皆が食べる必要のあるものだけは作ることができる。
12:17 あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。
申命記16:1~8、レビ記23:5~8、民数記28:16~25にも、過ぎ越しの祭りについての定めが記されています。過ぎ越しの祭りを行う目的と、祭りに啓示された霊的な意味とは何でしょうか。
① 神による救いと解放を語り継ぐ
毎年イスラエルでは、種なしパンの祭りの初日に行われる過ぎ越しの祭りで、家族ごとに儀式的な晩餐を行います。エジプトに下された10の裁きの記事を読みながら、神による奇跡的救出と、400年に及ぶエジプトの奴隷生活から解放された歴史を子どもたちに教え、この偉大な神への信仰を継承します。祭りの食事をしながら「先祖たちの歴史を食べ」、先祖たちが体験した偉大な神の御業と恵みを追体験するのです。
神殿時代の過ぎ越しの祭りでは、食事の中心は子羊の肉でした。ニサン14日の夕方、日の沈むころ、主が御名を住まわせるために選ばれた場所(エルサレム)で家族ごとに一匹の子羊を屠ります(申命記16:5~7)。皮をはぎ、脂肪と腎臓を祭壇で燃やし、肉を焼いて日没後のニサン15日の晩餐として食べます。
種なしパンは、エジプトから出てきた日を一生の間覚えているために食べる「苦しみのパン」です(16:2~3)。晩餐は、エジプトから脱出した自由を祝うために、白い晴着を着て、横たわって食べたそうです。
現代は神殿がないので羊を屠ることはしませんが、羊の骨をテーブルに飾り、焼いた羊肉の他、種を入れないパン、苦菜(エジプトの苦役を覚えるため)、ハロセット(りんご、ナッツ、蜂蜜などの甘い混ぜ物、パンにつける、レンガ作りを覚えるため)、ゆで卵(苦難によって固くなるイスラエル民族の結束を表す)などを食します。カルパス(鴨居と門柱に血を塗ったヒソプの代わり)を塩水につけて食べるのは、エジプトで流した涙を覚え、紅海を渡ったことを記念するためです。そして4杯のぶどう酒を飲みます。
そのうち、最も重要なものが種なしパンとぶどう酒です。
② 罪の無い者として神に仕える
イスラエル民族は、種なしパンの祭りを永遠の掟として守ります。前日に家中からパン種を取り除き、7日間、パン種の入らないパンを食べます。
マタイ16:6でイエス様は、「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種」に気をつけるように言われました。それは彼らの「教え」のことであり、ルカ12:1には「偽善」であると書かれています。また、マルコ8:15には「ヘロデのパン種」も出て来ます。わずかのパン種が、こねた粉の全体をふくらませ(発酵させ)ます(ガラテヤ5:9)。発酵が腐敗につながるように、罪を表すパン種も信仰の腐敗につながります。
パウロはコリント教会にパン種を取り除くように教えています。コリント教会は、貪欲・不品行・偶像礼拝など多くの問題を抱えていました。
Ⅰコリント5:6~8
5:6 あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。
5:7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。
5:8 ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。
コリントのクリスチャンたちは、偶像礼拝と性的不品行が蔓延する社会で救われ、生きていたため、日常生活や結婚生活や教会生活にさえ、パン種が紛れ込んでいました。
パウロは、「私たちの過ぎ越しの小羊キリストが、すでにほふられた」ので、「贖い出された神の民は、罪の無い種なしパンになった」と教えています。そして、クリスチャンは悪意や邪悪という古いパン種(罪)を取り除き、誠実と真実の種なしパンで信仰生活を送るように命じています。
種なしパンを食べることは、罪の無い聖なる民として生きることを意味しています。7は完全数なので、7日間、種無しパンを食べることは、罪の無い者として永遠に生きることを暗示しています。
③ 種なしパンに啓示されたキリスト
種なしパンの祭り期間中、発酵したパンは食べず、7日間、種を入れないパン(マッツァ)を食べます。初日の儀式的晩餐では、特別な意味を持つマッツアを食べます。
3枚のマッツァを重ねます。一番上が天の神、真ん中が仲介者としての祭司、一番下が地に住む人を表しています。真中のマッツァを半分に割り、片方を白い麻布に包んで隠します。これはアフィコーメン(「その後に来るもの」という意味)と呼ばれるデザートのようなものです。食事の後でこのアフィコーメンを探し出し、皆で分けて食べます。
マタイ26:26
また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
ユダヤ人たちには理解できないことですが、白い布に包んで隠すのは、イエス様が布にくるまれて墓に葬られたことを象徴し、後から探し出すのは、復活して墓から出て来ることを象徴しています。
イエス様が神をほめたたえ、裂いて弟子たちに与えたパンがアフィコーメンです。アフィコーメンは裂かれた主の御身体を象徴しています。
④ イエスの肉はまことの食べ物、イエスの血はまことの飲み物
5つのパンと2匹の魚の奇跡の後、イエス様はご自分を捜しに来た群衆に言われました。
ヨハネ6:27
なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。・・・
そして主は、天の父が与える神のパンは、天から降って来て世にいのちを与えるものであり、ご自分がいのちのパンであると言われました(6:32~35)。
ヨハネ6:47~51
まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。わたしはいのちのパンです。・・・・・わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。
アフィコーメンは、世のいのちのために与えられるイエス様の肉を象徴しています。アフィコーメンを食べることは「天から下って来た生けるパン」であるキリストの肉を食べることです。
ヨハネ6:53~55
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
出エジプトの過ぎ越しで屠られた子羊は、十字架で死なれたイエス様の予型です。初めの過ぎ越しで家の門柱と鴨居に塗られた子羊の血は、十字架で流されたイエス様の血を指し示し、焼かれた子羊の肉はキリストの肉を指しています。祭りの晩餐で種なしパンを食べ、ぶどう酒を飲むことは、象徴的にイエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むことを表しています。
3 新しい契約を発効させる最後の晩餐
ルカ22:15~16
イエスは彼らに言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」
① 最後の晩餐で結ばれた新しい契約
イエス様は最後の晩餐で、弟子たちと特別な過ぎ越しの食事をされました。それは、出エジプトの出来事を記念するための食事ではありません。主は、過越が神の国において成就する時に備え、晩餐の中で弟子たちと新しい契約を結ばれたのです。
新しい契約については旧約聖書に預言されていました。
エレミヤ31:31~33
31:31 見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──主のことば──。
31:33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
古い契約は、出エジプトの後、シナイ山で結ばれた契約を指しています。かつて主は、子羊の血によってイスラエルの民とエジプトの民を区別し、ファラオとエジプト軍を滅ぼされました。そしてイスラエル民族をエジプトの奴隷から救い出し、祭司の王国、聖なる国民として約束の地に導き入れてくださいました。
しかしイスラエル民族は神との契約を軽視し、神の民として生きるための基準である「律法」を与えられたにも関わらず、罪を犯し続けたため、国が滅ぼされ、諸国に離散させられてしまいました。
そこで神様は、信仰のあるイスラエルのレムナント(残りの者)と、新しい契約を結ぶことを計画されました。その契約の場が最後の晩餐です。イエス様は十字架にかかられる前に、裏切り者のユダを除いた11人の弟子たちと、あらかじめ契約の会食をされました。これから裂かれる御身体の代わりに種なしパンを、そしてこれから流される血の代わりにぶどう酒を取り、弟子たちに与えて契約を結んだのです。
イエス様の血によって贖われた人は、心に律法を書き記されます。それは主の復活後に注がれる聖霊です。聖霊は文字に書かれた律法を解き明かし、神の御心を教えて行わせ、神の民に相応しい者へと養育します。
エペソ1:14
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。
世の終わりに下される神の怒りを過ぎ越し、神の国を受け継ぐために、イエス様の血によって新しい契約が結ばれ、保証として聖霊が与えられました。
② 過ぎ越しが神の国において成就するとは
過越が神の国において成就するとは、「悪魔が支配する今の世(時代)が終わり、神が支配する新しい世界が始まる」ことです。
世の終わりに主が天から来られ、悪魔の支配を終わらせます。神に反逆し、悪魔に従う者たちは、再臨された主によって(ファラオとエジプト軍のように)滅ぼされてしまいます。
真の神を信じ、キリストを待ち望む民は、終わりのラッパが鳴ると、朽ちない栄光のからだに変えられ、御使いによって主のもとに集められ、神の国を相続させていただきます。
「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる(エレミヤ31:33)」という約束は、新しいエルサレムで成就します。
黙示録21:1~3、7
21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
21:3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
イエス様は、ご自分を信じる民が神との関係を回復し、新しいエルサレムを相続することができるように、いのちを与えてくださったのです。
エペソ1:5、7、11
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
過越しが神の国において成就する時、主の民は、罪の奴隷と悪魔の支配と永遠の滅びから救い出されます。そして「義の宿る新しい天と新しい地(Ⅱペテロ3:13)」に導かれ、神の子として永遠の御国を相続するのです。
③ 世の罪を取り除く「過ぎ越しの子羊」キリスト
バプテスマのヨハネはイエス様を見て、「世の罪を取り除く神の子羊」と叫びました(ヨハネ1:29)。イエス様は、世の罪を取り除き、世の終わりに全世界に注がれる神の怒りから人々を救い出すために屠られた「最終的な過越しのための神の子羊」です。
黙示録5:6では、「7つの角と7つの目を持つ子羊」が天の御座と24人の長老たちの中に屠られた姿で立っています。4つの生き物と長老たちは言います。「あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました(5:9~10)。」
主の血によって、イスラエル民族だけでなく、イスラエルの神を信じる諸国の民も贖われ、「祭司の王国、聖なる国民」とされます。
Ⅰペテロ1:18~19
・・・あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
イエス様が息を引き取られた時、神殿の幕が神の手により上から下に引き裂かれました。キリストの血による贖いが完成したので、動物の血による神殿での贖いの儀式は不要となりました。
次回は、祭りのぶどう酒が啓示する神の救済計画について学びます。
過ぎ越しの晩餐で飲まれる4杯のぶどう酒が象徴していたことは、最後の晩餐でどのように実現したのでしょうか。主の十字架で明らかになったパンとぶどう酒の本質は、初代教会が守った主の晩餐とキリスト教会の聖餐式にどのように継承されたのでしょうか。そして世の終わりの過ぎ越しはどのように実現するのか探ってみましょう。
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