再臨と終末(9)エルサレムをめぐる戦いと世の終わりの裁きの谷

終末論
ゲッセマネの園から見た黄金門とケデロンの谷
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父なる神様は罪人が一人でも滅びることを望まれず、全ての人が悔い改めて神のもとに帰り、真のいのちを得て、神と共に永遠に生きることを願われました。そのため、人類の罪の身代わりに神の御子を十字架で裁き、人類が御子の血による贖いを信じて救われるように、忍耐して待ち続けておられます。

やがて、神の忍耐の時が終了し、主の御怒りの日が来ます。世の終わりの最後の戦いは、イエス様が治める神の国が始まる前に、神を憎む者たちを地上から取り除き、この曲がった時代(使徒2:40)を終了するための戦争です。再臨された主によって、永遠のいのちを得て神の国に入る者と、永遠の滅び(火の池・ゲヘナ)に入る者が分けられます。

この記事では、主が世を裁かれる理由と、さばきの行われるエルサレムの谷について、旧約聖書の預言から学びます。

1.主が天の軍勢を率いて来られる理由

① エルサレムをめぐる戦いを終わらせる

神様はイスラエル民族を選び、全人類の救いの計画を進めて来られました。イスラエルを通して聖書を与え、ユダ族からメシアを生み出し、ユダヤ人によって世界宣教を開始されました。

ユダヤ人が民族としてメシア・イエス様を拒否したために、イスラエル国家は滅ぼされ、ユダヤ民族は預言されていたように世界離散し、神の人類救済計画の表舞台から退きました。それ以降、異邦民族に福音が伝えられ、福音宣教はキリスト教会が担うことになりました。

けれども聖書には、イスラエル国家とイスラエル民族について、まだ成就していない預言がたくさんあります。終わりの日に、神様はイスラエルに対する約束(預言)をすべて実現され、イスラエルの神こそ真の神であると世界に証明されます。その一つが、エルサレムをイスラエルの所有とし、イエス様がエルサレムに戻って来て、王となられるという約束です。

エルサレム(シオン)は、イエス様にとって特別な場所です。

詩篇132:13~15
 主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。」

悪魔はこれまでも、諸国の民を背後で支配してイスラエルの神に反抗させ、神の宝の民であるイスラエル民族を滅ぼして、エルサレムを奪い、再臨を阻止しようと働いてきました。

けれども終わりの日には、シオンをめぐる悪魔の策略に、主が終止符を打たれるのです。

② 主の相続地・シオンを奪い返す

主が諸国の民を集めて裁かれるのは、ご自分の相続地シオンのためです。

イザヤ34:1~2、8
 国々よ。近づいて聞け。諸国の民よ。耳を傾けよ。地と、それに満ちるもの、世界と、そこから生え出たすべてのものよ。聞け。がすべての国に向かって怒り、すべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、彼らが虐殺されるままにされたからだ。・・・・・それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。

イエス様は、イスラエルとエルサレム(シオン)の敵を裁くために戻って来られます。

ヨエル3:1~2
「見よ。わたしがユダとエルサレムの繁栄を元どおりにする、その日、その時、わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。

エルサレムは主の相続地です。イエス様が怒って諸国民を滅ぼされる理由は、彼らがイスラエル民族をエルサレムから追い出し、イエス様がわたしのゆずりの地と呼ぶイスラエルの地を分け取ったからです。

主はエルサレムに、「とこしえにわたしの名を置く」と定められました(Ⅱ歴代誌 6:5~6、7:16)。エルサレムは、天地のが聖なる御名を住まわせるために選ばれた聖なる都です。エルサレムをイスラエルから奪い取ったり、分割したりすることは、主の主権を犯し、主の聖なる住まいを踏みにじる事なのです。

③ エルサレムを攻撃する者を滅ぼす

ゼカリヤ1:14~15
・・・万軍の主はこう仰せられる。「わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。 しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行なった。」

主が怒られるのは、諸国の民が主の愛するエルサレムとシオンに好き勝手に悪事を行ったからです。

ゼカリヤ12:3、9
その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。・・・その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。

諸国の民がエルサレムを攻撃しようと集まる日、主がご自分の軍勢を率いて天から来られます。主は、イスラエルの敵に復讐し、ご自分の相続地エルサレムを奪還し、諸国の軍隊を滅ぼされます。そして全地にご自身の力と栄光を現わされるのです。

イザヤ62:1~3、11

シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。そのとき、国々はあなたの義を見、全ての王があなたの栄光を見る。あなたは、主の口が名づける新しい名でよばれよう。あなたはの手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。
・・・・・見よ。は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。

「わたし」は神様、「あなた」はシオン、「シオンの娘」はエルサレムの住民イスラエル民族のことです。神がシオンのために黙っていません。主は踏みにじられていたエルサレムを救い、エルサレムで王となり、エルサレムは主の栄光に輝きます。

ゼカリヤ2:8~13
 ・・・万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。見よ。わたしは、こぶしを彼らに振り上げる。
・・・シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。――主の御告げ。その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。主は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ。」

イスラエル民族に害を加えることは、神の「ひとみに触れる」こと、つまり神ご自身に悪を行うことなので、主が聖なる住まい(天)から地上に下って来て報復されるのです。イエス様はエルサレムを選び、永遠に住まわれます。主に立ち帰った諸国民は、イスラエル民族と同様に主の民とされ、主とともに住むことができるようになります。

2.終わりの日の裁きの谷とは

主はヨシャパテの谷とヒノムの谷で敵に報復されます。

① ヨシャパテの谷で酒ぶねが踏まれる

ヨエル3:12~14
 諸国の民は起き上がり、ヨシャパテの谷に上って来い。わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。かまを入れよ。刈り入れの時は熟した。来て、踏め。酒ぶねは満ち、石がめはあふれている。彼らの悪がひどいからだ。 さばきの谷には、群集また群集。の日がさばきの谷に近づくからだ。

ヨエルは、終わりの日(主の御怒りの日)に諸国の民が裁かれる場所はヨシャパテの谷であると預言しています。その谷は伝統的に、エルサレムの東側、神殿の丘とオリーブ山との間にあるケデロンの谷のことであると言われてきましたが、聖書の他の箇所から確認できないので、どこにあるか、はっきりしたことは分かりません。「ヨシャパテ」は「主は裁いた」という意味で、主の日にはさばきの谷と呼ばれるようになるようです。

さばきは刈り入れぶどう踏みにたとえられています(参照:再臨と終末(4)「麦と毒麦」「地の刈り取りと怒りのぶどう踏み」)。主の日は「穀物の刈り入れ」の日、「怒りのぶどうを踏む」日です。

 黙示録14:14~20では、白い雲に乗った人の子のような方(イエス様)が、鋭いかまで地の穀物を刈り取ります。そして、御使いが地のぶどうの房を刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ込み、その酒ぶねはエルサレムの外で踏まれます。

また黙示録19:11~21には、白い馬に乗ったイエス様が天から来られ、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれると書かれています。獣と偽預言者が火の池に投げ込まれ、地上の王たちと諸国の軍勢が御口の剣で殺されます。

ぶどう踏みとは、主が諸国の王たちとその軍隊を怒って滅ぼすことを表しますが、彼らはエルサレムの外で主に裁かれます。

② ケデロンの谷とヒノムの谷

オリーブ山からケデロンの谷の向こう側にある神殿の丘を眺めると、2つのアーチを持つ「黄金門」が見えます。この門はメシアが神殿に入場する時に通られる門です。オリーブ山と神殿の丘は安息日に歩いて良い距離、900m位です。イエス様の時代には、黄金門の前から、谷を越える橋が架かっていたようです。

イエス様は最後の晩餐の後、おそらく、黄金門の前で神殿の至聖所の方に顔を向け、父なる神様に「大祭司の祈り」を捧げられたと考えられます(ヨハネ17章)。祈り終えると神殿に背を向け、ケデロンの谷を通ってオリーブ山に登り、ゲッセマネの園で祈られました(ヨハネ18:1)。そして捕らえられ、裁判にかけられ、エルサレムの城壁の外にあるカルバリーの丘で、神の小羊として贖いを完成されました。

復活されたイエス様は、オリーブ山から雲に乗って天に帰られました。やがてイエス様は、弟子たちが見たときと同じ有様で、天の雲に乗ってオリーブ山に戻って来られます(使徒1:9~11)。

現在の黄金門は、イスラム教徒たちによって石でふさがれ、門の前は墓地(汚れた忌むべき場所)とされてしまいました。メシアを黄金門から入らせまいとしているのです。

ヨシャパテの谷に諸国の民が集まって来るのは、メシアの神殿入場を妨げようとするからであると思われます。けれども、王の帰還の(ミナの)たとえ話によると、イエス様が王となることを望まない者たちは、再臨のメシアによって滅ぼされてしまいます(ルカ19:14、27)。

エルサレムの南側には「ヒノムの谷」があります。ヒノムの谷の別名はゲヘナです。ここはかつて、偶像礼拝のために、幼児を火で焼いて捧げた場所で、後に罪人の死体を焼くために使用され、将来は、主に殺された者たちが葬られる「虐殺の谷」と言われるようになります(エレミヤ7:31~32)。ヒノムの谷はケデロンの谷と繋がっています。

ヨエルとエレミヤによると、エルサレムを取り囲む敵の軍勢は、ヨシャパテの谷(さばきの谷)で殺され、ヒノムの谷(虐殺の谷)に葬られます。もしヨシャパテの谷がケデロンの谷を指しているのであれば、最後の戦いは神殿の東側で行われることになりますが、全世界の国々が攻めて来るにしては狭すぎるようです。

③ 主の日の大地震と新しい大きな谷

 ゼカリヤ14章には、主の再臨の日に起こる大地震と地殻変動についての預言があります。

ゼカリヤ14:4~5
 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

イエス様が再臨されてオリーブ山に立たれると、オリーブ山は南北に割れ、東西に延びる非常に大きな谷ができ、アツァル(現在のアツァルはアラブ人の町)にまで裂け目が広がります。旧約時代の預言者たちが預言したさばきの谷虐殺の谷(エルサレムの南側)は、大地震と地殻変動によって、この非常に大きな谷の一部になるのかもしれません。

 黙示録では、第7の鉢がぶちまけられると、いなずまと声と雷鳴があり、人類史上かつてなかったほどの大きな強い地震が起こり、エルサレムの町は3つに裂かれ、諸国の民の町々が倒れます(16:19)。

イザヤ24:10,12、19~21
 都はこわされて荒地のようになり、すべての家は閉ざされて、入れない。・・・町はただ荒れ果てたままに残され、城門は打ち砕かれて荒れ果てる。・・・地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。その日、は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。

イザヤは、イエス様が天で悪魔と堕天使たちの大軍を罰し、地上で獣と反キリスト軍を滅ぼす日について預言しています。主の日には、エルサレムの都も神殿の丘も大地震によって壊滅することでしょう。

 民数記16章には、イスラエル民族をモーセとアロンに反逆させようとしたコラとダタンとアビラムの下で地面が割れ、家族・財産・天幕もろとも生きたまま地下に飲み込まれ、滅ぼされたという記事があります。また、彼らに従ったレビ人250人も、主の火によって焼き尽くされてしまいました。これは終末の裁きの型であるように思えます。

将来、神殿の丘に第三神殿が建ち、そこで荒らす憎むべき者(獣)が自分を神とし、諸国民に自分を礼拝させるようになると考えられています。大地震によってオリーブ山が南北に裂けると、神殿の丘の地面も割れ、神殿は落下し、ヨシャパテの谷さばきの谷)とヒノムの谷虐殺の谷)と神殿の丘は一つの谷となり、主に戦いを挑む反キリスト軍にとってのゲヘナとなるのかもしれません。

④ 主の怒りの火が燃える谷

主の怒りの火によって、全ての悪が焼きつくされます。

ゼパニヤ3:8
それゆえ、わたしを待て。──【主】の御告げ──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集めてさばき、わたしの憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注ぐ。まことに、全地はわたしのねたみの火によって、焼き尽くされる。

イザヤ33:10~14
「今、わたしは立ち上がる」とは仰せられる。「今、わたしは自分を高め、今、あがめられるようにしよう。・・・・国々の民は焼かれて石灰となり、刈り取られて火をつけられるいばらとなる。遠くの者よ。わたしのしたことを聞け。近くの者よ。わたしの力を知れ。」罪人たちはシオンでわななき、神を敬わない者は恐怖に取りつかれる。「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。私たちのうち、だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」

マラキ3:2、4:1
だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の、布をさらす者の灰汁のようだ。・・・見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。──万軍のは仰せられる──

 ヒノムの谷は、かつて幼児を火で焼いて偶像に捧げた場所「トフェテ(焼き場、オーブンの意味)」があり、イエス様の時代には、罪人の死体が焼かれる場所となっていました。
ゲヘナは、ヒノムの谷をギリシャ語に直した言葉で、世の終わりに罪人が焼かれる火の燃える場所を意味するようになりました(参照:「シェオールとゲヘナ、第二の死と永遠の滅びについての誤解」)。

イザヤ33:14の「燃える炉」やマラキ4:1の「かまど」は、ゲヘナを指していると思われます。

黙示録6:14~17
 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

神の大いなる怒りの日 ジョン・マーティン作

主の怒りの炎に絶えることのできる人は誰もいません。

詩編37:20
 悪者は滅びる。の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。となって消えうせる

⑤ 主は「神の獅子」、「神の祭壇の焼炉」

イザヤ29:5~8
 あなたの敵の群れも、細かいほこりのようになり、横暴な者の群れは、吹き飛ぶもみがらのようになる。しかも、それはにわかに、急に起こる。万軍のは、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。
アリエルに戦いをいどむすべての民の群れ、これを攻めて、これを取り囲み、これをしいたげる者たちはみな、夢のようになり、夜の幻のようになる。飢えた者が、夢の中で食べ、目がさめると、その腹はからであるように、渇いている者が、夢の中で飲み、目がさめると、なんとも疲れて、のどが干からびているように、シオンの山に戦いをいどむすべての民の群れも、そのようになる。

アリエル」はエルサレムを暗示する言葉ですが、もともと神殿の祭壇を指し、「神の祭壇の焼炉」または「神の獅子」という意味で使われるようです(新聖書辞典、いのちのことば社)。

主は地震暴風焼き尽くす火の炎とともに来られ、シオンの山に戦いをいどむすべての民の群れを滅ぼされます。イエス様ご自身がアリエル(神の獅子)であり、神の祭壇の焼炉アリエル(エルサレム)の敵を焼き滅ぼされるのです。

大地震によってエルサレムが3つに分かれると、神殿の丘は破壊され、神殿と2つの谷のあった場所全体が一つの大きな谷となり、主の怒りの火によってゲヘナ(火の燃える池)となると考えられます。ゲヘナとは、地下にある地獄でもなく、霊魂が火によって燃やされ続ける見えない世界でもありません。イスラエルの地に将来、実際に目で見ることのできる、火の燃える池ができるのです。

イエス様が再臨される日、エルサレムに火と硫黄の燃えるゲヘナが出現します。罪人たちは焼かれ、煙と灰となって消滅し、獣と偽預言者はこの火の池に投げ込まれ、永遠の刑罰を受けるのです。

ヨエル3:15~17
 太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。天も地も震える。だが、は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、であり、わたしの聖なる山、シオンに住むことを知ろう。エルサレムは聖地となり、他国人はもう、そこを通らない。

エルサレム全体が火に焼かれてしまうなら、主はどこに住まわれるのでしょうか。破壊されたエルサレムに代わって、主の住まわれる新しいエルサレムが天から降って来ます。それはイスラエル全土をはるかに超える大きな城塞都市で、アブラハムに約束された「エジプトの川からユーフラテス川まで」がすっぽりと入る広さです。贖われたイスラエル民族とクリスチャンはこの新しいエルサレムの国民となり、その国籍はシオンとされます。

 詩篇87:5-6
シオンについては、こう言われる。「だれもかれもが、ここで生まれた」と。こうして、いと高き方ご自身がシオンを堅くお建てになる。主が国々の民を登録されるとき、「この民はここで生まれた」としるされる。

エルサレムをめぐる最後の戦いが終わり、神を憎む者たちが滅ぼされてしまうと、主が新しいエルサレムで王座に着き、全地を治められます。そして主に贖われた聖徒たちだけが聖なるエルサレムを相続し、主とともに永遠に住むことができるようになるのです。

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