「神の小羊」誕生を喜び伝えた真の礼拝者、ベツレヘムの羊飼い

キリストの地上生涯
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これまで2つの記事で、メシア初臨に備え、神の御心と御計画に仕えた6人の信仰者たち――メシア来臨とイスラエルの贖いを長年祈り続けた祭司シメオンと女預言者アンナ、バプテスマのヨハネの両親祭司ザカリヤと妻エリサベツ、イエス様の母マリアと養父ヨハネ――について学びました。

今回は、人となって地上に降臨された神の御子を、世界で最初に礼拝した羊飼いたちについてのメッセージです。

1. 世界で最初に福音を聞いた羊飼いたち

ルカ2:8~12
さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」

① 贖いの捧げものとされるベツレヘムの羊

灯り一つ見えない人里離れた野で、数人の羊飼いたちが焚火を囲み、交代で羊を見守っていました。メシア誕生の知らせが最初に届けられたのは、名もない貧しい羊飼いたちです。彼らが放牧していたのは、ベツレヘムとエルサレムの間の丘陵地帯であったと考えられます。

ベツレヘムダビデの町と呼ばれています。ダビデはベツレヘムのエフラテ出身で、王になる前は、そのあたりで父の羊を放牧していました。

ベツレヘムとエルサレムの距離は8kmで、そのあたりでは、神殿で捧げられる羊が放牧されていたようです。傷がある羊は神に捧げることができないので、捧げものにする羊を世話する羊飼いは、1年中、厳しい自然環境の中で羊たちと生活を共にし、昼間は野で放牧し、夜は囲い場に入れ、獣や盗人に奪われないように入り口で見張りながら野宿し、休みなく忠実に働いていました。

羊は全焼の捧げ物として朝晩捧げられ、またイスラエルの例祭の捧げ物として、そして個人の罪の贖いのためにも捧げられました。

過ぎ越しの祭りには、ユダヤ人はエルサレムに上って神殿で主を礼拝し、家族ごとに羊をほふってその肉を食べ、先祖たちの出エジプトを記念します。イスラエルの全家族の贖いのためには、毎年どれほど多くの羊が屠られたことでしょうか。生贄の羊は「羊の門」から入城し、殺された羊の血でベテスダの池の水は赤く染まったと記録されています。

② 罪を知り、悲しむ人々への福音

羊はユダヤ人たちの生活にとって欠かせない存在でした。羊毛は衣服に、乳と肉は食用に、皮は天幕やぶどう酒を入れる皮袋に、角は笛や聖油入れに用いられました。
多くの家畜を飼う大牧者の家では、子供たちや親族が羊の世話をするだけでなく、雇い人の羊飼いたちもいて、それぞれ数十頭ずつの群れを任されて飼育していました。

羊飼いは安息日・例祭などの規則を守れず、また貧しい羊飼いはローマ帝国にも神殿にも税金を払えなかったので、宗教家たちから罪人と蔑まれ、「神は羊飼いを救いに選んでいない」とさえ言われていました。そのような羊飼いたちは、人の罪の身代わりに無実の羊たちが殺されるたびに、人間の罪の大きさと神の厳粛さを思わされ、自分も罪人であることを痛感させられたことでしょう。

けれども喜びの訪れは、宗教指導者たちから「救いようがない」と言われていた羊飼いたちに真っ先に告げられたのでした。御使いは羊飼いたちに民全体に与えられる大きな喜びを携えて来て、特に、自分の罪を悲しんでいるあなたがたのために救い主が生まれてくださったと告げ知らせたのでした。

2.メシアと出会った羊飼い

暗闇に突然光り輝く御使いの軍勢が現れ、神の栄光をたたえました。天の聖歌隊の大合唱が終わると、辺りはまた暗闇に戻り、静寂が羊飼いたちを包みます。

ルカ2:15~16
 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。

① 王位に着くダビデの子孫の預言

ダビデの町ベツレヘムで救い主が生まれました。その誕生については、700年前に預言者イザヤが預言していました。

イザヤ9: 6~7
 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。一人の男の子が、私たちに与えられる。王権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権はまし加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座について、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

ユダヤ人たちは長い間、約束された救い主が来て、イスラエルを他国の支配から解放し、自由で平和で安全な国を建て上げ、繁栄と幸福を実現してくださることを待ち望んでいました。

ダビデは忠実で、主に油注がれた、イスラエルで最も優れた王でした。イザヤは、将来ダビデの子孫が王座に着き、正義によって国を建て、平和をもたらし、とこしえの王国を治めると預言しました。その方は人間の王であると同時に、「力ある神、永遠の父」でもあります。そしてその約束は、神が定め、神が実現されるというのです。

② 救い主のしるし

御使いの知らせを聞いて、羊飼いたちはすぐにメシアを捜しに行きました。どのように捜したのでしょうか? 救い主であるしるしは、布にくるまれ、飼葉桶に寝ておられるみどりご(生まれたばかりの赤ちゃん)です。

どこに捜しに行ったのでしょうか? 馬小屋ではありません。馬は戦いのために王の馬小屋で飼われていました。エルサレムに駐留しているローマ兵たちも多くの馬を所有していました。そのような馬小屋には見張りがいて、卑しい羊飼いたちを入れてくれるはずはありません。まして、貧しいユダヤ人夫妻がこっそり入り込んで、2人きりで出産できるはずもありません。

羊飼いたちが「飼葉桶」と聞いてピンとくるのは、羊用の飼葉桶、つまり餌台です(飼馬桶ではありません)。欧米やアジアの人々は木で作られた飼葉桶を連想しますが、羊飼いが知っている飼葉桶は石でできていました。羊飼いは、羊の飼葉桶がどこにあるかよく知っていました。

③ 救い主は羊の洞窟で生まれた

その日は穏やかな気候で、羊飼いたちは羊を野にある囲い場に入れ、星天を見ながら野宿していました。悪天候の時には、羊は天井のある場所で夜を過ごします。雨の日や寒い冬には、羊たちは野にある自然の洞窟か、羊の所有者の家にある羊の飼育部屋で夜を過ごすのです(最近は、イエス様の誕生は雨期の冬ではなく、秋の仮庵の祭りの初日であったと考える学者や牧師が増えています)。

多くの群れを所有し、羊飼いたちを雇用していた牧羊家の住居は町はずれにあり、そこには付属の羊部屋がありました。

イスラエルの家は石造りです。牧者たちは洞窟の前に石を積み上げて、内部で洞窟とつながった2階建ての住居を作り、2階部分を人の居住用に、1階部分を家畜用に使用していました。洞窟の壁にできた天然の棚や、くぼみのある大きな岩が、餌台として使われていたようです。人の住居なら布もあります。
ですから羊飼いたちは、飼葉桶と布が備えられた大牧羊家の住まいを目指したと思われます。

3.初めてのメシア礼拝と福音伝道

ルカ2:1、4~7
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。・・・ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子をにくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

① 喜びの知らせを伝えた羊飼いたち

宿屋には居場所がなかったので、ヨセフとマリアは羊部屋に泊まることになりました。

当時の宿屋は民宿です。祭りの季節には国内外から大勢のユダヤ人が集まって来るため、大地主や大事業家の大邸宅は臨時の宿泊所となり、都上りの巡礼者たちは大部屋で雑魚寝をしたものです。
多くの羊飼いや使用人を雇っていた牧羊家の広い家も宿屋として使用され、妻や娘たちが宿泊客の世話をしたことでしょう。身重のマリアは人であふれかえった客部屋を避け、羊不在の静かな洞窟で出産することになったと思われます。

羊飼いたちは、生まれたばかりの赤ちゃんがいないか、幾つか宿屋を尋ねて回ったことでしょう。そしてついに、布にくるまれて飼葉桶に寝ておられるイエス様を捜し出しました。

ルカ2:17~18
それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。

そこには、出産のために世話をしてくれた女性たちや、宿屋の使用人たちもいたことでしょう。

羊飼いたちはその場にいた人々に、御使いからこの赤ちゃんについて告げられたことを知らせました。ヨセフとマリアだけでなく、お手伝いの女性たちや宿屋のしもべたち、そこに宿泊していた大勢の人々に、この民全体に与えられる、大きな喜びを伝えたでしょう。「この幼子が待ち望んでいた救い主です。罪から救ってくださる贖い主です」と、世界で最初に福音を宣べ伝えたのです。

② 救い主を送ってくださった神を崇める

ルカ2:20
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

ベツレヘムの羊飼いたちは忠実に羊を育てていましたが、どんなに愛情をこめて大切に育て、命がけで野獣から守っても、その羊は人間の罪のために身代わりに殺されます。贖いの羊が象徴していた実体は、真の小羊であるイエス様でした。罪を贖うために捧げる羊を育てていた羊飼いたちは、罪を取り除く本物の「神の小羊」と対面したのでした。

神はイスラエル民族との契約を守り、約束された救い主を送ってくださった!
御使いを遣わして、誕生されたばかりの救い主に出会わせて下さった!

羊飼いたちは神が真実な方であることを体験し、感謝して神をほめたたえ、御子を通して神に栄光を捧げました。そして喜びに満たされ、委ねられた羊たちの待つ野へと帰って行きました。

世界で最初にインマヌエルの神を礼拝した人々は、貧しい名もない羊飼いたちでした。彼らは安息日にも会堂に行くことが出来ず、例祭の時にも神殿に上ることが出来ませんでしたが、神の御子が地上に誕生されたまさにその日に、顔と顔を合わせて御子に謁見し、神ご自身を礼拝したのでした。

それは過酷な羊飼い人生でただ一度の礼拝、感謝と希望と平安と喜びに満ちた忘れられない礼拝となったことでしょう。彼らは、ユダヤの王も、パリサイ人や律法学者たちも、神殿で勤務していた祭司たちも体験できなかった本当の礼拝を体験したのです。むしろ、地位や身分があって、いつでも礼拝に参加できる人々は、真実な礼拝をしたいと飢え渇いてはいなかったかもしれません。羊飼いたちは心から神をあがめ、ほめたたえ、神はその礼拝を喜んで受け入れて下さったことでしょう。

③ 羊飼いにご自身を示された大牧者

ベツレヘムの羊飼いたちは宗教指導者からは蔑視されていましたが、自分に与えられた使命を忠実に果たすことで、神に仕え、神を礼拝していたと言えます。神に捧げる羊を大切に育てることは、責任ある、とても尊い仕事です。彼らは与えられた召命に仕え、彼らの人生は職業を通して神の御計画のために用いられました。

主はご自分を信じる者たちの群れを導き、養い、守ってくださる真の羊飼いです。罪人を救うためにご自分のいのちを進んで投げ出し、新しいいのちを与えて豊かに満たしてくださる「良い羊飼い」です(参照:「主は私の羊飼い:イエス様はなぜご自分を良い羊飼いに譬えられたのか」)。

羊飼いが自分の羊を知っているように、イエス様もご自分の羊である「ベツレヘムの羊飼いたち」を知っておられました。命がけで群れを守る忠実な羊飼いたちを、永遠のいのちを与える「神の羊飼い」が導いておられました。真の羊飼い・イエス様は、まずこの羊飼いたちにご自分を明らかにされ、この忠実なしもべたちから最初の礼拝を受けられたのです。

ベツレヘムの羊飼いたちはその後も、安息日の礼拝や祭りに参加することはできなかったでしょう。その夜の出来事は、あわれみ深い天の父の配慮であり、またご褒美であったに違いありません。
御使いの知らせに応答してすぐに御子を捜しに行き、その喜びの訪れを人々に知らせた彼らの行動を、神様は喜んでくださったことでしょう。そしてイエス様が再臨される時には、「永遠の大牧者」である主ご自身が、彼らの忠実な働きに永遠の報いを与えて下さることでしょう。

4.救い主誕生の良き知らせ

① 死ぬために生まれた救い主

イエス様は、羊を飼う洞窟で生まれた本物の神の小羊です。イエス様の地上生涯の第一の目的は、人類の罪を贖うために身代わりに死ぬこと、贖いの死をとげることでした。羊飼いたちが育て、神殿で捧げられた羊たちは、イエス様の死を予表していました。

イスラエルでは、亡くなった人を火葬や土葬にせず、洞窟を利用したお墓に埋葬しました。岩を掘ってベッドのような台を作り、没薬を塗って布で包んだ遺体を安置します。しばらくすると遺体は腐敗し、分解され、遺骨だけが残るので、それを集めて骨壺に収めるのです。

羊飼いたちはその夜、洞窟の中の石作りの飼葉桶に寝かされているイエス様を発見しました。布にくるまれて石のベッドに眠る幼子の姿は、まるで墓の中の遺体のように見えたことでしょう。なぜ神が人となって地上に生まれる必要があったのか、羊飼いたちが発見したみどりごの姿は、その答えを示していました。

預言されていたダビデの子孫、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』が誕生された!光り輝く御使いが告げ知らせ、天の軍勢が神の御業をほめたたえました。けれども、その救い主の寝室は、なんと質素だったことでしょう! そして静かに眠るユダヤ人の王のお姿は、なんと遜っていたことでしょう!

② 世界で最初のクリスマス・プレゼント

罪のために神から離れ、売られてしまった人類(罪人)は死んで滅びなければなりません。罪の報酬は死だからです。この人類を救うためには、罪の無い清い血を代価として支払って、死と滅びから買い戻さなければなりません。これが「贖い」です。

レビ17:11
肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。

罪人のいのちを贖うために、神様は罪の無い者の血を求められます。いのちを買い戻すためには、罪の無い神の子のいのちを代わりに支払わなければならないのです。

「神の小羊」は、代価を払うために生まれてくださいました。そして実際に、主は30年後の過ぎ越しの祭りで、全人類の罪を贖うために「傷のない神の小羊」として屠られ、捧げられました。
人類を買い戻すために尊い聖い血を流してくださった「贖いの子羊」イエス様は、神様から私たち人類への尊いクリスマス・プレゼントなのです。

神様は約束通り、イスラエルの民が待ち続けていた救い主を送って下さいました。イエス様が身代わりに死んでいのちを捨てて下さったので、ユダヤ人だけでなく信じる全ての人々は、罪が取り除かれ、罪の報酬である「永遠の死と滅び」から解放されました。そして神様との関係が回復し、復活して永遠のいのちを得て、神の国を受け継ぐことができるのです。

憐れみ深く、契約を守る神様は、罪を自覚し悲しむ者、弱い者、小さい者を救って下さいます。羊飼いたちが神様に感謝し、ほめたたえたように、私たちも救い主として誕生された主を喜び、謙った心で、神様に賛美と真実な礼拝を捧げましょう。
そして、この良き知らせをまだ知らない人々に、救い主の誕生と福音を知らせましょう。やがて主が再臨されて罪の世界を終わらせ、真の神の国をもたらしてくださいます。王なるイエス様の再臨を待ち望み、神の愛と真実、神のご計画と私たちに与えられた希望を、多くの人に宣べ伝えましょう。

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