看守のいのちを救ったパウロのことば

礼拝メッセージ
パウロの第2次宣教旅行 アジアからマケドニアへ
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今日の御言葉の場面は、パウロが第2次宣教旅行で、初めてヨーロッパ(ピリピ)に渡った時のことです。この宣教旅行は、「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」(使徒の働き15:36)と、パウロが思い立ったことがきっかけでした。パウロが開拓したアジア州の諸教会には、ユダヤ人に混じって多くの異邦人がいましたが、彼らに伝えたいグッドニュースがあったのです。しかし、いざ出かけてみると、聖霊によって、途中から思わぬ方向へと導かれて行ったのでした。そして、ピリピの地で、迫害に遭い、投獄されますが、そこで・・・。

聖書箇所:使徒の働き16章27節~16章31節

使徒の働き16:27-31
16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。
16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

1.パウロの第2次宣教旅行

きっかけはエルサレム会議の決定

今日の聖書箇所の直前(使徒の働き15章)を見ると、パウロの活動の拠点となっていたアンテオケの教会には、ユダヤ人に混じって、異邦人信者もいましたが、そこに、異邦人もユダヤ人と同じように割礼を受けなければならないという誤った教えが入り込んできました。
この問題に対して、使徒たちと長老たちによってエルサレム会議が開かれ、「異邦人クリスチャンは割礼を受ける必要はなく、ただ、偶像に備えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けることだけで、それ以外の割礼も含めてどんな重荷も負わせない」との決定がされました。
この決定(聖徒としての最低限の戒め)によって、異邦人は、割礼という肉体的な苦痛や、食物規定などの細かな生活習慣の規制から解放され、ただ、主イエスを救い主として信じる信仰だけで救われることが確認されました。恵みのゆえに、信仰によって救われるのです。

但し、ここで注意したいのは、異邦人クリスチャンは律法を全て無視してよいということではありません。15:21に「昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」とあるように、殺してはならない、盗んではならない、姦淫してはならないなど、律法の最低限の戒めは異邦人にも教えられていたからです。

新たな地へ

パウロは、この決定を先の第1次宣教旅行で開拓した教会に伝えるべく、シラスを伴い、出発しました。こうして、第2次宣教旅行が始まりました。宣教は二人以上のチームで行うのが基本でした。イエス様も弟子たち70人を送り出した時は、二人1組にして送り出しました。アンテオケから内陸を進み、ガラテヤ地方のリステラで、弟子のテモテを召し出します。そしてここからは、テモテも参加して、行く先々の教会にエルサレム会議の決定を伝えていった結果、諸教会は信仰が強められ、信じる者が日ごとに増えて行きました。

ところが、途中から、聖霊によって、パウロらは新たな地へと導かれて行きます。

使徒の働き 16:6-10
16:6 それから彼らは、アジヤ(トルコの西、アジア州のこと)でみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
16:7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
16:8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
16:9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。

16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

16:10から、“私たちは・・・”という表現に変わっているので、この使徒の働きを書いたルカも、ここから同行したようです。これで宣教チームは4名となりました。ここでルカが加わったことが、この後ピリピの地で役立つことになるのですが、これも聖霊の導きであったと思います。この4名で、聖霊に導かれて、ヨーロッパ(マケドニヤ)へ渡り、ピリピに着きます。ここがヨーロッパで最初の宣教の地となりました。

2.ピリピでの宣教

使徒の働き16:11-15
16:11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
16:12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
16:13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
16:14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
16:15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。

紫布商人ルデヤ

ピリピはギリシヤのマケドニヤ州第一の町。当時はローマ帝国の植民都市になっていて、ローマの軍関係者やローマ市民が多く住んでいました。

第1次宣教旅行でもそうでしたが、パウロの宣教方法は、先ず、ユダヤ人の会堂に行って、そこで福音を語ることでした。しかし、ピリピの町には、ユダヤ人が少なく、会堂がなかったようです。婦人たちが川のほとりに集まって、そこで礼拝していていました。
川のほとりで礼拝するのは、川の水できよめを行うためです。そこにルデヤという女性がいました。ルデヤは神を敬う異邦人でした。主がルデヤの心を開かれたので、ルデヤはパウロの語る福音を受け入れ、救い主イエス様を信じました。

因みに、ルデヤ(リディア)とは個人の名前のようですが、“リディア地方のひと”とも読めます。彼女は、リディア地方のテアテラ出身の婦人です。テアテラは、高価な紫布で有名なアジア州の町です。黙示録の7つの教会の一つです。ルデヤは紫布の商人で、ローマの特権階級(ローマ市民)が多いピリピの町にビジネスに来ていて、パウロから福音を聞いたのでした。

教会の誕生

ルデヤは、「私が主を信じる者(別訳では、主に対し真実な者)とお思いでしたら、私の家に来てお泊りください」と懇願しています。彼女は神を敬う人でしたから、旧約聖書の律法の教えを知っていて、その教えに従って旅人であるパウロ一行をもてなそうとしたのかもしれませんが、福音のために自分の家を用いていただきたいとの、いわば献身のような思いが与えられたのでしょう。この結果、ルデヤの家はパウロ一行の活動の拠点となりました。

ここで重要なのは、主が一人の女性ルデヤの心を開いたということです。ことばを変えれば、主がルデヤを召されたということです。ルデヤが主イエスを信じ、その家族の者たちとともにバプテスマを受けたことで、ピリピの町に、異邦人クリスチャンの集まり、教会(家の教会)が誕生したのです。教会は主イエスに召された者の集まりのことですから、家であれ、川の祈り場であれ、場所は関係がありません。はじめは家族だけでも、主に召され、同じ信仰を持つ者が二人、三人と集まればそこが教会となります。ピリピの教会は、旧約聖書を熟知しているユダヤ人が中心ではなく、聖書の知識に乏しい異邦人だけで始まった教会なのです。現在世界中にある異邦人の教会の、いわば初穂なのです。

ルカの関わり

ピリピの町には、有名な医学の学校がありました。ルカは医者でもありましたが、ここで医学を学んだのではないかという説があります。そうすると、ピリピの土地感に詳しいルカが、祈りの場がどこにあるのか知っていて、そこにパウロらを導いたのかもしれません。16:13を見ると、パウロらが”祈りの場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして“いるところに女たちが集まってきているので、先にパウロたちがそこに行っているのがわかります。

先の話になりますが、17:1を見ると、彼ら(パウロとシラスとテモテ)は、ピリピの後テサロニケへ行った、とあるので、ルカはピリピに残ったようです。そして、20:5で、パウロが第3次宣教旅行で、再びピリピに来た時、そこからパウロ一行に同行しているので、この間、ルカがこのピリピの教会を指導したのかもしれません。

3.迫害と宣教

占いの霊

この後、パウロたちは祈り場に行く途中で、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会います。この女は、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなた方に宣べ伝えています。」(16:17)と叫び続け、伝道の邪魔をしました。語っている内容は真実ですが、このままにしておくと、占いの霊と神が、占いの霊と救い主イエス様が同類となってしまいます。私たちも異端やカルト教会と同じとみられたら良い気持ちはしません。そもそも占いは神様が忌嫌うものです(レビ記19:26、申命記18:10)。

そこでパウロはこの女奴隷から、イエスの名によって、占いの霊を追い出しました。すると、この女奴隷を使って占いで商売をしていた主人たちの怒りを買い、逮捕されることになりました。 ここは、ギリシヤです。コリントの町の近くには、デルフォイの神託で有名なアポロン神殿(神殿跡は世界遺産)があり、当時は、多くのポリス(都市国家)の指導者がここに参じて、巫女の口から語られる神のお告げ(神託)、つまり占いによって、政治や戦争などを判断していたのです。

またこの頃、時のローマ皇帝クラウディオ帝がローマからすべてのユダヤ人を追放する命令を出したことで、ユダヤ人に対する反感、差別がピリピにも蔓延していました。群衆は、パウロらをユダヤ教の一派と考えて訴えました。「この者たちはユダヤ人でして・・・」 (16:20)という表現は、その反感の現れです。

ローマのむち打ち

使徒の働き16:22-34
16:22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
16:23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。
16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
16:34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

長官たち(当時の行政長官は二人1組)は、パウロとシラスを取り調べもせずに、むち打ちを命じました。ユダヤ人に対する反感がそうさせたのでしょう。パウロとシラスは公衆の面前で衣をはぎ取られ、何度もむちで打たれました。このむちは、ユダヤ人のむちではありません。ローマのむちです。映画パッションのむち打ちの場面を思い出してください。ユダヤ人のむちはしなやかな棒でピシッとたたくのですが、ローマのむちは、短い木の棒の先にベルトのような革紐を数本括りつけられたもので、その革紐の先に動物の骨とか金属片が付けられています。そのむちで罪人の背中を打つと、それが肉に食い込み、肉をずたずたに引き裂くのです。イエス様が十字架にかかる前に受けたように、パウロとシラスもこのローマのむちを受けたのです。
そして、足には木の足かせをはめられ、奥の牢に入れられました。木の足かせとは、厚い木の板2枚に、足首の大きさの半円をくりぬいたもので、これで両足を挟んで歩けなくする拘束具です。この状態で牢に入れられました。

獄中の祈りと賛美

真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていました。むち打たれた傷が痛いでしょうし、足には足かせで、満足に横になることもできません。二人は苦痛の中にあったのに、神に祈り、神を賛美しています。いや、辛い、苦難の時だからこそ、神に祈り、神を賛美したのかもしれません。何か体の痛みがある時、心からの賛美を歌うことで痛みを忘れることがありますが、パウロたちもそうだったかもしれません。
そして、その様子をほかの囚人たちが聞き入っています。この傷だらけの、足かせをはめられた二人が苦痛にうめくのでもなく、理不尽な扱いにののしることもせず、神を賛美する姿を見て、何か感じるものがあったのでしょう。

いったいどんな祈りと賛美をしていたのでしょうか。
パウロが後に、ピリピの教会を励ますために書いた手紙の中に、「キリストの賛歌」と呼ばれる賛歌がありますが、当時歌われていた讃美歌をパウロが引用したと言われているので、このような賛美をしたのかもしれません。

ピリピ人への手紙 2:6-11 (新改訳2017)
「キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自身を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、
それも十字架の死にまで従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名を与えられました。
それは、イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、
父なる神に栄光を帰すためです。」

キリスト、救い主はどういう方であるかを歌っています。そして、その救い主はすべてのひとの救い主であるというのです。天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものとは、御使い、生けるもの、死にたるもの、すべてつくられたもののことです。このように神をあがめる賛美をパウロとシラスは痛む体を押して歌ったのかもしれません。

看守の救い

パウロとシラスの祈りに、神様はすぐに答えてくださいました。大きな地震が起こり、牢の扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまいました。地震のタイミング、全部の扉が開いたこと、すべての囚人の鎖が外れたこと、すべて神の御手のわざです。目を覚ました看守は、囚人が逃げたものと思い、自殺しようとします。ピリピはローマの植民都市で軍関係者が多くいましたが、看守の多くは退役軍人でした。もし、看守が囚人を逃がした時は、囚人が受ける刑を看守が受けるのがルールでした。多くの囚人を逃がしたのであれば、通常は公開の場での処刑です。そのことを考え、この看守は名誉ある死を取ろうとしたのです。その時、パウロが大声で叫びました。「自殺してはならない。私たちはみなここにいる。」と。

これを聞いた看守は混乱したはずです。囚人たちが残っているって?なぜ囚人たちが逃げないのか?と。囚人たちも訳が分からず混乱していたかもしれません。むちでボロボロになった二人が神に祈り、賛美したら、大地震が起こり、扉が開いて、鎖が外れて・・・。目に見えない神の存在を感じたのかもしれません。
この時この看守は、パウロの「私たちはみなここにいる」とのことばで、命を救われました。囚人を逃したことによるローマの処刑を免れたのです。しかし、この看守は、パウロとシラスの前に震えながら、ひれ伏して、「救われるためには、何をしなければなりませんか」と言っています。説明のつかない恐れの心が生じたのでしょう、目に見えない神の存在を理解したのです。目の前の二人が、犯罪人どころか神の使いであったと分かったのです。これまでの仕打ちに対してどう償えばよいのか、と恐れや不安がよぎったことでしょう。

それに対してパウロとシラスは二人で言いました。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」イエスを救い主として信じるだけで良いというのです。信じるだけで救われるのです。割礼も要りません。お金や難行苦行も要りません。神の恵みのゆえに、信仰によって救われるのです。
そして、パウロは看守とその家にいる者全員に福音を伝えました。イエスが神であり、人間の姿を取って現れた救い主であること、その救い主が、神から離れていた人間の罪のために十字架にかかり、葬られ、そして3日目によみがえられたこと、この方だけが人間を罪から贖ってくださる救い主であること、更に、この方は再び、裁き主としてこの地に来られ、神を信じない全ての人を裁かれる、と。

「私たちはここにいる」というパウロの言葉で、体だけを滅ぼすローマの処刑を免れました。しかし、本当の救いは「主イエスを信じなさい」にありました。体だけでなく魂をも滅ぼすお方(神)の裁きを免れるのです。

その夜、看守とその家にいる者全員が信じてバプテスマを受けました。家族だけでなく、しもべたちも含め家にいるすべての者が救われたのです。

二人の釈放

夜が明けると、釈放の命令が出ます。長官たちは、ただお騒がせ者を懲らしめたくらいに思っていたのでしょうが、パウロの語る言葉に驚愕します。

使徒の働き16:37
「彼ら(長官たちのこと)は、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」

ここで、パウロは長官たちへ仕返しをしているのでしょうか。ひそかに解放するのではなく、公に釈放することで、名誉回復をしようとしているのでしょうか。単に、名誉回復が理由なら、むち打ちを受ける前に、自分がローマ市民であることを明らかにすれば、むち打ちの辱めや苦しみは受けずに済んだはずです。しかし、もしそうしていたら、むち打ちはなかったかもしれませんが、女奴隷の主人たちの憎しみ、恨みは残ったことでしょう。すると、迫害の矛先はパウロらを受け入れ、もてなしたルデヤの家に向かうことになったと思います。パウロは女奴隷の主人たちの怒りを受け止めて、むち打ちを受けることで、ルデヤの家を守ったのです。

また、長官たちが出向いてきて、釈放したことで、パウロたちの無罪が明らかになると同時に、ルデヤの集会(家の教会)はローマ市民であるパウロによって起こされた、いわば正当な集まりであることを公にしたのです。これは神の計らいでした。

ローマ人への手紙8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださいます・・・。

 

結び いつも喜び、寛容を示し、感謝をもって祈りなさい。

パウロの第2次宣教旅行は、異邦人にも信じるだけで救われる救いの道が開かれたこと、主イエスを信じる信仰によって、恵みによって救われること、割礼や行いによって救われるのではないことを異邦人に伝えるために行われたのです。「主イエスを信じない、そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」この福音は、エルサレムから始まり、ユダヤ、サマリヤを経て、聖霊の導きによってピリピにもたらされ、そして、全世界に述べ伝えられ、私たちに届いたのです。

エペソ人への手紙2:8
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

もう一つ、今日の聖書箇所から学びたい点があります。それは、神への信頼ということです。聖霊によってピリピへ導かれたということもありますが、パウロとシラスの獄中の態度に注目しましょう。心身ともに苦痛の中にあっても、彼らは苦難に目を向けるのではなく、神に祈り、神を賛美しました。パウロが後に、ピリピの教会を励ますために書いた手紙の中に、辛い時の対処のしかたが書かれています。

ピリピ人への手紙4:4-7
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

世にあっては艱難があります。まだまだコロナ禍は、先が見えず、苦しい生活が続きますが、神に信頼しましょう。パウロが「私たちはここにいる」「主イエスを信じなさい」と言って看守に寄り添ったように、私たちには、イエス・キリストの御霊、聖霊なる神が、いつも共におられます。御言葉を握って、いつも喜び、祈り、感謝を捧げ、神の平安によって心と思いを守っていただきましょう。

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