人とはどのような存在か(6)アダム系列からキリスト系列へ――十字架のビフォー・アフター

クリスチャンの成長
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堕落して滅びに向かう人類を神のもとに取り戻すため、神は人類救済計画を開始され、御子キリストを贖罪のために遣わされました。イエス様を救い主と信じた人は、アダムの子孫としてはキリストとともに裁かれて死に、罪の無いキリストの子孫として新しく生まれたとされます。

アダム系列からキリスト系列へ移された者は、滅びにつながる生き方から、いのちにつながる生き方へと移り、アダムが失った祝福を取り戻します。

この記事では、キリストを信じる前の古い人生まれながらの人)と、キリストにある新しい人新生した人)とはどのように違うのか、十字架のビフォー・アフターについて学びます。

1.アダムの罪によって失われた「神のかたち」

人は、創造主の造られた世界を神の御心に従って正しく治めるために、神のいのちの息(霊)を吹き込まれ、神と交わることのできる特別な存在として造られました。神は「われわれのかたちに人を造ろう」と御計画され、最初の人アダムをエデンの園に置き、「非常に良い」と満足されました。

けれども、アダムが罪を犯したために世界に呪いが入り、人は神の園から追い出され、神の臨在と神の祝福を失い、創造主の似姿からも神の御心からも離れて行きました。

① 第一のアダムの罪と死

エデンの園には「いのちの木」と「善悪を知る知識の木」がありました。
・いのちの木の実を食べるなら、神の知識と神のいのちにつながって生き、永遠に生きることが可能になります。
・善悪の知識の木知恵の木)の実を食べるなら、神に頼らず、自分自身が神のようになって善悪を判断し、自分の知恵と方法で生きることになります。

最初の人アダムは神の戒めを守らず、妻の声に聞き従い、善悪を知る知識の木の実を食べました。そして神に問いただされた時、罪を認めて赦しを乞う代わりに、妻に責任転嫁して自己正当化を図りました。彼は神の定めた善悪ではなく、自分にとって都合の良い善悪を主張し、自分を創造主より高くしたのです。アダムの有罪は確定しました。

最初の人アダムは神の知恵といのちから離れ、自分自身の知恵と力によって生きることを選択しました。それは、世界の創造主・所有者・支配者である全知全能の神の絶対的な価値観を認めず、自分が神のようにふるまうことでした

こうして、神の似姿に造られた人類の始祖は、神から独立して自己中心に生きるようになり、神との親密な関係が破壊され、神のかたちから離れて堕落し始めました。そのため、いのちの木の実を食べて永遠に生きることがないように、人は神の園から追い出されてしまったのです。

そして人は死ぬべき存在となりました。
「死」とは、肉体から(神から与えられたいのちの息)が出て、肉体がちりに帰ることです。アダムは罪を犯した直後には死を体験しませんでしたが、やがて肉体の死を迎えました。

「霊的死」という表現があります。神から与えられたいのちである人の霊が死んだわけではありませんが、人は神から独立し、わずかな霊でサバイバルする存在となったのです。

詩編144:4
 人はにすぎず、その日々は影のように過ぎ去ります。

② アダムの子孫の罪と死

アダムの子孫たちは「堕落したアダムのかたち」を受け継ぎ、「神のかたち」からますます離れていきました。そして自分が神のようになって自分の思いで生き、悪を行い、罪を増し加え、神の創造された世界を混乱させ、不幸にしていきました。

創世記6:3
は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、120年にしよう」と仰せられた。

人は神との交わりを失い、自分の知恵と能力と経験に頼り、自分の願望のために生きる「肉」と呼ばれる存在になりました罪を犯した結果、人は神のかたちに造られた霊的存在から、肉的存在に堕落してしまったのです

神が霊を取り去られると、肉なる存在に物理的な死が訪れます。

詩篇146:4
霊が出て行くと人は自分の土に帰り、その日のうちに彼の計画は滅び失せる。

全ての人は儚い人生を生きた後、神の定められた寿命が満ちると、分け与えられていた霊(いのち)をひと息に吐き出し、死んでちりに帰ります(伝道者12:7)。そして世の終わりに審判の時が来て、神に赦されていない者は、第二の死によって最終的な滅びを迎えることになります(参照:「滅びを刈り取る肉の人、いのちを刈り取る御霊の人」)。

アダムの罪によって全人類に罪と死が広がりました。
ところで、アダムが罪を犯した結果、アダムの子孫として生まれた全ての人が罪人とされるのはどうしてでしょうか?

ロシアにマトリョーシカという人形があります。一つの人形のように見えますが、人形を開けると中にもう一つの人形があり、それを開けるとまた人形があり、さらにその人形を開けるとまた人形があり・・・一つの大きな人形の中に数十もの人形が入っています。

人類もマトリョーシカのようです。時間を超越する神は、アダムの中に、将来生まれる全ての人を見ておられます。アダムは一番外側の人形のように全人類を包含し、代表しています。

神の目には、アダムが知識の木の実を食べて罪を犯した時、すべての人はアダムの中にいて、アダムと一緒に罪を犯したのです。そしてアダムが死を宣告された時、全人類も一緒に死を宣告されたのです。ですからアダムの子孫は生まれる前から罪人であり、死を免れることのできる人は一人もいないのです。

③ 律法は罪を自覚させ、救いを求めさせる

神は人類救済計画を進めるにあたり、イスラエル民族と契約を結んで祭司の王国とし、将来の完全な贖いのひな型として、動物犠牲制度を定められました。そして、イスラエル民族が真の神の義を表し、真の神から祝福を受けた民として諸国民の証しとなるように、守るべき基準として律法を与えられました。

律法神の義の本質を示します。律法を守れば生き、祝福されますが、自分の力で律法を完全に守り、律法によって義と認められる者はだれもいませんガラテヤ3:11)。全ての人は罪の下に売られている肉的な存在ローマ7:14)で、肉のうちには善が住んでいないローマ7:18)のです。

律法は違反(罪)を示しますガラテヤ3:19)。「死のとげは罪であり、罪の力は律法です(Ⅰコリント15:56)。」罪が戒め(律法)によって機会をとらえ、堕落した人を欺き、肉の欲望を引き起こし、かえって罪を犯させ、死をもたらすのです。その結果、律法は全ての人を死に定めるローマ7:7~13)ことになりました。

律法には人を義とし、いのちを与えることができません。律法は人に、自分が罪人であり、赦しと救いが必要であると気づかせ、救い主を求めさせるためのものなのです。律法はキリストへ導くための養育係ガラテヤ3:21~24)としての役割を果たします。  

2.第二の(最後の)アダム・キリストの御業

  イエス様は地上生涯で罪を犯さず、律法を完全に守り行い、義と認められた唯一の方です。その正しい方が、アダム系列にある全人類の身代わりに裁かれて、善悪の知識の木につながる生き方を終わらせ、神のいのちに生きることができるようにしてくださいました。

① 罪を取り去る第二のアダム

ガラテヤ3:13
キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。

ローマ8:3~4
肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。

イエス・キリストが全ての人の罪の責任を取り、代表して十字架で死なれ、いのち(血)の代価を支払ってくださいました。キリストの贖いが自分のためであったと信じる人は、キリストとともに十字架で死に、罪の裁きが終わったと見なされます

イエス様は義と認められて復活し、永遠に生きておられます。主は初めから永遠のいのちを持つ神の子ですが、有限なアダムの子孫となって人類を代表して死なれ、義人の代表として復活されました。自分は罪人であり、イエス様と一緒に十字架で死んだと信じる者は、アダムの子孫を終了し、キリストの子孫として新しく生まれたと見なされます

どういう理由からでしょうか? 十字架で死なれ、義人の初穂として復活されたイエス様は、一番外側のマトリョーシカ人形のように、ご自分を信じる全ての人を包含しています。

人類の歴史をすべて見通す神様の視点では、イエス様を信じた人は、主が十字架で死なれた時も、主が復活された時も、すでにイエス様の中にいたのです。そしてイエス様が完全に義と認められたので、中にいた人も義とされました。ですから、主が復活されたように、義人は将来復活し、永遠に生きることができるのです。へブル7:9~10参照。アブラハムがメルキゼデクに戦利品の十分の一を捧げた時、まだ生まれていないレビは、アブラハムの腰の中でアブラハムを通して十分の一を納めた。)

Ⅰコリント15:45~47
 ・・・「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。

アダムは最初の人第一の人と呼ばれ、地から出た存在です。そして子孫として自分と同じ血肉のもの罪人)を生みます。
イエス様は最後のアダム第二の人と呼ばれ、天から来られた方です。そして復活されていのちを与える御霊となり、御霊のもの神の子)を生みます。

② 最後のアダムによる逆転勝利

Ⅰコリント15:21~22 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるのです。

 ローマ人への手紙5章には、アダムの行為とイエス様の御業の結果がどのように人類に影響を与えたか、対比して説明されています。

アダムの行為の結果

一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入った。その結果、すべての人が罪を犯し、すべての人に死が広がった(5:12)。
死は、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々さえも支配したので、多くの人が死んだ(5:14~15)。
・一人の違反によって死が支配するようになった(5:17)。
・一人の違反によって全ての人が不義に定められ(5:18)、
・一人の不従順によって多くの人が罪人とされた(5:19)。

イエス様の御業の結果

神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、違反の場合と違い、なおいっそう多くの人に満ちあふれ(ローマ5:15)、多くの違反が義と認められる5:16)。
・恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配する5:17)。
一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちが与えられる(5:18)。
一人の従順によって多くの人が義人とされる(5:19)。
・御霊は義によって支配して、主イエス・キリストにより永遠のいのちに導く5:21)。

アダム一人の罪から全人類に罪と死が広がりましたが、イエス様一人の義の行為によって、信じる全ての人の罪が赦され、義とされ、永遠のいのちが与えられます。

ローマ5:9~10
 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。

救われるとは神の怒りからの救い、つまり世の終わりの裁きと滅びから救われることです。罪人は火によって完全に焼き滅ぼされてしまいますが、救われた人は、キリスト再臨時に不滅のからだに変えられ、永遠の神の国で神と共に永遠に生きることができます。

キリストが律法を終わらせられた(律法の目的を達成された)ので、信じる人はみな義と認められ(ローマ10:4)、主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる(ローマ10:13)のです。

3.古い人から新しい人、古い創造から新しい創造へ

イエス様を救い主と信じるなら、古い人がキリストと一緒に裁かれて死に、新しい人がキリストの復活と同時に生まれたとされます。

① 御怒りを受けるべき古い創造

 まだ新生していない人はどのような状態にあるのでしょうか。

エペソ2:1~3
 あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

パウロは、罪人として生まれた全ての人類は、律法のあるなしにかかわらず、悪魔の支配下で罪の中を歩んでいたと説明しています。

キリストを信じる前の異邦人(あなたがた)は、自分の背きと罪の中に死んでいる不従順の子でした。
キリストを信じる前のユダヤ人(私たち)も、自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、生まれながら御怒りを受けるべき子でした。

パウロはさらに、救われる前の異邦人について、「キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちエペソ2:12)」であったと語っています。

さらに、真の神を知らない者の姿についてこのように説明しています。

エペソ4:18
 彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。

アダム系列の子孫たちは、いのちの源である神を知りません。古い創造は、肉体的に生きていても、神の目には、真のいのちから引き離された死人なのです(マタイ8:22)。

② 古い私の死と、新しい私の誕生

古い私は、イエス・キリストを信じた時にキリストとともに死にました。

ガラテヤ2:19~20
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えて下さった、神の御子に対する信仰によるのです。

ローマ6:4
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。

 新しいいのちに歩むとは、キリストの身体を通して律法に対して死に(ローマ7:4)、自分を縛っていた律法から解かれ、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕える7:6)ことです。

キリストの死と復活に一体化した人は、罪、律法の呪い、死と滅びから解放され、キリストにあって新しいいのちに生きることができます

ガラテヤ6:14~15
・・・この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。・・・大事なのは新しい創造です。

③ 新しい人、新しい創造

 新しい人は、神のいのちとつながって生きる完全に新しい被造物です。「新しく生まれ変わった」のではありません。アダム系列の古い人が終了し、キリスト系列の新しい人が新創造されたのです。

Ⅱコリント5:17
 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

私たちの外見や性格が全く変わっていなくても別人なのです。

ヨハネ3:3,5~6
 ・・・まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。・・・まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

「御霊によって新しく生まれること」は神による創造の奇跡です。「肉の改良」や「同じ系列での生まれ変わり」ではありません。古い創造新しい創造の始まりもゴールも、完全に異なっています。

ヨハネ3:18、36
 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。・・・御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

御子を信じない者の行き先は永遠の滅びです。御子を信じた者は、罪の無い義人として新しく生まれ、その行先は永遠の御国です。御子の死によってすでに裁きが終了しているので、もはや律法によって裁かれることはありません。

ローマ8:1~2
 今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法(原理、法則)が、罪と死の律法(原理、法則)からあなたを解放したからです。

新しい人は、キリスト・イエスにあって造られた神の作品エペソ2:10)、神の子ども (ヨハネ1:12ローマ8:16) 、光の子ども(エペソ5:8)、地の塩世の光(マタイ5:13、14)です。

④ 神のかたちを取り戻す

死によって古い人が終了し、永遠の滅びに向かう路線から切り離されました。クリスチャンは新しく生まれた人、いのちの路線で生きています。古い私はすでに死に、新しいいのちはキリストとともに神の内に隠されています(コロサイ3:3)。私はキリストとともに死に、キリストとともに生きているローマ6:8)のです。

ガラテヤ3:26~27
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。

ですから私たちには、新しい人としてキリストの御霊に導かれて行動する責任があります。

エペソ4:22~24
その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。

古い自分が死んだことを自覚し、神のかたちに造られた新しい人として生きていくことを決意しましょう。そして、常に御霊に聞き従い、霊と心が新しくされ続けることが大切です。

Ⅱコリント3:18
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

私たちは御霊の働きによって、堕落したアダムのかたちから、主のかたちに似た者に変えられていきます。失われた神のかたちを取り戻していくのです。

4.最終的な救いと報い

 十字架のビフォー・アフターは主の再臨によって完結します。

① キリストの復活と同じようになる

ローマ6:4~5
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。

信者は朽ちないもの栄光あるもの力あるもの御霊に属するからだに変えられます(Ⅰコリント15:42~44)。

ローマ8:9~11
もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。・・・キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます

罪ゆえに「肉」となり、神の目に「死人」とされていた人に、キリストの御霊が内住され、いのちとなられたので、その人は肉体の死を迎えても、御霊によって死者の中からよみがえります

ローマ6: 23
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

② 神の国を相続する

救いは、からだが贖われた時に完成します。復活または栄化され、永遠のいのちを持つ神の子として完成し、再臨された主と共に報いとして神の国を相続します

ローマ8:16~17
御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

ガラテヤ3:29
 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

血肉のからだは神の国を相続できない (Ⅰコリント15:50) ので、最後の敵として死が滅ぼされ15:26)、「天に属する方のかたちが与えられます(15:49

主が再臨されて天の御国が地上に訪れる時、どんなに素晴らしい世界が始まり、どんなに素晴らしい祝福が与えられることでしょう!

私たちはキリストにあって御国を受け継ぐ者となりました。・・・どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私たちに与えてくださいますように。また、私たちの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように!(エペソ1:11、17~19より)

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