誤解されている教え

終末論

再臨と終末(3)再臨のたとえ話②「花婿を待つ十人の娘」と新しいエルサレム

花婿を待つ5人の賢い娘たちは、再臨のイエス様と共に天から下る新しいエルサレムに入る人々、愚かな娘たちは外の暗闇に放り出される人々を表しています。主の再臨と共に天の御国が到来する時、新しいエルサレムが天から下って来る理由も解説します。
人とはどのような存在か

人はどのような存在か(5)たましいについて真理を知り、新しい人として生きる

エデンの園以来、悪魔は「肉体は滅んでも不滅の魂が霊魂の世界で永遠に生きている」という偽りで人類を騙し、間違った希望と間違った信仰を持たせてきました。聖書は、復活こそがたましいを生き返らせ、人が死に勝利する方法であると教えています。
終末論

再臨と終末(1)テサロニケ人への手紙から再臨と携挙はいつ起こるか

イエス様の再臨を空中再臨(携挙)と地上再臨に分ける二段階再臨説の問題点を、テサロニケ人への手紙とイエス様の教えから指摘し、再臨と携挙がいつどのように起こると書かれているか検証します。終末論についての正しい理解のための学びです。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(2)死と死者の状態、たましいの救いとは

死後、魂が天国で楽しく暮らしたり地獄で苦しめられたりするという教えは聖書的ではありません。よみには意識活動はありません。たましいは「肉体を持ち、息をする生きもの」を表し、死者(たましい)は復活してから永遠のいのちか永遠の滅びに分けられます。
信仰の目的地

信仰の目的地(2)「天の都」と「天のエルサレム」

クリスチャンの信仰の目的地は、アブラハムの求めた天の都、パウロの見た第三の天、ヨハネの見た新しいエルサレムです。死に勝利した者は復活し、天から下って来る新しいエルサレムー完成された神のパラダイスーで神とともに永遠に生きるのです。 
信仰の目的地

信仰の目的地(1)第三の天とパラダイス、エデンの園の回復

聖書信仰の目的地は天上の霊魂の世界ではありません。パラダイスが表しているのは、神と人が永遠に共に住む楽園の回復です。パウロの見た第三の天とパラダイス、エデンの園との関係について、またイエス様が十字架上の犯罪人に何を約束されたかについても学びます。 
聖書の人物から学ぶ

変貌山のモーセとエリヤが啓示したキリストの死と復活

救い主の死と復活を理解していなかった弟子たちに与えられた、モーセとエリヤの幻による啓示です。イエス様は律法と詩編と預言書の十字架預言を実現するキリストであり、やがて裁き主として再臨され、その時、義人は復活することができると教えています。 
終末論

「人の子の日」の滅びから救われる

ノアの時代とロトの時代は、終わりの日に起こる救いと滅びの預言的な型です。イエス様は、救いの完成を目指して「人の子の日」に備えるように警告されました。主の再臨と救い、主の日の御怒りと滅びについて、エリコ攻略時のラハブ救出も合わせて学びます。
その教えは聖書的?

ラザロと金持ちのたとえ話① 金を愛するパリサイ人への警告

神よりも金を愛し、モーセと預言者たちを信じない者に対する預言的なたとえ話です。「不正な管理人」のたとえ話と合わせ、聖書を信じないならキリストの死と復活を見ても、イエスをメシアと信じて救われることがないと警告し、悔い改めを迫ります。
クリスチャンの成長

偽イエス、偽の霊的体験から自分を守る

世の終わりには、イエス様の訪問や御使いとの遭遇、天国・地獄の体験談など、霊的惑わしが増加します。聖書は、再臨の前には苦難の時代があり、天の万象が崩れ去ること、私たちが主とお会いするのは、万物が改まって新しい天地が訪れる時であると教えています。