アモス預言に秘められた神のご計画
アモスの時代の北イスラエル王国は政治的に安定し、経済的にも繁栄していましたが、偶像礼拝と律法蔑視で霊的には甚だしく堕落し、背信していました。アモス預言の多くは、北イスラエル王国に対する裁きと回復の預言です。同時に、終末時代の世界に対する裁きと回復を語る二重預言でもあります。
1章~6章・・・当時の中東諸国・南ユダ・北イスラエルに対する預言
7章~9章10節・・・世の終わりのイスラエルと世界の裁きについての預言
9章11~15節・・・最終的なイスラエル回復と諸国の救いについての預言
最も重要な預言は、「倒れているダビデの仮庵を再建する」という預言です。
アモス9:11~12
その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。──これを行う主のことば。
この御言葉は使徒の働き15章に引用され、異邦人は割礼を受けてユダヤ人に同化しなくても、「イエスの御名を信じるだけで救われる」根拠として引用されましたが、この預言の重要性はそれだけではありません。
「ダビデの仮庵の建て直し」が意味しているのは、異邦人をも含む全人類を対象とした「神の国」の再建です。アダムの違反の結果を取り除き、悪魔の支配を終わらせ、最終的に「神の支配による完全な永遠の御国」を建設するという神のご計画についての重要な啓示なのです。
これから、「ダビデの仮庵の建て直し」について4つのポイントで学んでいきます。
1.アモス書に預言された「イスラエル統一王国の再建」
2.ダビデの仮庵を建て直すために来られた「ダビデの子」
3.新約時代に啓示された「世界の再建計画」
4.仮庵は最終的にどのように建て直されるのか
1.アモス書に預言された「イスラエル統一王国の再建」
① イスラエル民族と国家の使命の回復
まずアモスの預言した「ダビデの仮庵再建」の意味を確認します。
アモス9:11
その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。
仮庵: 幕屋とも訳されます。
幕屋は、天地の主が地上のイスラエル民族の中で御名を置かれた場所です。天におられる神が民と会見されるための一時的な住まいです。「幕屋が倒れている」とは、神と民の関係が壊れ、主の臨在が民から去っている状態です。
イスラエル民族:全世界に真の神を証しするために造られた「選びの民」です。
アダムの罪以来、人類は悪魔の支配下に置かれ、真の神から離れて偽りの神々を拝んでいます。イスラエル民族には、イスラエルの神が愛と恵みと正義に満ちた全能の神であり、義人を祝福し、悪人を裁く真実な神であることを諸国民に証明する使命があります。
イスラエル王国: 真の神が治める「神の国」のひな型です。
神が主権をもって支配される国が「神の国」です。
イスラエル国は、神の代理として政治を行う人間の王、神の御言葉を取り継ぐ預言者、民に代わって神の前で執り成しをする祭司によって導かれていますが、イスラエルの本当の王は神ご自身です。イスラエル王国が神に従い、正義、平和、祝福、繁栄に満ちた国であると世界に示すことで、イスラエルの神こそ本物の神であると諸国民に証明することができます。
ダビデ: イスラエルの歴史上、ダビデは最も主の御心に適う王でした。
主はダビデの子孫に永遠の王権を与え、永遠の御国を建てさせると約束されました(Ⅱサムエル7:12~14、16)。その約束の子孫が「ダビデの子」です。
ダビデの息子ソロモン王の時代に、異教徒との政略結婚により偶像神が持ち込まれ、三代目のレハブアム王の時代には、南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂し、バアル礼拝やアシェラ礼拝が導入されました。以来、両国とも霊的に堕落し、対立して争い、周辺国から領土を奪われて弱体化していきました。何人もの預言者たちが、北王国はアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国はバビロン帝国に捕囚されると預言しました。
アモス預言の「倒れているダビデの仮庵(廃墟となった幕屋)を起こす(建て直す)」とは、分裂した北イスラエル王国と南ユダ王国を再び統一し、没落したイスラエル王国を再建して、諸国の中で真の神を証しする民族国家として復興させるという意味です。
主はご自分の主権をもって、途絶えていたダビデ王朝を再興し、エルサレムを霊的中心地として建て直し、堕落したイスラエル民族を礼拝者として回復し、神の民としての使命を取り戻させると約束されました。
「倒れているダビデの仮庵再建」は、「ダビデの子孫(メシア)による神の国再建」の預言なのです。
② 再建されたイスラエルに諸国民が加えられる
アモス9:12
これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。──これを行う主のことば。
わたし:「これを行う主」
主が自ら「ダビデの仮庵を起こす」と約束されました。
エドム人: ヤコブの双子の兄、エサウの子孫
エサウは弟のヤコブから長子の権利を奪われ、イサクの家を出てセイル山に移動し、エドム人となりました。神のアブラハムに対する契約は、イサクからヤコブに引き継がれ、イスラエル民族が正統な継承者となりました。ですからエドム人はイスラエル民族に対して激しい嫉妬と憎しみを抱き、何度もイスラエルに敵対し、苦しめました。
残りの者(レムナント): 神に忠実な者、信仰が認められ、滅ぼされずに残された者
「エドムの残りの者」とは、エドム人の中で罪を悔い改めてイスラエルの神を信じ、主の怒りと裁きを免れ、滅ぼされずに残った者を指します。
アモス1:11~12には、エドムの背きに対する裁きが宣言され、首都ボツラは廃墟になると預言されています。ヨエル3:19には、「ユダの人々への暴虐のため、エドムは荒れ果てた荒野になる」とあり、イザヤ34章の終末預言では、「主の復讐の日に、主がボツラとエドムの地で大虐殺をされ、その地は燃やされ、廃墟となる」とあります。それらの裁きを免れ、主の民とされた人が残りの者です。
わたしの名で呼ばれるすべての国々:「ダビデ王朝を再興させる主」の名前を信じる諸国
アモス1~2章には、ダマスコ、ガザ、ツロ、エドム、アンモン、モアブなど、当時の中東諸国に対する裁きが語られていますが、イスラエルの神の名を信じた国々は、神の民に加えられます。
アモス9:11~12の預言は、次のように理解することができます。
9:11 「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す」
⇒ 途絶えていたダビデ王朝の子孫が王位に就き、イスラエル王国を再建する。首都エルサレムは、かつてのように政治的主権を取戻し、霊的中心地として回復する。
9:12 「これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。」
⇒ 再建されたイスラエルに、イスラエルの神を信じるエドム人や諸国民が加えられる。イスラエル王国を通して世界の国々が真の神を知り、神の主権と神の支配に服するようになる。
神がイスラエル王国をダビデの子孫によって復興させ、その王国に信仰のある諸国民が加えられ、新しい時代(神の国)が始まります。
2.ダビデの仮庵を再建するために来られた「ダビデの子」
イスラエル王国を再建するダビデ王の子孫は「ダビデの子」と呼ばれ、長い間、民衆から待ち望まれていました。
① ダビデ王国を再興する「わたし」の名前
預言者たちはダビデの子孫の誕生について預言しました。
エレミヤ 23:5~6
その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う。…その王の名は、「主は私たちの正義」と呼ばれよう。
ダビデの子孫として生まれる王は「主」です。
イザヤ9:6~7
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
「ひとりの男の子」は「力ある神」であり、ダビデの王座に就いてとこしえの王国を治めます。
その男の子の名前は、御使いを通してナザレの処女に告知されました。
ルカ1:31~33
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
ダビデの王位に就いて、とこしえにイスラエル王国を支配する「主」であり、「力ある神」であり、「ダビデの子」である方の名は「イエス」です。
イエス様は倒れているダビデの仮庵を再建するために来られたのです。
② イスラエルの羊を一つの群れにする
ダビデの仮庵再建には、イスラエル12部族が一人の王のもとに集まり、分裂した北王国と南王国が一つになることが必要です。主は、アッシリア捕囚後、行方が分からなくなった北王国の人々を集めると約束されました。
ミカ2:12
ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。
イスラエルの神と民の関係は、牧者と羊にたとえられます。神は、わたしがイスラエル12部族の残りの者(神に忠実な信仰のある人々)を一つに集めると約束されました。
そしてイエス様は、ご自分が羊を集める真の牧者であると宣言されました。
ヨハネ10:10~16
・・・わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。・・・・・わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。・・・・・わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。
アモスを通して「わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす」と約束された主は、ダビデの王座に就く子孫としてお生まれになり、羊に豊かないのちを与えるため、「ユダヤ人の王」としてご自分のいのちを捨ててくださいました。主は「ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるため(ヨハネ11:51~52)」にも死なれました。主は散らされているご自分の羊たちをご存じです。イスラエルの家の失われた羊たち(マタイ10:5~6、1:24)も主を知っていて、御声を聞いて集まって来ます。
3.新約時代に啓示された世界の再建計画
① すべての民族を治める神の国の王イエス
旧約時代の「倒れたダビデの幕屋再建」の意味は、「ダビデ王の子孫がイスラエル王国を復興する」ということでした。「すべての国々を彼らが所有する」 は「異邦の諸国民がイスラエルに加えられる」 という意味でした。ですから使徒たちは、復活されたイエス様がすぐにイスラエル王国を再建し、ダビデの子によるメシア的王国を世界に設立すると考えました。
使徒1:6~8
そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
弟子たちは復活されたイエス様に、「今こそ、アモスが預言したように、イスラエルのために国を再興してくださるのですか」と尋ねたのです。イスラエルを救い、王となって神の国(神が治める王国)を地上にもたらさなければ、聖書的な救い主ではありません。 彼らは、イエス様が「倒れたダビデの仮庵を建て直す」ため、すぐにローマ軍を追い出し、イスラエルを独立国とし、ダビデとソロモンの時代のように復興してくださると期待していました。
それに対し、主が言われたのはこのようなことです。
「イスラエル王国の再建がいつになるかは天の父が決めておられるから、あなたがたは知らなくて良い。それよりも、世界に福音が述べ伝えられることこそ優先事項である。イスラエルの残りの者がわたしをダビデの子と信じるために、あなたがたは聖霊の力を受けて、エルサレムから始めて地の果てまで、わたしの名を伝えなさい。そして散らされている神の羊たちを集めなさい。」
イエス様は、イスラエル国民だけでなく諸国民のためにも死んでくださいました。イスラエル民族の残りの者を集めるだけでなく、全ての民族を創造主の下に取り戻すために、イエスをメシアと信じる諸国民(わたしの名で呼ばれるすべての国々)をも集められます。そしてイスラエル民族と諸国民を一つの群れ(王国)とし、主ご自身が一人の牧者となって、とこしえの正義と平和によって治められるのです。
御国の福音は全世界に宣べ伝えられ、すべての民族に証しされ、それから世の終わりが来ます(マタイ24:14)。イエスの名を信じる者をイエスの王国(永遠の神の国)に招き入れるために、世界中に福音を宣べ伝えなければなりません。
② イスラエル民族と異邦人が主にあって一つの国民になる
ペンテコステの聖霊降臨以降、ペテロやパウロの伝道により、異邦人が救われ始めました。
以前からユダヤ人の会堂に通い、トーラー朗読とラビの説教を聞き、イスラエルの神を礼拝する「神を畏れる異邦人」が福音を聞き、イエスをメシアと信じて聖霊を受けました。彼らはすでに信仰の基礎があり、聖書の教えを理解し、戒めを守り、例祭にも参加して、救い主を待ち望んでいました。
当時のユダヤ人にとって、イスラエル民族だけが神の民であり(割礼はその証拠)、異邦人がイスラエルの神とつながるためには、割礼を受けてイスラエル民族に同化する必要がありました。
使徒の働き 15章には、AD49年にエルサレムに使徒たちが集まり、異邦人信者の割礼問題について議論した事が記されています。異邦人信者たちに割礼を施して律法を守り行わせるべきか、それとも無割礼の異邦人のままでメシア共同体に受け入れても良いものか。ヤコブは「ダビデの幕屋の回復」預言を引用し、結論を出しました。
使徒15:14~19
神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。
『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』
ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。
ヤコブが言わんとしていたのはこうです。
「アモス預言によれば、御子イエス様がイスラエルのために国を再興してくださるのは、『わたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるため』だから、イエスの御名を信じた異邦人は、異邦人のままで良い。割礼を受けてユダヤ人になる必要はない。」
アモス書では「エドムの残りの者」と「わたしの名がつけられたすべての国々」と表現されていたところを、ヤコブは「人々のうちの残りの者」と「わたしの名で呼ばれるすべての異邦人」に言い換えました。
「人々のうちの残りの者」は「アブラハムの血統的子孫で信仰のある者」を、「わたしの名で呼ばれるすべての異邦人」は「イエスをダビデの子・キリストと信じてアブラハムの養子とされた異邦人クリスチャン」を指すと理解することができます。
イスラエル民族(選民)であれば自動的に救われるわけではなく、イエスの御名を信じる者だけが救われます。異邦民族であっても、イエスの御名を呼ぶ者は救われて「神の選びの民」とされます。
イスラエルの家と結ばれた新しい契約は諸国民にも拡大され、イエスを信じる信仰によって異邦人も神の民に加えられ、イスラエル民族の残りの者と異邦人信者が集められて一つの国民となります。
「倒れているダビデの仮庵再建」は、全民族を対象とした神の国の再建なのです。
4.「ダビデの仮庵」は最終的にどのように再建されるのか
異邦人がイエスの御名を信じて救われることは、「ダビデの仮庵再建」の始まりにすぎません。異邦人の救いとイスラエルの救いが完成する時、ダビデの幕屋の最終的な再建――メシアの統治による神の国――が実現します。
① イスラエル民族の悔い改め
主の再臨のために2つのことが必要です。
・福音が全世界に伝えられ、すべての民族に証される。
・イスラエル民族が、イエス・キリストをイスラエルの王・メシアとして呼び求める。
イエス様がメシアとしての数々の証拠を現されたにもかかわらず、パリサイ人や宗教指導者たちはイエス様を憎み、民衆を救い主から遠ざけようとしました。主は彼らにこのように言われました。
マタイ23:38~39
見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。
ロバの子に乗ってエルサレムに入場されるイエス様に、民衆は棕櫚の枝を振りながら、『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に』と歓迎し、宗教指導者たちはそれを聞いて憤慨しました。
詩編118編には、神であるメシアを神殿にお迎えする喜びの日の様子が描かれています。
詩編118:24~29
これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
ああ主よ どうか救ってください。ああ主よ どうか栄えさせてください。
祝福あれ主の御名によって来られる方に。私たちは主の家からあなたがたを祝福する。
主こそ神。主は私たちに光を与えられた。
枝をもって祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。
あなたは私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神。私はあなたをあがめます。
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
この詩篇は過ぎ越しの祭り(主の初臨を象徴する)と仮庵の祭り(主の再臨を象徴する)で朗読されますが、枝を振るのは仮庵の祭りの時だけです。主がロバの子に乗ってエルサレムに入場されたのは過ぎ越しの祭りであったにもかかわらず、民衆は、「仮庵を建て直すダビデの子が来られた」と喜び、棕櫚の枝をもって歓迎したのです。
イエス様は人類の身代わりに死ぬため、贖いの小羊としてエルサレムに入場されたのでした。そして宗教指導者たちは、イエス様を十字架につけて殺してしまいました。詩編118編の22節には、「家を建てる者たち(指導者たち)が捨てた石(イエス様)が要の石となった」と書かれています。
指導者たちの不信仰と反逆のため、エルサレム神殿はローマ軍に破壊され、イスラエル国家は滅び、民族は世界中に離散してしまいました。
ダビデの天幕が真に回復するのは、イスラエル民族が、ダビデの仮庵を再建するイスラエルの王としてイエス様をお迎えする時です。
主は、イスラエルの霊的指導者たちが、「2千年前、先祖たちが十字架に付けた人物こそ、待ち望んでいたメシアであった!」と気付いて悔い改め、イエス様を祝福し、歓迎する時が来るまで、主を見ることは無いと語られました。やがて異邦人の満ちる時が来て、イスラエルはみな救われます(ローマ11:25~26)。イスラエルが民族的に回心し、主をダビデの子としてお迎えする時、倒れていたダビデの仮庵が再建されるのです。
② 「ダビデの仮庵」の本体「神の国」
預言者たちはダビデの幕屋の最終的再建についてどのように預言したでしょうか。
イザヤ 11:10~14
その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。
その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りの者を買い取られる。彼らは、アッシリア、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シンアル、ハマテ、海の島々に残っている者たちである。主は国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。
エフライムのねたみは去り、ユダに敵する者は断ち切られる。エフライムはユダをねたまず、ユダもエフライムを敵としない。彼らは西の方、ペリシテ人の肩に飛びかかり、ともに東の子らからかすめ奪う。彼らはエドムとモアブにも手を伸ばし、アンモン人も彼らに従う。
イエス様が天の雲に乗って現れる日、ラッパの響きと共に御使いが遣わされ、地の四隅から選びの民が集められます。死んでいた義人がよみがえり、生きている義人は栄化され、南ユダ王国と北イスラエル王国(エフライムは北王国の代表)の残りの者が国々から集められます。彼らは一人の牧者によって一つの群れになり、「エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れ(アモス9:12)」ます。
ダニエルはイスラエル民族の最終的な地位と使命の回復を幻で見ました。
ダニエル7:18、27
いと高き方の聖徒たちが国を受け継ぎ、その国を永遠に、世々限りなく保つ。・・・国と、主権と、天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。
イスラエルの残りの者たち(いと高き方の聖徒たち)が永遠の神の国を相続し、主権と諸国に対する権威を受けます。イエス様を信じる異邦人もアブラハムの子孫として聖徒たちに加えられます。
ゼカリヤ 8:22
多くの国々の民、強い国々が、エルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の御顔を求めるために来る。
地上に到来した神の国では、イスラエルの神を信じて罪を悔い改めた異邦人も、新しいエルサレムのシオンの山に上り、万軍の主イエス様を礼拝するようになります。
まとめ
神は天地を創造し、人を神のかたちに造り、エデンの園に置かれました。それは人を神の代理人とし、世界を正しく治めさせるためでした。アダムが神に背かなければ、神の国はとっくに実現していたことでしょう。
イエス様は全人類の罪を贖うために十字架で死んで復活されました。やがて主が戻って来られ、恵みの時が終了し、神の人類救済計画が完了します。 アダムの失敗以来の人類の罪と呪いが取り除かれ、イエス様を信じるイスラエル民族と諸国民が「新しい1人の人・キリストの花嫁」として完成します。
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