ルツ記から学ぶイスラエルと異邦人教会の関係

教会とイスラエル
ルツとナオミ
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 ルツ記は、イスラエルで王制が始まる前、ベツレヘム出身のある家族に起こった出来事がダビデ王の誕生につながったことを記録しています。

エリメレクと妻のナオミ、息子のマフロンとキルヨンは、飢饉を逃れてモアブの野に移住し、息子たちはモアブ人の妻、ルツとオルパを娶ります。およそ十年が過ぎ、夫と二人の息子に先立たれたナオミは祖国に帰って来ます。姑と一緒にイスラエルに来た嫁のルツは、エリメレクの親類であるボアズと再婚し、ひ孫として生まれたのがダビデ王です。一方オルパはナオミと別れ、自分の民と自分の神々のもとへ帰って行きました。

ルツ記は終末時代のイスラエルと異邦人クリスチャンとの関係を暗示する物語でもあり、ボアズ救い主イエス様の型、ナオミイスラエル民族の型、ルツ忠実な教会の型、オルパ背教した教会の型と見ることができます。

この記事では、ボアズの買い戻しが啓示していたこと、ナオミ、ルツ、オルパのそれぞれの信仰と生き方について学び、神と聖書を信じる者の信仰の歩みとはどのようなものか、また異邦人教会はイスラエル民族についてどのように理解すべきかを考えます。

1 ナオミ:教会時代のユダヤ人の型

ナオミの体験と心情は、イスラエル民族が通った歴史と民族の心情を代表しています。

① 失意の祖国帰還

ナオミはモアブの地で飢饉を逃れるつもりが、夫と二人の息子を失い、もっと苦しみを受け、傷ついて祖国に帰って来ました(ルツ記1:20、21)。

AD70年にエルサレム神殿が破壊されて、イスラエル国が滅亡しました。生き残ったユダヤ人は世界に離散しますが、国々で迫害され、財産を奪われ、十字軍や宗教裁判によるキリスト教界からの迫害、ホロコーストによる大虐殺、イスラム教徒による迫害と、様々な苦難を通りました。
民族滅亡の危機を何度も乗り越え、シオニズム(祖国帰還運動)の波が起こって、イスラエル国は1948年に再建国されました。現在に至るまで、世界140か国以上から帰還が続いています。

② 神に対する不満、怒り、不信仰

ベツレヘムに戻ったナオミは、自分を知る人々に、「私をナオミ(快い・楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ・苦い)と呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせ、辛い目にあわせられたから」と言います。ナオミは神が自分を苦しめたと理解し、不満と悲しみと怒りを抱いていたのです。

ユダヤ人は世界中で迫害され、数々の苦しみを体験してきました。「神がいるなら、なぜご自分の民がホロコーストで600万人も虐殺されることを許されたのか? 神は私たちを見捨て、私たちを呪われた。神は私達には関心がないのだ。いや、神など存在しないのだ。」そのように神に対する怒り、不信感、不満を抱き、神に絶望して信仰を失ったり、無神論に陥ったりするユダヤ人が多くいます。

③ 子孫と相続地の問題

ナオミは高齢のやもめです。ベツレヘムに帰って来ても、子孫がいないので夫の相続地はナオミの死後、他人のものになります。子孫を残せず、自分の土地を受け継ぐ者がいないということは、復活を信じるユダヤ人にとっては大問題です。なぜならそれは、復活した後に住むべき自分の永遠の相続地を失うことを意味しているからです。

アブラハムと子孫たちに約束された永遠の相続地は、エジプトの川からユーフラテス川までで、エルサレムが永遠の首都と定められています。
しかしイスラエル国家の存在はイスラム教徒たちを怒らせ、この世には、イスラエル民族とイスラエル国を滅ぼし、エルサレムを取り上げようという霊的力が働いています。それは、イエス・キリストが再臨され、王となってエルサレムから全世界を支配することを阻止しようと、悪魔とその勢力が諸民族を通して働いているからです。

イスラエルは常に民族存続をかけて戦い、エルサレムは常に争奪戦の渦中にあります。イスラエル民族の歴史は、神がご自分の民に永遠に与えると約束された相続地と永遠のいのちを求め続ける信仰の戦いの歴史なのです。

2 ルツ:終末時代の忠実な教会、キリストの花嫁の型        

ルツという名前の意味は「」です。ルツは夫が死んだ後、自分の民族を離れ、慣れ親しんだ故郷・宗教・親族を捨て、姑のナオミと一緒にイスラエルに移住します。そしてイスラエルの神に信頼し、ナオミに聞き従い、律法とイスラエル社会の慣習を守って生活します。

ルツ記1:16~17
 ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、が幾重にも私を罰してくださるように。」

ルツの信仰と歩みは異邦人クリスチャンにとって見習うべきものがあります。

①「あなたの民は私の民」

 異邦人クリスチャンは、イエス・キリストを神の御子と信じる信仰によって、アブラハムの子孫(養子)とされました。血縁関係はありませんが、信仰によって神の選民の家系に加えられました。

パウロは、異邦人信者は野生種のオリーブの木から折り取られた枝であり、イスラエルのオリーブの木に接ぎ木され、イスラエルの根によって支えられていると語りました(ローマ11章)。

 教会(エクレシア)イスラエルの神のご計画に従って召され、聖書の御言葉を信じ、神の御心を行う人々の群れです。異邦人クリスチャンは神の主権的恵みにより、イスラエルのメシアを信じる信仰によって、栽培種イスラエルのオリーブの木に接ぎ木されました。異邦人教会がイスラエルに取って代わって新しい霊的イスラエルになったわけではなく、イスラエル信仰共同体に加えられたのです。私たちはルツのように「イスラエルの民は私の民です」と告白する立場にあります。

②「あなたの神は私の神」

ルツは自分の民族の神々を離れ、イスラエルの神の翼の下に避け所を求めました(2:2)。その決断は、イスラエルとモアブの歴史を見ると、特別な意味を持っています。

モアブ人はアブラハムの甥のロトから生まれた民族です。ロトはアブラハムと別れて肥沃な土地に定着しましたが、ソドムとゴモラが滅ぼされる時、山地に逃げ、長女の計略により息子モアブが誕生しました。

イスラエル民族が出エジプトして約束の地を目指して旅していた時、モアブ人は彼らに自分の土地を通らせず、モアブの王バラクは占い師バラムにイスラエルを呪わせようとしました。それに失敗すると、彼はモアブ人の娘達にイスラエル男性を誘惑させ、バアル・ペオル礼拝に引き込みました(民数記22~25章)。モアブ人はまた、アシュタロテやケモシュという神に人身犠牲を捧げていました。
ですからイスラエルの神は、モアブ人が主の集会に加わることを禁止されました(申命記23:3~5)。

ルツはユダヤ人と結婚することにより異教の神々を離れ、イスラエルの神を信じ、従う者となりました。夫の亡き後はイスラエルの地に住み、イスラエルの神に頼って生きることを決意しました。イスラエルの神は、偶像礼拝を悔い改めて真の神に立ち返る者を喜び、祝福し、「イスラエルの神は私の神」となってくださったのです。ルツはボアズと結ばれ、神と聖書信仰に堅くとどまり、メシアの家系に加えられることになりました。

異邦人もイスラエルの救い主と結ばれ、聖書の神に堅くとどまるなら、神の家族、神の国民となります。

③ 忠実に仕え、熱心に働く

イスラエル社会では、裕福な地主は作物を収穫する時、貧しい者たちに落穂を拾わせ、食料を得ることができるように計らったものです。ルツはナオミと共に暮らし、食料を得るため、年老いた姑に代わり、大麦の刈り入れから小麦の刈り入れの終わる時まで熱心に落穂を拾い集めました(2:23)。

落穂を背負うルツ

ルツの働きは、畑の持ち主でエリメレクの親類であるボアズの目を引きました。それ以上に、未亡人の外国人女性がイスラエル人の姑を愛し、仕え、支え、養い、律法に適う行動を取っていること、神の教えに従って生きるルツの忠実な人柄がボアズの心を捕らえました。ボアズはルツのためにわざと穂を落とさせました。

 小麦の刈り入れは、比喩的に世の終わりの義人の収穫を表します。神はご自分の造られた人類が一人でも滅びることを望まず、悔い改めて神に立ち返ることを願っておられます。ルツがボアズの保護のもとで熱心に落ち穂を拾ったように、イエス様は、ご自分の指揮下で罪人の救いのために熱心に働くクリスチャンを求めておられます。

主は特に、イスラエルの救いを祈り、支援し、伝道するクリスチャンに目を留めておられます。今は不信仰のイスラエル民族は、やがて悔い改めてイエス様をメシアと信じ、皆救われる時が来ると預言されています。イスラエルの霊的覚醒は、主の再臨、救いの完成、神の国到来と関連しているのです。

イスラエルの王であるイエス様は、世界中がイスラエルを憎み、攻撃する中で、ご自分の民を愛し、イスラエルと共に立ち、イスラエルの救いのために仕える収穫の働き人を捜しておられます。

3 ボアズ:メシア(贖い主、救い主)の型

  ボアズは、買い戻し(贖い)の権利を持つエリメレクの親戚で資産家でした。

① 買い戻しの権利とレビレート婚

イスラエルには、亡くなった人に子孫がいないために相続地を失ってしまうことを防ぐため、近親者が相続地を買い戻す制度がありました。その人は亡くなった人の妻を娶り、その女性から生まれた息子に亡夫の土地を継がせ、彼の名前がイスラエル民族として残されるように守ります。これはイスラエル民族への土地の約束を実現するために神が定められた規定で、レビレート婚と呼びます。

申命記25:5~6
兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、彼に息子がいない場合、死んだ者の妻は家族以外のほかの男に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女のところに入り、これを妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が産む最初の男子が、死んだ兄弟の名を継ぎ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。

レビレート婚の目的は、亡くなった人の相続地を守り、子孫に継承させることです。

神様のアブラハムに対する約束の一つは、「カナンの地をあなたとあなたの子孫に永遠に与える」ということでした。「土地を永遠に受け取る」ためには、死から生き返り、二度と死ぬことなく永遠に生きることが前提となります。罪赦された義人が復活し、神の国で永遠に神と共に生きる、これが聖書の教える救いであり、その約束は、メシアが来られて地上に神の国(メシア王国)を打ち立てる時に実現します。

エリメレクとマフロン、キルヨンが復活して相続財産を受け取るためには、ナオミはエリメレクの親族と再婚して跡取りを生み、家を継承させ、土地を相続させなければなりませんでした。
ところがナオミはすでに高齢で、もう一人の息子(マフロンとキルヨンの弟)を生むことは考えられませんでした。もし生まれたとしても、その子供が成人してからルツと結婚し、兄たちのために子を残すことも考えられません。そこで年老いたナオミに代わって、嫁のルツがレビレート婚によって子孫を残すことになったのです。

エリメレクの最も近い親類がモアブ人の妻を買い戻すことを拒んだ(4:6)ため、2番目に権利を持っていたボアズがその義務を果たすことになりました(4:9、10)。
ボアズはナオミから、エリメレクと息子たち(キルヨンとマフロン)のすべての相続財産を買い取り、異邦人ルツを買い戻して(贖い)妻とし、子をもうけ、エリメレクの土地を相続させました。

② ボアズはイスラエルの贖い主の型

 ホセア書では、イスラエル民族は「父なる神の妻」として描かれています。ホセアは姦淫の妻を買い戻すように命じられましたが、これは神様が姦淫の妻(偶像礼拝に走って堕落したイスラエル民族)を贖うことを表す預言的な行為です。

イスラエル民族は神から離れて偶像礼拝や律法主義に陥り、メシアであるイエス様を拒否して十字架につけさせました。イエス様はそのイスラエル民族を買い戻すために、十字架で尊い血潮を流されました主はご自分のいのちの代価を払ってイスラエル民族を贖い、約束の地を相続させてくださるのです。イスラエルは神に退けられたのではなく(ローマ11:1~2)、イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまで(ローマ11:25)です。

ローマ11:26~29
 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。

イスラエル民族に対する神の賜物(祝福と土地の約束)召命(神の宝の民、祭司の王国、聖なる国民、出エジプト19:5~6)は取り消されることがなく
神はイスラエルを愛されているゆえ
イスラエルと結んだ契約(創世記12:2、出エジプト20:6)を守り
時が来ればイスラエルの罪を取り除かれます

③ 約束された救い主と約束された相続地

メシアはダビデ王の子孫から生まれます。王家と祭司の家系は血統を証明できなければなりません。

 ・オベデは血統的にはボアズの子
ボアズとルツの間に生まれた子供の名前はオベデです。オベデはエッサイを生み、エッサイからダビデ(ボアズのひ孫)が生まれ(ルツ4:17~22マタイ1:5~6)、ダビデの子孫としてイエス様が生まれました。ルツはイスラエル民族に加えられただけでなく、救い主の系図に載せられました。

・オベデは法律上、エリメレクとナオミの子
ルツがボアズに産んだ最初の息子はエリメレクとナオミの三男となり(4:17)、エリメレクの土地を受け継ぎました。その子は、エリメレクとナオミと兄たちのために復活後の相続地を確保したのです。契約の民イスラエルは、将来救い主が来臨される時に、復活して約束の地を受け取ります。

約束の地が啓示していたのは、新しいエルサレムです。イエス様は、堕落したエルサレムとイスラエルの地を贖い新しいエルサレムを地上にもたらしてくださいます。
いのちの書に名前の記された人は、天から降って来る新しいエルサレムに住み、いのちの木から食べ、いのちの水を飲み、主とまみえて永遠に主を礼拝します。

4 ルツとしての教会の役割

ルツがボアズによってイスラエルの系図に加えられたように、異邦人クリスチャンはキリストによって神の家族に加えられ、神の国の民、イスラエルと共同の相続人となりました。

① ボアズの覆い(権威)の下に入る

ルツはボアズの覆いをめくって足元に寝ました。その覆いはユダヤ人男性が上着として身に着ける長方形の布で、4隅にはふさ(神の戒めを象徴する)がぶら下がっています。ふさのついた上着を着ることは、律法を守っていることを表します。

ルツはボアズに「あなたの覆いを、はしための上に広げてください」と願いました。ふさのついた上着の下に入ることは、その人の権威の下に入ることを表します。ボアズはユダヤ人の妻とは別に異邦人ルツを買い戻し、妻としました。

イエス様は、イスラエル民族だけでなく悔い改めた諸民族を罪から贖い、花嫁とされます。そしてクリスチャンとは、キリストの権威に服する者です。

イスラエル民族の多くはイエス様を拒否し、不信仰ゆえに民族の使命(世界に真の神と神のご計画、救い主と救いの方法を教えて、神に立ち返らせる)を果たすことができません。

ルツがナオミに代わって子孫を産み出したように、キリスト教会はイスラエル民族に代わって福音を伝える使命があります。十字架の贖い、主の再臨と御国の到来について宣教し、神の国の子孫を産み出すのです。

② 神の約束に立つ誠実さ

ルツは相続地を守るために、律法に従って家族の義務を果たしました。自分の気に入る再婚相手を求めるのではなく、親類による買い戻しを求め、家族に神の約束が引き継がれるために自分を捧げたのです。それは姑に示した誠実さに勝り、神の御心にかなった神から祝福される誠実さでした(3:10)。

教会の働きの一つは、ダビデの子として来られ、イスラエルの王であり贖い主であるイエス様をイスラエル民族にもう一度紹介し、イスラエルが贖われて永遠の御国を相続できるように助けることです。

異邦人教会がイエス様に仕え、善を行い愛を示す時、イスラエル民族に嫉みをおこさせることができます。主を拒否していたイスラエル民族が主を呼び求め、主が再臨され、イスラエル民族が受け継ぐ約束の地、メシアの御座のある新しいエルサレムが地上に到来します。

イスラエル民族に与えられた土地の約束とは、最終的に新しいエルサレムを相続することです。クリスチャン信仰のゴールも、イエス様の王国である新しいエルサレムを相続することです。義人たちは復活して死と滅びから贖われ、永遠のいのちを持つ神の国の民として、約束の地・神のパラダイスに共に住むことができるのです。

5 オルパから終末的教訓を学ぶ

「オルパ」という名前の意味は「首の後ろ・うなじ」です。首の後ろを見せるとは背を向けることで、「拒否する」、「見捨てる」ことを意味しています。

 パウロは異邦人クリスチャンの立場についてこのように説明しています。

エペソ2:1、12~13、19、3:6
「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、・・・そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者(親類)とされたのです。・・・あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。・・・福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」

異邦人クリスチャンはイスラエルと同じ国民、共同の相続人ですから、イスラエルに背を向けるなら、自分自身が損失を被ることになります。

① 異教の巻き返し

オルパはユダヤ人と結婚し、イスラエルの神について教えられ、家族とともにイスラエルの神を礼拝し、教えや戒めを守り、例祭を守っていたかもしれません。ところがナオミと別れてイスラエルの神から離れ、自分の民と以前の神々のところに帰って行きました(1:14,15)。おそらく、モアブ人の男性と再婚し、モアブの宗教に取り込まれ、真の神に対する信仰を失ってしまったことでしょう。

異邦人クリスチャンは、かつては真の神も救い主も知らず、神の義も裁きも永遠のご計画も理解していませんでした。救われた後も、異教の神々の支配する国で、文化的にも社会的にもその影響を受けて生活しています。仏教的死生観、汎神論・無神論、ヘレニズムなど、クリスチャンを聖書的信仰から引き離す多くの偽りに取り囲まれています。

② イスラエルと分離した教会のその後

ユダヤ人がローマ帝国から追放され、異邦人が教会を指導するようになると、異邦人信者たちはユダヤ人とユダヤ性を排除し、ヘブル的ルーツから離れ、キリスト教という新宗教として歩み始めるようになりました。その結果、すぐに異教の教えが紛れ込み、御言葉・御教えを曲解し、聖書の真理を薄め、キリスト教の異端化が始まりました。

・ローマ帝国はキリスト教を異教徒たちに受け入れやすくするため、太陽神礼拝の祝祭日や女神礼拝のしきたり、異教的習慣を取り入れました。またユダヤ教徒を公職から追放し、以降、キリスト教国でユダヤ人迫害が激しくなっていきました。

・カトリック教会は置換神学を採用し、反ユダヤ主義に陥って激しくユダヤ人を迫害しました。置換神学とは、ユダヤ民族はメシアを拒否し殺したので神に捨てられ、呪われた。異邦人教会が新しい霊的イスラエルに選ばれ、使命と祝福を全部受け継いだという教えです。宗教改革者ルターでさえ、ユダヤ人に対するヘイトスピーチを繰り返したことが記録されています。

・カトリック教会は偶像礼拝と女神礼拝の要素を取り入れ、そのために十戒を変えてしまいました。また、どの宗教にも真理があり、どれを信じても救われるとし、あらゆる宗教との共存を主張しています。またイスラエル再建国を容認せず、聖書の約束をもとにエルサレムを首都とすることを侵略と見なしています。
一部のプロテスタント教会もイスラエルをアパルトヘイト国家と非難し、イスラエルボイコット運動など反ユダヤ思想を表明しています。

置換神学を取り入れ、イスラエルを排除してへブル・ルーツを離れるなら、オルパと同じように偽りの神に戻り、偽宗教に陥る危険性があります。

③ 終末時代は背教の時代

これからの時代はますます背教が進みます。イエス様は「人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか(ルカ18:8)」と言われました。

・教会もLGBTQの流れに取り込まれつつあります。LGBTQに配慮した聖書が作られ、罪を指摘しない教会、同性愛牧師が増えています。

・プロテスタントの有名牧師にも、クリスラム支持者がいます。クリスラムとはクリスチャンとイスラムを合わせた言葉で、キリスト教の神とイスラム教の神は同じであり、イスラム教徒も聖霊に満たされイスラム教徒のままで救われると主張し、イスラム教から学び、イスラム教徒との一致を求める人々です。

・プロテスタントとカトリックの一致を目指すエキュメニカル運動が盛んです。これは、宗教改革を逆行し、プロテスタント教会をローマ教皇の権威の下、カトリック教会に取り戻す運動です。

インターフェイス運動が勢力を拡大しています。これは、あらゆる宗教を容認し、どの宗教からでも真の神に到達できるとし愛と一致のスローガンのもとに、ローマ教皇の下ですべての宗教を統合させるムーブメントです。

異端化、異教化、世俗化に陥って終末の反キリストにだまされることがないよう、真理に留まり続けることが必要です。

④ 祝福の秘訣

 マタイ25:32~46に、(永遠のいのちに入り、御国を継ぐ)と山羊(永遠の火の刑罰、永遠の滅びに入る)を分けるというたとえ話があります。判断基準は、「わたし(イエス様)の兄弟(ユダヤ人)の最も小さい者にしたことは、わたしにしたこと。彼らにしなかったことは、わたしにしなかったこと」で、イスラエル民族に対する態度が主に対する態度と見なされます。

世の終わりには世界中がイスラエル民族を滅ぼし、エルサレムを滅亡させようとして総攻撃をかけてきます。その時、イスラエルを迫害する者に加担するのか、自分の身の危険を冒してイスラエルをかくまい、助ける側に回るのか、異邦人クリスチャンの信仰が試される時が来るかもしれません。

主が愛されるようにイスラエルを愛するかどうか、主が見ておられます。教会が神の国と神の義を求め、使命を果たすなら、「アブラハムを祝福する者は祝福される」という御言葉の真実を体験するでしょう。

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