終末論

再臨と終末(1)テサロニケ人への手紙から再臨と携挙はいつ起こるか

イエス様の再臨を空中再臨(携挙)と地上再臨に分ける二段階再臨説の問題点を、テサロニケ人への手紙とイエス様の教えから指摘し、再臨と携挙がいつどのように起こると書かれているか検証します。終末論についての正しい理解のための学びです。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(4)滅びを刈り取る肉の人、いのちを刈り取る御霊の人

人は霊と肉から成る存在、肉は滅ぼされ、霊は主の日に救われます。御霊に逆らい、肉に従う者は神の御国から締め出され、行き着く先は火と硫黄との燃える池。御霊に従い御霊の実を結ぶ御霊の人は、永遠のいのちを受け、永遠の御国を相続します。
信仰の目的地

信仰の目的地(3)御国の王と御国の民、外に出される不法者

天の御国は地上に出現する神の国、天から降る新しいエルサレム、神のパラダイスです。復活し、永遠のいのちを得て永遠の神の国を相続する御国の民とはどのような人でしょうか。また天の御国の外の暗闇に追い出される不法の者たちとはどのような人でしょうか。
礼拝メッセージ

わたしがあなたを贖った:背きの民をも愛し、救われる神

贖いは聖書のキーワード、買い戻す、代価を払って取り戻すことです。神は罪を犯し続けるイスラエルを贖うとイザヤを通して約束されただけでなく、神様から離れている全人類を救うために、御子イエス様を十字架につけ、御子のいのちを私達の贖いの代価とされたのです。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(3)たましいのよみがえり、第一の復活と死に勝利した神の子の完成

永遠の火による滅び(最後の審判とゲヘナの裁き)を免れる方法は、キリスト再臨時に復活し、不滅のいのちを持つ神の子として完成することです。死んでいた身体とたましいがよみがえると、記憶・知性・感情・人格が戻り、永遠の御国で真のいのちが始まります。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(2)死と死者の状態、たましいの救いとは

死後、魂が天国で楽しく暮らしたり地獄で苦しめられたりするという教えは聖書的ではありません。よみには意識活動はありません。たましいは「肉体を持ち、息をする生きもの」を表し、死者(たましい)は復活してから永遠のいのちか永遠の滅びに分けられます。
信仰の目的地

信仰の目的地(2)「天の都」と「天のエルサレム」

クリスチャンの信仰の目的地は、アブラハムの求めた天の都、パウロの見た第三の天、ヨハネの見た新しいエルサレムです。死に勝利した者は復活し、天から下って来る新しいエルサレムー完成された神のパラダイスーで神とともに永遠に生きるのです。 
礼拝メッセージ

イザヤの黙示録:裁きと回復の約束

預言者イザヤは、「その日」すなわち世の終わりに起こることを神から啓示され、預言として書き記しました。同じく世の終わりについて書かれたヨハネの黙示録と比較しながら、イザヤが受けた啓示、幻で見せられた神のご計画について探っていきます。
信仰の目的地

信仰の目的地(1)第三の天とパラダイス、エデンの園の回復

聖書信仰の目的地は天上の霊魂の世界ではありません。パラダイスが表しているのは、神と人が永遠に共に住む楽園の回復です。パウロの見た第三の天とパラダイス、エデンの園との関係について、またイエス様が十字架上の犯罪人に何を約束されたかについても学びます。 
聖書の人物から学ぶ

変貌山のモーセとエリヤが啓示したキリストの死と復活

救い主の死と復活を理解していなかった弟子たちに与えられた、モーセとエリヤの幻による啓示です。イエス様は律法と詩編と預言書の十字架預言を実現するキリストであり、やがて裁き主として再臨され、その時、義人は復活することができると教えています。