教理

終末論

再臨と終末(5)天の万象が震われ、新天新地と新エルサレムが到来する

新天新地・新エルサレムは、イエス様が再臨され、神の国(キリストの王国)が始まる時に実現します。大艱難時代の終わりにイエス様が現れる「御怒りの大いなる日」、天地は火で焼き滅ぼされ、新しいエルサレムが降って来て、正義の住む新天新地に替わります。
福音宣教

神の国の福音を全世界に宣べ伝える

教会の使命とは、御国の王と御国の福音を宣べ伝えることです。神の御計画は、神が王として治める地上の神の国が実現し、神と民が永遠に共に生きることです。福音とは、御国の王によって罪赦された人が神の御怒りから救われ、神の国を相続するという良い知らせです。
その教えは聖書的?

「ラザロと金持ち」:富に仕え、神の国に入れなかった金持ち

ルカの福音書から神の国に入ることについての8つのたとえ話を学び、文脈全体のテーマとイエス様の教えに則して「ラザロと金持ち」の内容と目的を明確にします。ラザロを顧みなかった金持ちは、イエス様再臨の時、神の国を相続的できない人を表しています。
その教えは聖書的?

「ラザロと金持ち」:復活後のラザロと金持ちに何が起こったか

ラザロは復活してアブラハムと共に神の国(新しいエルサレム)の食卓に着いていました。金持ちは外に追い出され、火の中で苦しんでいました。このたとえ話は、死人がよみで受ける報いではなく、イエス様の再臨後に義人と罪人が受ける報いについて教えています。
終末論

再臨と終末(4)再臨についてのたとえ話③「麦と毒麦」「地の刈り取りと怒りのぶどう踏み」

「義人の救い(携挙、復活、御国の相続)」と「悪人の裁き(永遠の滅び)」について、イエス様のたとえ話と黙示録から学びます。信者の救いの完成と不信者の裁きは「地の刈り取りと怒りの酒ぶね踏み」にたとえられており、それは主の御怒りの日に実現します。
礼拝メッセージ

家を建てる者たちの見捨てた石

「家を建てる者たちの見捨てた石」。何やら価値のない石のようですが、イエス様は、これから起こること(十字架)を前に、ご自身をこう表現されました。そして、「それが礎の石となった」と続いています。捨てられたものが礎になるとはどういうことでしょう。
終末論

再臨と終末(3)再臨のたとえ話②「花婿を待つ十人の娘」と新しいエルサレム

花婿を待つ5人の賢い娘たちは、再臨のイエス様と共に天から下る新しいエルサレムに入る人々、愚かな娘たちは外の暗闇に放り出される人々を表しています。主の再臨と共に天の御国が到来する時、新しいエルサレムが天から下って来る理由も解説します。
終末論

再臨と終末(2)再臨についてのたとえ話①「王の帰還」:待ち望む者への報酬と拒絶する者への裁き 

主の再臨について、ルカ19章の「王の帰還」のたとえ話と黙示録11、19,20章から学びます。忠実なしもべたちは復活して報酬を受け、イエス様を王と認めず、再臨を阻止しようとする者は、神の御怒りによって滅ぼされてしまいます。
人とはどのような存在か

人はどのような存在か(5)たましいについて真理を知り、新しい人として生きる

エデンの園以来、悪魔は「肉体は滅んでも不滅の魂が霊魂の世界で永遠に生きている」という偽りで人類を騙し、間違った希望と間違った信仰を持たせてきました。聖書は、復活こそがたましいを生き返らせ、人が死に勝利する方法であると教えています。
終末論

再臨と終末(1)テサロニケ人への手紙から再臨と携挙はいつ起こるか

イエス様の再臨を空中再臨(携挙)と地上再臨に分ける二段階再臨説の問題点を、テサロニケ人への手紙とイエス様の教えから指摘し、再臨と携挙がいつどのように起こると書かれているか検証します。終末論についての正しい理解のための学びです。