教理

人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(4)滅びを刈り取る肉の人、いのちを刈り取る御霊の人

人は霊と肉から成る存在、肉は滅ぼされ、霊は主の日に救われます。御霊に逆らい、肉に従う者は神の御国から締め出され、行き着く先は火と硫黄との燃える池。御霊に従い御霊の実を結ぶ御霊の人は、永遠のいのちを受け、永遠の御国を相続します。
信仰の目的地

信仰の目的地(3)御国の王と御国の民、外に出される不法者

天の御国は地上に出現する神の国、天から降る新しいエルサレム、神のパラダイスです。復活し、永遠のいのちを得て永遠の神の国を相続する御国の民とはどのような人でしょうか。また天の御国の外の暗闇に追い出される不法の者たちとはどのような人でしょうか。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(3)たましいのよみがえり、第一の復活と死に勝利した神の子の完成

永遠の火による滅び(最後の審判とゲヘナの裁き)を免れる方法は、キリスト再臨時に復活し、不滅のいのちを持つ神の子として完成することです。死んでいた身体とたましいがよみがえると、記憶・知性・感情・人格が戻り、永遠の御国で真のいのちが始まります。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(2)死と死者の状態、たましいの救いとは

死後、魂が天国で楽しく暮らしたり地獄で苦しめられたりするという教えは聖書的ではありません。よみには意識活動はありません。たましいは「肉体を持ち、息をする生きもの」を表し、死者(たましい)は復活してから永遠のいのちか永遠の滅びに分けられます。
信仰の目的地

信仰の目的地(2)「天の都」と「天のエルサレム」

クリスチャンの信仰の目的地は、アブラハムの求めた天の都、パウロの見た第三の天、ヨハネの見た新しいエルサレムです。死に勝利した者は復活し、天から下って来る新しいエルサレムー完成された神のパラダイスーで神とともに永遠に生きるのです。 
信仰の目的地

信仰の目的地(1)第三の天とパラダイス、エデンの園の回復

聖書信仰者の目的地は天上の霊魂の世界ではなく、神と人が永遠に共に住む地上のパラダイス(エデンに替わる神の園)です。死者はパラダイスに入れません。パウロの見た第三の天とパラダイス、また十字架上の犯罪人がパラダイスを約束された理由についても学びます。 
終末論

「人の子の日」の滅びから救われる

ノアの時代とロトの時代は、終わりの日に起こる救いと滅びの預言的な型です。イエス様は、救いの完成を目指して「人の子の日」に備えるように警告されました。主の再臨と救い、主の日の御怒りと滅びについて、エリコ攻略時のラハブ救出も合わせて学びます。
人とはどのような存在か

人とはどのような存在か(1)人の成り立ちと存在の目的

人は神の霊を吹き込まれ、神と交流することのできる霊的存在。神の代理人として世界を正しく治めるために、神の似姿に造られたにもかかわらず、罪ゆえに死んでちりに帰らなければなりません。この人類を救うため、創造主である神のことばが人となられたのです。
クリスチャンの成長

偽イエス、偽の霊的体験から自分を守る

世の終わりには、イエス様の訪問や御使いとの遭遇、天国・地獄の体験談など、霊的惑わしが増加します。聖書は、再臨の前には苦難の時代があり、天の万象が崩れ去ること、私たちが主とお会いするのは、万物が改まって新しい天地が訪れる時であると教えています。
その教えは聖書的?

「エリヤは生きたまま天国に行った」という教えの問題

エリヤは生きたまま天に昇り、死ぬことなく生きているという教えは間違った教え、人が神のおられる領域に上れるという思想は、神の様になりたいという人の罪深さの現れです。それはエデンの園以来の悪魔の誘惑なのです。天に上り、神を見た者はいません。